【奈多野 羽華編】一第五話一



無事に、玲奈ちゃんの《慈愛鬼の試練》が終わった。 アパートの1階で倒れていた時は、どうなることかと思ったけれど…玲奈ちゃんが無事で、本当によかった。 夕日お兄ちゃんは、私達を見つめながら、言った。


『あと二つの試練…《喪鬼》と《贄鬼》の試練を乗り越えれば…秋人と祈里様を救う手立てを教える。 それまでは…耐えてくれ…』

『………』


私には、夕日お兄ちゃんは《何か》に耐えているようだった。彼の掌は、力強く握りしめられていた。


『羽華ちゃん…大丈夫…?』


緋都瀬君は、心配そうな顔で私に向かって言った。私は、微笑みながら、彼に返事をした。


『うん。大丈夫だよ。 私も、試練を乗り越えられるように頑張るから…! だから、待っててね。緋都瀬君』

『……分かった』


少しでも、緋都瀬君を安心させたくて、私は笑顔のまま答えた。


――きっと、うまくいくはずだ。作戦は、ちゃんと考えてきた。 まずは…依鬼を味方につけるたに、ある行動に出た。


「………」


私は、台所に立つと、ガスコンロの前へと立った。周りに誰も人がいないことを確認すると、コンロの火を付けた。鍋もフライパンも乗っていないコンロの火は不気味な輝きを放っていた。 無言で、傍に置いてあったスケッチブックを手に取った。このスケッチブックは、羽華が、美術部で描いた絵が収っている大切な物だ。 そんな大切なスケッチブックを――羽華が、コンロの火へと近付けた時だった。


【……テ…サ…イ…】

「……っ」


頭の中で、依鬼の声が聞こえた。 強い耳鳴りがすると、片手で抑えながら、スケッチブックを開いた。

そこには――無数の顔が、浮かび上がっていた。 紙の中から飛び出したいのか、外に出たいのか何かを話したがっている顔は、依鬼だという確信があった。 片耳を抑えていた手を、無数の顔の1つへと手をかざした。 顔に触れた瞬間――頭の中に、赤、青、橙色等…様々な紙で象られた依鬼が、浮かんできた。


【羽華サマ…! どうか…オレヲ、燃ヤサナイデダサイ…!】

「《それじゃあ…約束して。《月裏の世界》に行っても…私のことを、襲わないって》」

【ア、ウウ……!! ソレハ、デキナ――】

「《…そう。それなら…あなたのことは、燃やします。さようなら》」

【ヒイイイ!!オ止メクダサイ!! ドウカ、炎ダケハ…!!】


依鬼の言葉に、羽華は、冷たい光を宿すと、スケッチブックを再びコンロの火へと近付けた。すると依鬼は悲鳴を上げると、全身の紙を散らばしながら羽華に慈悲を求めるかのように言い放った。


「《…私には…あなたの協力が、必要なんです。今の私に…《月裏の世界》に抗う術を、何も持っていないんです》」

【……ハ、ハネカ様……】


悲しげに微笑みながら言った羽華に――依鬼の心は、荒ぶる海のように波打っていた。


「《依鬼。あなたに与えられた選択肢は、二つです。

このまま、燃やされてしまうか……私に従うか…どちらかを決めてください》」

【クッ…!ウウウウウ……!! アナタ様ノモトニ、行キタイノハ真デス…!! デスガ……《アノ方》ヲ裏切ッタラ…! アア…!!コワイコワイコワイコワイイイイ!!】

「……」


段々と依鬼が可哀想だと感じ始めた羽華は、小さくため息をつくと依鬼に言った。


「《…ここで、あなたの答えを待っていても、仕方ありません。 今夜私は、試練を受けるために、《月裏の世界》に行きます。そこで、あなたの答えを……聞かせてください》」

【!!】

【……承知…シマシタ…】

「………」



依鬼の声は、その会話を最後に聞こえなくなった。不安な気持ちを抱えながらも、羽華はコンロの火を消した。スケッチブックを強く抱きしめると、羽華は、台所を後にした。


***


夜が訪れるまで、羽華は普段通りに過ごしていた。逆に羽華が、普段通りに過ごしていて、驚いていたのは、玲奈や夕日達だった。


「…羽華って、変わったよね」

「え?そうかな?」


夕食を食べ、お風呂に入ると、羽華が電気を消し、豆電球にすると布団の中へと入った。 玲奈が、豆電球を見つめながら言うと、羽華は、疑問符を浮かべながら問い返して来た。


「まさかの無自覚だったのね。 ま、無理ないか。突然変わったなんて言われたって、自分では気付かないものなのかもね」

「ふふ…玲奈ちゃんに、そう言ってもらえて嬉しいな…」


チリンチリン…

橙色の鈴が、羽華の頭の中で鳴っていた。唐突にやってきた睡魔に、羽華は抗おうとしたが、勝てないことは明白だった。 玲奈は、羽華が《喪鬼の試練》に向かうのだと察すると――彼女の隣に移動し、一緒の布団の中へと入った。


「大丈夫よ…羽華。あたしは、ここで、待ってるから」

「……う…ん…」


「行ってらっしゃい」

玲奈の言葉は、羽華ににしっかりと聞こえていた。玲奈の言葉に安心したのか――羽華は、ゆっくりと目を閉じた。


***



――《月裏の世界》で羽華は、目を開けた。そこは教室ではなく、旧校舎の屋上だった。外では鈴虫達が騒がしく鳴いていた。


「………」


旧校舎の屋上にあるフェンスの近くに、鈴虫達の声を聴きながら立っている男がいた。彼のことを羽華は、よく知っていた。


【クク…待っていたぞ。羽華…】

「……秋鳴さん…」


見た目は、秋人の姿を纏っているが、中身は、違う。彼の正体は、秋人の双子の兄である《秋鳴》だった。秋鳴は、羽華が自分のことを覚えていたことに笑った後――秋人の体全体を、黒い靄で覆ってしまった。


「あ…!」


しかし、羽華が心配したのも一瞬のことだった。 黒い靄から現れたのは、秋鳴本人と、首元を掴まれた依鬼だった。


【コイツガお前二対シテ、何ヲシタノカ……忘レテナイヨナ?】

「はい…」

【ソレナラ…ナンデコイツヲ味方二付ケヨウトシタ? オレヲナメテンノカ!? クソガキ!!】

「……っ」


秋鳴は、顔を歪めると、依鬼の首元から手を離した。頭の中に響いた怒鳴り声に羽華は、体を強ばらせた。羽華は、秋鳴から視線を外すして、依鬼の様子を見ると……酷く弱っている様子だった。羽華の視線に気付いた依鬼は、今にも消えそうな声で言い放った。


【申シ訳…アリマセン…羽華様…! 我々ガ、《月裏の世界》デ彷徨ッテイタ時二……秋鳴様二拾ッテ頂イタノデス…】

「…そうだったんだ…」

(だから…依鬼は、怖がっていたのね…)


依鬼が、話していた時に、何度も出てきた《あの方》。それが、秋鳴だったのだ。ようやく羽華が理解したところで、秋鳴は依鬼に向かって、怒声を放ちながら言った。


【オイ…俺ヲ無視シテ、呑気二話すンジャネェヨ!!】

【ヒッ!! モ、申シワケアリマセ――ガッ、ア!!】

「依鬼…!!」


依鬼の一部である紙を引っ張られ、鉈で腹部を刺された依鬼は痛みにのたうち回った。 一歩踏み出した羽華に、秋鳴は【止マレ!!】と叫ぶように言った。


「……っ」

【優シイお前ノコトダ…コイツヲ助ケタイト思ッテルンダロ?】

「……」


羽華は無言で頷くと、秋鳴は口元を狐のように歪ますと依鬼に囁くように言い放った。


【オイ…依鬼。オ前ノ大好キナゴ主人様ハ、酷イコトヲオマエヲ許シテクレルラシイゾ】

【ア、アア…!! 羽華様…!アリガタキ幸セ…!】

【ダガ…愛シイゴ主人様ノ元二戻ル、条件ガアル】

【条件…?】


【今カラ俺ガ数エテイル間二、羽華ガオレタチノ元マデ、辿リ着クコトガ出来レバ…オマエノコトハ、解放シテヤル。オレカラ逃ゲラレナケレバ…《忌怨》ノ炎デ、燃得るコトニナルゾ…!!アハハハハハハハハ!!】

【イ、イヤダイヤダ!!羽華様、タ、助けテクダサイィイイイイイイイ!!】

「今行くよ!! 依鬼!!」


羽華は、秋鳴が言い終わった瞬間に走り出した。依鬼は、秋鳴の出した条件に、発狂すると羽華に向かって必死に這いつくばって、秋鳴の元から離れようとしている。しかし、力が入らないのか…秋鳴の元から離れることが出来ないようだった。 秋鳴たちとの距離感は百メートルほどだろう。

あまり走るのが得意ではない羽華は、助けを求める依鬼の元まで全速力で走り出した。

その間にも、秋鳴は鉈に《忌怨》を宿らすと、虫のように這いつくばっている依鬼を見ているだけだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…!」

(間に合って…!!)


あと五十メートル、三十メートル、十メートルほどで、依鬼へと手が届く。羽華が、確信した――その時だった。


【ハイ。時間切レダ…!】

【アアアアアアア!!アツイ、アツイイイイイ!!】

「依鬼っ!!あう!」


もう少しで、手が届く…!依鬼も同じことを思ったのか、紙だらけの手で、羽華に手を伸ばしていた。羽華の目と鼻の先で、依鬼は《忌怨》の炎で焼かれてしまった。全身が紙で出来ている依鬼は、すぐに炎に覆われてしまった。近付こうとしても、《忌怨》の炎は、羽華に邪魔をさせまいと炎の手が彼女を潰そうとした。 炎の手をかわした羽華は、全身の紙が、黒く染まっていく依鬼を、救う手立てはないかと必死に考えを巡らせていた。


【アアアアア………羽華サマ………アイシテ…イマス…】

「依鬼…!」


黒く染まってしまった紙の中から、依鬼の黒い手が、羽華へと伸ばされた。


一一この手を取らなかったら、私は……一生後悔する一一

羽華の両手が、依鬼の黒い手を優しく握りしめた。羽華が、自分を拒絶しなかったことに依鬼の目からは、小さく丸められた青色の紙が、滝のように溢れ出して来ていた。 その光景に、一番驚いていたのは、秋鳴だった。信じられないと様子で首を横に激しく振りながら、羽華に向かって叫ぶように言い放った。


【バカナ…!!ソンナコトヲスレバ、オ前ハ、呪レルワレルカモシレナインダゾ!! ソレデモ良イッテイウノカ!?】

「…はい。構いせん。私が呪われて、依鬼が助かるのなら……自分のことを、犠牲に出来ます」

【……ッ……】


羽華の真っ直ぐとした眼に、秋鳴は、狼狽えていた。依鬼ハ、顔を主人の膝に寄せると小さな声で言った。


【……羽華サマ…】

「………」


依鬼の声は、弱々しい声だった。それでも羽華には、しっかりと聞こえていた。《忌怨》の炎の侵食と腹部の中で、未だに蠢いている夜業虫の侵食に耐えながら、羽華は依鬼に向かって微笑んでいた。


実は、今回の試練の内容は、事前に《喪鬼の先祖》から聞かされていた。

《喪鬼の試練》の内容は――《依鬼のことを許せるのかどうかを見る》というものだった。 つまり、《依鬼を助けたい》と思った時点で、《喪鬼の試練》は、達成したということだ。

秋鳴も《喪鬼の試練》の内容を知っていた為、羽華が達成したことを認めたくなかった。彼は、強く唇を噛み締めると、鉈に《忌怨》の炎を再び宿しながら羽華に向けて言い放った。


【クソ…!! モウ一度…燃ヤシテヤル…!】

「させない!!」


羽華は、立ち上がると依鬼の前に立ったかと思えば、両手を広げながら秋鳴に向けて強く言い放った。


「燃やして、誰かを呪いたいのなら……私だけ燃やせばいい!!」

【ソレナラ…オ望ミ通リニ……燃ヤシテヤルヨオオオオオオ!!】

「……っ」


大きく鉈を上へと上げた秋鳴に、羽華は、両目を閉じた――その時だった。


チリリーン…チリンチリン…

頭の中で、橙色の鈴がなった。羽華の後ろに白い影が浮かび上がってきた。


【そこまでです…!! これ以上我が眷属と子孫を苦しめることは、許しません…!】

【!!】


羽華の後ろに立っていたのは、《喪鬼の先祖》だった。優しくも力強い声を聞き、安心したのか……羽華は、胸をなで下ろした。

一方の秋鳴は、《喪鬼の先祖》が、突然現れたことに動揺していた。彼は、舌打ちすると徐々に後ろへと下がっていく。


【…ククク…!マア…イイ。今回ハ、見逃シテヤルヨ…!!】

「待ってください…!立ち去る前に…一つだけ、教えてください。

秋人君は…今、何をしているんですか…?」

【――】


羽華ハ、気になっていたことを聞くと、秋鳴は立ち止まり、振り返った。秋鳴の瞳には――様々な感情が入り混じった《何か》が、宿っていた。

彼は、少し、考え込んだ後…小さく呟くように言った。


【……アイツノ心ハ、壊レタンダ】

「…壊れた…?」

【…コレ以上ノコトハ、言エナイ。トニカク……アイツヲ助ケタイト思ッテイルナラ……《鬼ノ試練》ヲ終ワラセロ】

「はい。分かりました…!教えてくれて、ありがとうございます…!!」

【…………】


秋鳴は、フェンスを通り抜け、そのまま下へと落ちていった。羽華は秋鳴のことが心配になって、フェンス越しに下を見ると――どこまでも続いているような深い闇しかなかった。


シャン…シャン…

羽華がフェンス越しに下を見つめていると、後ろから橙色の鈴が付いた錫杖を鳴らしながら、《喪鬼の先祖》が近付いてくると言った。


【羽華…そろそろ、元の世界に戻りましょう。あなたの試練は、達成されました】

「はい。あ!依鬼はどこに…!?」


依鬼がいないことに気付くと、羽華は、周りを見渡しながら、言った。《喪鬼の先祖》は、一つ頷くと言い放った。



【大丈夫です。依鬼の身は、札へと封印し、一足先に現世に送っておきました】

「よかった…!!」

【……】


依鬼が無事であることに、安堵の息をついた羽華を見つめながら……《喪鬼の先祖》は、彼女の名前を呼んだ。


「はい!なんでしょう?」

【……あなたを現世へと還す前に…見て頂きたい《未来》があるのです。その《未来》を見る準備は、よろしいですか?】

「は、はい……分かりました。いつでも、準備は出来ています」

【…ならば…始めます。私の手を見てください】

「!」


突然喪鬼の先祖の声が、強ばったものに聞こえた羽華は、戸惑いつつも頷いた。 彼の掌には、小さな光の球が現れた。明るく輝く光の球を、羽華の元まで飛んでいくようにと《喪鬼の先祖》は、命じた。 光の球が、羽華の胸の中へと入った瞬間――《未来》の出来事が、頭の中へと流れ込んできた。


「!?」


最後に見えた光景に、羽華は、動揺していた。やがて光の球からの光景を見終わると《喪鬼の先祖》へと問いかけた。


「今の《未来》は…一体…!?」

【…私にも…分かりません。《未来》を回避する方法は……あなただけで、考えて見てください】

「……分かりました。努力してみま――」

【おっと……!】


体力の限界が、来たのだろう。羽華は、意識を失ってしまった。《喪鬼の先祖》は、彼女を抱き止めたと同時に腹部に寄生している夜業虫を霊符で祓い、両腕を黒く染めている《忌怨》の炎の侵食に対して祓うための言霊を唱えると、羽華の両腕は、元の色へと戻ることが出来た。



【よく頑張りましたね。羽華…】

「………」


《喪鬼の先祖》は、愛おしそうに羽華の頬を撫でた後、彼女を現世へと送るための言霊を唱えた。彼女の体全体を眩い光が包み込むと、姿が光の粒子となって《月裏の世界》の夜空へと飛んでいった。その光の粒子を、《喪鬼の先祖》は、消えるまで見守っていたのであった。



END



***


【奈多野 羽華編】END



next→ 【坂井 真樹絵編】へ続く。

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