【奈多野 羽華編】一第二話一
旧校舎の屋上での出来事の後…私と玲奈ちゃんは意識を失ってしまった緋都瀬君を保健室へと連れて行った。 私達は、緋都瀬君が目を覚ますまで待っていた。でも、いつまで経っても、彼は目を覚まさなかった。 心配になった私達は、保健室の先生である竹野 由実子先生に言った。
「このまま…緋都瀬君が目を覚まさなかったら…どうしよう…先生…」
「うーん…そうね…念のため、鏡野総合病院に運びましょうか」
竹野先生は考え込んだ後、私達に「あなた達はここで待ってなさい。すぐに戻ってくるわ」と言って、保健室を後にした。
「………」
「………」
保健室に残された私達の間に、会話はなかった。何かを話すべきだったが、私の頭の中は、今までの事を整理することで精一杯だったからだ。 頭の中で考えていたことは――ただ、緋都瀬君への罪悪感と、巻き込んでしまったことへの後悔だった。
しばらくしてから、救急車が到着し、救急隊の人のタンカーに乗せられた緋都瀬君は、運ばれて行った。私達も、鏡野総合病院に自転車を使って向かったのであった。
***
――私達が病院に到着してから、一時間後に緋都瀬君は、目を覚ました。その後、遊糸お義父さんと夕日お兄ちゃんが来て、私達に屋上で何があったのかを聞かれた。実は病院に向かっている途中で、私は、玲奈ちゃんと話していた。旧校舎でありのままに伝えても……大人は、簡単には信じてくれないだろうと。 なら、本当のことは伝えずに、誤魔化して、伝えてもいいのではないだろうか?という私の意見に玲奈ちゃんは、賛成してくれた。彼女も私と同じことを考えていたらしかった。
そうと決まれば、遊糸お義父さん達に話すのは、簡単だった。事情聴取の順番が、私に回ってきた時…私は、断言した。
『秋人君に…《呼ばれた》んです』
【これは、嘘じゃない。本当のことだ】
「《呼ばれた》?」
「…突然、頭の中に…秋人君の声が、聞こえてきたんです。 秋人君は、旧校舎の屋上にいたので、気になったから、行ってみたんです。 《呼ばれた》と思った時には、私の意識は……ありませんでした。 我に返ったら…屋上の…フェンス越しに立っていたんです」
「…ふむ…なるほどね…」
「そうだったんだ…」
【ごめんね…遊糸お義父さん…緋都瀬君。 ちょっとだけ嘘をついた。 秋鳴さんに《呼ばれた》のは、本当のことなの。でも、意識は無かったっていうのは――嘘なの。
あの時…わたしの意識は、ちゃんとあった。嘘と本当のことを織り交ぜないと…大人は信じてくれないと思ったから、こんな言い方をしちゃったの。
緋都瀬君には…あとで、ちゃんと話そう。せめて、彼が《慈悲鬼の試練》を乗り越えられるまでは、そのままにしておこう】
僅かに震えながら、話していた羽華に気付いた玲奈は、彼女の手を握りしめていた。
『……っ』
『………』
【大丈夫よ…羽華。あんたは…悪くない】
『………』
(玲奈ちゃん…ありがとう…)
羽華の頭の中で、玲奈の声が響くと、泣きそうになった。心の声が聞こえることが、今はありがたいことのように感じた。
その後…緋都瀬君のお父さんである泰斗さんが来て、遊糸お義父さんは出て行くように言われてしまった。 私と玲奈ちゃんも慌てて、緋都瀬君の病室を後にしたのであった。
***
病院からの帰り道にスーパーへと買い出しに向かった。
夕日お兄ちゃんと私と玲奈ちゃんは、三人でアパートに住んでいて、一週間ごとに役割分担が変わることになっている。
今日は、私と玲奈ちゃんが料理と買い出しの担当だった。夕日お兄ちゃんは洗濯と掃除の担当だ。
「今日は…好きなものを買ってきていいぞ」
「えっ?ホントに!?」
「ああ。 遊糸父さんに多めにもらっておいたから、お金のことは心配しなくていいよ」
「やった!ねえ!羽華!! 今日はお肉料理にしない?これだけあれば、あとにも余裕が出てくるでしょ!」
「う、うん!そうだね!」
夕日お兄ちゃんは、先に帰ると言った為、買い出しのためのお金を見た時は驚いた。
…たぶん、今までにないくらいのお金だったと思う。 緋都瀬君が、無事に目を覚ましたということもあって、私と玲奈ちゃんも安心したんだと思う。
玲奈ちゃんのテンションが上がり、夕日お兄ちゃんにお礼を言ったあと、自転車へと跨がるとそのまま行ってしまった。
慌てて、私も、夕日お兄ちゃんにお礼を言うと玲奈ちゃんのあとを追いかけために、自転車へと跨がると彼女のあとを追いかけた。
(また…玲奈ちゃんの背中を見てるなぁ…)
小さな頃から変わらない。玲奈の気の強い性格を苦手と思ってしまった時期もあったが、玲奈は、そんなものはお構いなしに羽華を大切にしてくれた。 羽華にとって《いつもの日常》はとても愛おしいものに感じた。
「………」
(《いつもの日常》……か…)
ふと、秋人のことが脳裏をよぎった。 あれは、秋人の姿を真似た秋鳴だった。それでも、秋人が言っていた『助けてくれ』というのは、彼の本心だと思った。
考え事をしている間に、スーパーへと辿り着いた。さすがに玲奈もテンションを上げながら買い物は、しなかった。
「野菜ってまだ残ってたよね?」
「うん。あったよ」
「じゃあ…久しぶりに肉じゃがにする?」
「賛成!夕日お兄ちゃんの大好物だもんね!」
「ふっふっ〜…!! 今日こそは、あの能面みたいな仮面をはいでやるぐらいの肉じゃがを作ってやるんだから…!!」
「れ、玲奈ちゃん…?」
(なんか、悪巧みする魔女みたい…)
玲奈はかごを乗せたカートを押しながら、まるで悪巧みをする魔女のような言い方をした。本人にこれを言えば怒られるのは分かっているので、心の中で思うことにした。
肉じゃがを作るための材料を買い、ついでに自分達の好きなお菓子やジュースも買っておいた。 会計のレジに、持って行くと、一万円以内に収めることが出来た。 二人で協力しながら、買い物袋に詰め込むと自転車置き場まで早足で向かった。
「よいしょっと!羽華!そっちはいける?」
「うん…!なんとか…!」
重い買い物袋を自転車の籠に入れ、二人は周りの人や通りかかる車に気をつけながら後ろへと下がっていき、自転車をゆっくりとこぎ始めた。 アパートに帰る頃には、すっかり日が暮れていた先に着いた玲奈は、自転車置き場に自転車を置くと籠から買い物袋を取り出した。
「はあ〜!おもったい!!」
文句を言いながらも、玲奈はアパートの階段を上り、二階の部屋の前まで来ることが出来た。 手を持ち替えて、片手で扉を二回ノックする。 すると、扉がすぐに開き、夕日が出て来た。
「ただいま〜!」
「お帰り。 これ、持つよ」
「い、いいって!!これぐらい、持てるわよ!」
「無理するな…」
「あっ…!」
夕日は、玲奈を玄関へと通すと、すぐに買い物袋を台所へと持って行った。玲奈は頬を膨らますと、背中を向けている夕日に向かって舌を出したあと、羽華を迎えに行くために、一階へと戻っていった。
「羽華〜!大丈夫?」
「はあ…はあ…」
自転車置き場には、必死に買い物袋を持ち上げようとしている羽華がいた。玲奈は、声をかけながら、羽華の元まで辿り着くと買い物袋を持ち上げた。
「重た…!あんた、よくこれ持てたわね!」
「き、気合で何とかなったんだけど…自転車置き場に着いたと思ったら、気が抜けちゃったの…」
「な、なるほどね〜…」
「私も…片方持とうか?」
「いいよ!先に玄関の扉開けといて!」
「は、はーい!」
二人で言い合っている内に、アパートの二階へとやって来た。
羽華が玲奈の姿が見えた瞬間、扉を開けて、彼女が入っていくのを見ると、自分も中へと入った。 やはり、玲奈が玄関へと入った時に夕日は買い物袋を持って行ってしまった。
先程と同じことをされた玲奈は、「もう〜!!いいって言ってるでしょ!!」と激怒したが、夕日は「女の子にいつまでも重い荷物を持たせるわけにはいかないだろ」と言い返した。
ちょうど羽華を挟んで、夕日と玲奈は、言い合っていたので、たまったものではなかった。
「ま、まあまあ…いいじゃない…玲奈ちゃん…」
「……ふん!羽華に免じて許してあげるわ!」
「そりゃどうも。 ほら、二人とも…手を洗っておけ。鞄は俺が取りに行くよ」
「「あ!」」
羽華と玲奈は、夕日の言葉にようやく鞄の存在を思い出した。
買い物袋に夢中になっていて、鞄のことを忘れていたのだ。
二人の反応に、夕日は微笑すると「すぐに戻る」と言って玄関に向かっていき、部屋を後にした。 残された二人は、お互いに赤面すると、無言のまま洗面台に向かったのであった。
***
しばらくすると、夕日が二つの鞄を持って帰ってきた。着替え終わった玲奈と羽華は、早速肉じゃがを作る準備を始めた。
「……」
(夕日お兄ちゃんに、ばれないように作らないとね…!)
夕日は、食材を見ただけで何を作るかを当ててしまうことがあった。そこで、買い物中に、玲奈と一緒に考えた作戦があった。 まずは、夕日に鞄をとってきてくれたことにお礼を言った。彼が手を洗った後、部屋に戻って着替えてくるまでが勝負だ。
夕日が部屋に戻っていったのを確認すると、玲奈と目を合わせ、こくりと頷いた。 肉じゃがのメニューを見ながら、二人で手早く作りあげていく。 5分で出てきた夕日は、リビングのソファーに座るとテレビを見始めた。 夕日の一つ一つの動作に気を配りつつも、玲奈は肉じゃがを作り、羽華はご飯を入れたり、リビングにある机を拭き、コップを並べ、お茶を入れたりしていた。
「……」
(そろそろかしら…)
鍋の中を覗きながら、玲奈は待っていると…携帯で設定しておいたアラームの音が鳴った。 携帯のアラームを止めると、小さなお皿を取り出し、お玉で汁を掬い取った。
「うん。おいしい…はず…!」
「……」
(ふふ…ホントに玲奈ちゃんは、料理してるときは楽しそうだなぁ…)
傍で見守っていた羽華は、味見をする玲奈を見て目を細めていた。 すでにご飯を食べるための用意は、整っていた。 玲奈は、鍋の火を消すと、出来上がった肉じゃがを三つの皿へと盛り合わせていった。 三つの皿をお盆に乗せて、玲奈は、リビングへとやって来た。
「お待たせ。出来たわよ!」
「…今日は、肉じゃが…か」
「そうだよ!夕日お兄ちゃんに食べてほしくて…!! 玲奈ちゃんが、頑張って作ったんだよ!」
「……そうか…」
羽華の言葉に、夕日は少しだけ笑った。玲奈が来たことで、三人揃った。
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきます!」
「いただきます」
三人は手を合わせると、肉じゃがとご飯を食べ始めた。玲奈と羽華は肉じゃがを食べる夕日の反応が気になったので、ご飯を食べながら、彼の様子を伺っていた。
――肉じゃがを食べた夕日は、一筋の涙を流していた。
「「!!」」
「………」
すぐに夕日は、涙を掌に拭い去ったが、玲奈と羽華にとっては衝撃的だった。
スーパーで買い物している時に、玲奈が話していた通り…夕日は、無表情であることが多かった。 時折笑うことも見かけるが、昔の夕日を知っている二人は、笑うことが減ってしまったように感じていた。 玲奈と羽華は、顔を見合わせると、傍にいた羽華が夕日へと声をかけた。
「夕日お兄ちゃん…大丈夫…?」
「…大丈夫だ…」
「…肉じゃが、美味しくなかった?」
「いや…おいしいよ。まさか…俺の好物を作ってくれたとは思わなくてな。 驚いただけさ」
「そ、そう。 なら、いいんだけど…」
「玲奈…羽華。ありがとうな…」
「どういたしまして。喜んでくれて、よかったね。玲奈ちゃん」
「そ、そうね…!じゃあ、今日はあたしの勝ちってことで!」
「玲奈の勝ち…?」
「……っ……」
「う、ううん!何でもないの! 気にしないで!」
「?」
本音が出てしまった玲奈に羽華は、まずいと思い、すぐにフォローを入れた。二人の様子に夕日の頭には疑問符が浮かびながらも、肉じゃがを食べ続けていたのであった。
END
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