【奈多野 羽華編】一第四話一



これから起こる、未来のことなんて知りたくなかった。

大好きな玲奈ちゃんが……緋都瀬君を傷つけた未来なんて…知りたくなかった。 私は、見えた未来に、目眩がして、その場に座り込んだ。 でも、この出来事を受け入れないと…私は、元の世界に戻れない。 また、依鬼がここに戻ってきてもおかしくないのだ。 あるいは……依鬼とは違う別の存在がいて、それが襲ってくるかも知れない。

そう思うと、怖くて仕方なかった。



誰か…助けてほしい。

心の中で強く願っても……お兄ちゃんは、応えてくれなかった。


シャン…シャン…


「?」


代わりに聞こえてきたのは、鈴を打ち鳴らしたような音が背後から聞こえたので、羽華は恐る恐る振り返った。


【我が子孫よ。 どうか、堪えてください…】

「…あなたは…?」

【私は…《喪鬼の先祖》です。あなたのことは、よく知っています…】

「………」


背後にいたのは、宮司の格好をした男性だった。鈴の音は、橙色の鈴が付いた錫杖から鳴らしたもののようだった。顔は、白い布のようなもので隠されていて、顔を見ることは出来なかった。すると《喪鬼の先祖》は、羽華が見ていた《未来で起こる出来事》を見たあと、もう一度羽華へと視線を戻すと言葉を言い放った。


【よく聞いてください…羽華。 これは、《喪鬼の試練》でもあります。 どうしても…受け入れられなければ……《流す》ことも出来ます。 ただし…《流す》ことが出来るのは、一度限りです。あなたには…もう一度…この世界に来て頂かねばなりません】

「………」

【今回は…あなたの《兄》の願いにより、特別に《流す》ことが出来ます。どうされますか…?】

「……流して…ください。 ごめんなさい…《喪鬼の先祖》様…」


羽華は、涙を流し頭を下げながら、《喪鬼の先祖》に自分の結論を伝えた。《喪鬼の先祖》は、羽華の目の前に一瞬で移動すると、彼女を見つめ、頭を撫でながら言った。


【謝る必要は、ありません。あなたは、何も悪い事はしていませんよ】

「……っ…」

【さあ…元の世界に戻れるように、私が…力をお貸しします。 私の手を、お取りください】

「………」


《喪鬼の先祖》から差し出された手に、羽華は、ためらいながらもその手を握りしめた。 握られた手から、眩い光が溢れ出すと羽華は、反射的に目を閉じたのであった。


***



あの不思議な出来事から、2カ月が経ったある日の事。 期末テストが終わり、明日から夏休みだということでクラスメイト達は盛り上がっていた。だが、羽華の耳にはクラスメイト達の声は入って来なかった。


「……」


羽華の中にあったのは、玲奈に対する怒りだった。何故玲奈が早起きしてまで、学校に向かったかを考えた時、すぐに答えは出た。 二ヶ月前に…《月裏の世界》で見た《未来で起こる出来事》が、現実に起こっただ。 あの出来事があった後、緋都瀬の頬は、少し赤くなっていたのを思うと心が痛んだ。


あの時は…《月裏の世界》に、迷い込んだ混乱と焦りと恐怖で、《未来で起こる出来事》を受け入れることは、出来なかった。


だが、今なら…できる気がするのだ。 今日眠って、あの世界に行ってしまう前に…玲奈に、言っておくべきことがあった。

決意を固めた羽華は、物思いに耽っている玲奈へと近付くと、話しかけた。



「玲奈ちゃん…ちょっと、いい?」

「…羽華?」

「話したい…ことがあるの。屋上に、一緒に行こう」

「…分かったわ」


二人は、教室を抜け出すと屋上へと向かったのであった。


***



屋上の扉を開くと、蒸し暑い風が二人を包み込んだ。 「あっつ…」と玲奈は短く言うと、扉を完全に押し開き、羽華を先に通した後、扉を閉めた。太陽は、相変わらず、眩しく屋上全体を照りつけていた。唯一扉付近と水タンク付近は日陰が出来ていたので、そこで話すことにした。


「で?話ってなに?」


【今だ。今しかないんだ!

わたしは思いっきり息を吸い込むと、思いきって言ってみた】


「……玲奈ちゃん、緋都瀬君を撲ったでしょ…!?」

「!!」


制服をパタパタとしていた玲奈の手が止まった。羽華は、今まで溜め込んでいた想いを出すかのように、続けて言い放った。


「ねえ…!どうして、緋都瀬君を撲ったのか教えてよ!!」

「……それは、」

「それは?」

「…秋人君じゃなくて、信司を選んだからよ」


【それだけ?それだけの理由で、緋都瀬君を撲ったの?彼がどんなに悩んで、苦労してきたのか……玲奈ちゃんだって知ってるでしょ? それなのに、彼にあんなことをしたの?】


「それだけの理由で、緋都瀬君を撲ったの!?」

「は?それだけの理由?」



羽華の言葉に、玲奈の我慢していた糸が切れたのが分かった。


「そ、そうだよ…!わたしは、緋都瀬君がどれだけ悩んで、苦労してきたか知ってるもの!その上で、信司君を選んだの! それなりに、玲奈ちゃんは…緋都瀬君のことを、責めたんでしょ!」

「だから!それは、緋都瀬に謝ったじゃない!!なんで、今頃蒸し返すわけ!?」

「そ、それは…!」


強く言い返してきた玲奈に羽華は怯んだ。怯んだ隙を玲奈は見逃さなかった。


「ああ、分かった…! あんた、昔から緋都瀬のこと好きだったもんね。だから、あいつのことになるとムキになったんでしょ…!?」

「それが、なに?好きな人のことを、心配するのがいけないことなの?」

「……っ……」

「きゃっ!」


――突然のことだった。 玲奈は、両手で羽華の体を壁へと力を込めて押した。冷たい壁に押し付けられた羽華は、悲鳴を上げた。


「…あんたに、分かるわけないわよ…」

「……玲奈ちゃん?」

「せっかく…あたしが、気を使ってやったのに…!!あんたはそれを台無しにしたのよ!!」

「……っ」


玲奈の顔は、今にも泣き出しそうだった。 足踏みするたびに、周りにはびりびりとした微弱な電流が走ったような衝撃がやって来た。 羽華は、その衝撃に、思わず両耳を両手で抑えた。


【このままではいけない。直感的にそう思った。玲奈ちゃんは気付いていない。私の目が、橙色の目になっていることに。

私の世界は、橙色に塗りかえられていた。そして、《最悪の未来》が見えてしまった】


「なによ!?もう、気が済んだの!?」

「れ、玲奈ちゃん……!! 落ち着いて…!」


【《最悪の未来》の中で、玲奈ちゃんが、叫んでいるのが見えた】



「今さら何言ってるの!?さっきから、何なのよ!?」


『羽華…!早く玲奈ちゃんを、止めるんだ…!!』


【頭の中で、お兄ちゃんが警告してきた。私は、焦る気持ちを抑えながら、玲奈ちゃんに叫ぶように言い放った】



「そのまま、足踏みしたら!!屋上が壊れちゃうって《お兄ちゃん》が言ってるの!!」

「え…?」


《お兄ちゃん》

その言葉に――玲奈はピタリと足踏みするのを止めた瞬間。


ピキピキピキピキ…!!


「あ…!」


玲奈のいた場所から、周囲に一気に亀裂が広がっていった。身動きがとれなくなった玲奈は、何が起こったのか分からないようだった。


「玲奈ちゃん…!手を、伸ばして…!!」

「………」

「早く!!」

「くっ…!!」


一歩でも踏み出せば――床は完全に崩壊する。 玲奈には自分が落ちて死ぬ予想が簡単に出来てしまった。 しかし、羽華は玲奈へと必死に手を伸ばしてきた。


【《さっきまで喧嘩をしていたのに、今さら『助けて』なんて言えない》

玲奈ちゃんの心の声を聞いた時――私は、泣きそうになりながらも、彼女に必死に、手を伸ばした】


玲奈の心の声を聞いた羽華は、手を伸ばし続けた。


【ここで、玲奈ちゃんを失うことになるなんて…私には、耐えられない…!】



玲奈は意を決して、羽華の方に向かって飛んだ。羽華の元に玲奈が辿り着いた時には――亀裂が入っていた場所は、崩落した。


「………」

「………」


円形に空いた穴を玲奈と羽華は、呆然と眺めていたのであった。



***



――学校を後にした私達の間に会話は、なかった。夕暮れに、沢山の蜩が、鳴いているのを聴いているだけだった。 私は…目を離した間に、一瞬で修復されてしまった屋上の天井について考えていた。


(きっと…あれは……《月裏の世界》の住人の誰かが、直したんだ)


依鬼以外に《月裏の世界》に、どんな住人が住んでいるかは分からない。こちらが昼間でもあの世界で、動ける住人のことなど分かるはずもなかった。


(もうすぐ…玲奈ちゃんの試練が終わる。 その時…私は、また《月裏の世界》に行かないといけないんだろうなあ…)


羽華がぼんやりと《月裏の世界》について考えていると――隣を歩いていた玲奈が、歩くのをやめた。羽華も同じように歩くのをやめ、玲奈へと問いかけた。


「どうしたの?玲奈ちゃん?」

「……悪かったわね…羽華…」

「え?」

「その…緋都瀬を撲ったことも…謝らないといけないし…あんたにきつく言い過ぎたのも謝るわ。 本当に…ごめんなさい…」

「……玲奈ちゃん…」


羽華から顔を反らしながらも、玲奈は、謝罪した。意外な言葉に羽華は、目を見開き、驚いていた。 玲奈は、ゆっくりと振り返ると、羽華を切なげに見つめながら、言った。


「こんなあたしでも…まだ、《友達》でいてくれる?」

「うん…!玲奈ちゃんのこと、嫌いになったりしないよ! ずっと、友達なのは、変わらないから……」

「ちょ、ちょっと…! 泣くほどのことじゃないでしょ…!」


――嬉しかった。玲奈ちゃんが、私のことを《友達》だって言ってくれたのが、本当に嬉しかった。

いつもあなたの背中ばかり追いかけていた。

いつもあなたに迷惑ばかりかけてしまっていた。

でも、あなたが…そう言ってくれたおかけで……私は、勇気と希望が持てた。

あなたが知ったら…きっと『大げさなんだから』って、笑うんだろうね。

それでも、いいよ。

あなたなら…《慈愛鬼の試練》を乗り越えられる。

あなたの番が終わったら…次は、私の番だ。 今の私なら、《月裏の世界》に行っても…大丈夫だと思う。


また、《みんな》で笑い合うために。

私は…やるべき事を全うしようと思う。

玲奈ちゃんに励まされながら、羽華は、心の中で決意していたのであった。 羽華が落ち着いた後…二人は元通りになり、アパートへの道を歩き始めたのであった。



END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る