【奈多野 羽華編】一第一話一



小さい時から、私は誰かの背中を追いかけていた。

例えば、玲奈ちゃんの背中。 例えば、両親の背中。

例えば、緋都瀬君の背中。 私が一番好きだった背中は、お父さんの背中だった。広くて大きくて……私が、飛びついても平気だといつも笑っていた…気がする。


『お父さんの背中、大きいね!』

『ふふふ〜そうだろそうだろ〜!もっと甘えてもいいんだぞ。羽華!』


顔に白い靄がかかったお父さんは、私に振り向きながら言った。 私は、両親の顔が思い出せないことに、心に小さな棘が、沢山刺さったかのような錯覚に陥っていた。


『もう…あなた…! あんまり、羽華を甘やかさないでください』

『え〜…いいじゃないか』


お父さんと同じように、顔に白い靄がかかったお母さんが呆れたように言った。 幼い私は、慌ててお父さんに、謝った。


『ご、ごめんね。お父さん…痛かった…?』

『うん? 全然痛くないよ』

『そっか…よかった…』

『…羽華。 家でも元気なんだから、学校でも元気よくお友達にご挨拶できるでしょ?』

『そ、それは……えっと……』


母の言葉に、私は、顔を下に向けた。そう。私は…昔から気が弱くて、いつも玲奈ちゃんの後ろに隠れていることが多かった。 更に声が小さいことで、凪君にからかわれたこともあるのだ。 凪君にからかわれていると、いつも助けてくれたのが――緋都瀬君だった。


『でも…緋都瀬くんが、助けてくれるもん…』

『ん?なんて言ったの?』

『な、なんでもないよ!』


羽華は恥ずかしがり、父の背中にぴったりと引っ付いた。それを見た母は呆れたような顔をしていた…と思う。



***



――いつも、私は、怯えていた。 誰かに頼らないと生きていけない、弱虫だった。 変わりたいと思った。ううん。違う。 《何度も》変わろうと思ったの。私なりに努力してみたの。 簡単なことから始めてみようと、お母さんに言われた《元気よく挨拶すること》を玲奈ちゃんに言ってみた。


『玲奈ちゃん……おはよ…』

『え?なんて?』

『お、おはよう!』

『あ、ああ…おはよう…』


私の声が小さくて、何度も玲奈ちゃんに問い返された。時には彼女が苛立ちを感じて、怒ることもあった。

本人を前にすると…《元気よく挨拶すること》は、すぐに出来ないと思った。 大きな声を出すことは、苦手なことだった。 その後も、何度も簡単な目標を設定して、挑戦してみた。でも…1度も、目標を達成できなかった。

自分自身が――嫌いになった。こんな…簡単なことも出来ないなんて、どうかしていると思った。 私が、自分自身を責めていると――ふと、頭の中で声が聞こえた。


【ハネカ。 どうか、自分を責めないで…】

「………」


秋人君が《復讐鬼の試練》に失敗し、行方不明になってから、一ヶ月が経ったある日のことだった。 声の持ち主は、優しそうな男の人の声だった。 初めは、幻聴かと思った。過去に私に……こんなに優しく言ってくれる人は、いなかったはずだ。 それだけではない。不思議な出来事は、頭の中で男の人の声が聞こえるようになってから、始まった。


「……」


休み時間に、女子生徒達が楽しく会話しているのを聞いていると、耳鳴りがして羽華の頭の中で声が聞こえて来るのだ。


「帰りに、どっかお店に寄っていかない?」

【どうせ、ヒマなんでしょ?付き合いなさいよ】

「え〜…また行くの〜?なんか、面倒な〜」

【ばーか。誰があんたとなんか行くもんですか。一人で勝手に行けよ】

「わ、私…一緒に行くよ!今日、何も予定ないし…」

「……」

(いつも…美花ちゃんだけは、聞こえないんだよね…)


女子生徒達が話している中で、一番羽華が気になっていたのは…同じ美術部で、読書が好きな遠野 美花だった。 美花は、大人しく誰に対しても優しい性格で、羽華ともすぐに仲良くなった。彼女は、他の女子生徒たちと一緒に教室を後にした。

美花からは、悪口を言っている声は聞こえなかった。

ただ、心配なことがある。美花が、問題児と呼ばれている阿阪 志保、森野 和代といて平気なのかという所だった。


(美花ちゃんに何かあったときは…私が助けてあげなきゃ…! でも…私に、そんなこと出来るのかな…)


羽華が物思いに浸っていた――その時だった。


【羽華…】

「……っ……」


頭の中で、秋人の声が聞こえた。羽華は、立ち上がると周りを見渡した。 すると、窓の向こうにある旧校舎の屋上で、黒い人影のようなものが見えた。


「………」

(秋人君なの…?)


新校舎から、旧校舎まではそれ程離れてはいなかった。目をこらして、もう一度見ていると――頭の中で橙色の鈴が鳴った。


チリンチリン…


【こっちに…来てくれ…俺を、助けてくれ…】

「……っ」

(待ってて…!秋人君!すぐそっちに行くよ!)


羽華は秋人らしき声に心の中で返事をし、一人頷くと立ち上がった。 慌てて教室を飛び出すと、旧校舎の屋上へと向かって行った。


***



「はぁ…はぁ…はぁ…」



新校舎から旧校舎の屋上まで、早歩きしながらもようやく辿り着いた羽華は息を整えながら、黒い人影――秋人の姿を探した。


「…秋人…君…来た、よ…」

『……………』

「……あれ…?」


ドクン…

黒い着物を着た秋人の姿を見た瞬間――羽華の心臓が高鳴った。 秋人の姿に、羽華は《違和感》を感じていた。


【本当に…来てくれるとは思わなかったよ…羽華】

「…あなたは、誰…?」


嫌な予感がしつつも、羽華は秋人の姿をした《誰か》に問いかけた。


【俺の名前は…《五十嵐 秋鳴》。 秋人の双子の兄だ】

「……っ」

(う、嘘…!秋人君の、お兄さん…!?)


羽華は目を見開き、反射的に後ろへと下がると、屋上のドアへと向き直り、開けようとしたが――ドアには、鍵がかかっていた。


「あれ…!?なんで!?」

【オレが、閉じたからだよ…!】

「あ…う…!」

(体が…動かない…!)


秋鳴は瞬間移動で、羽華の後ろに立つと彼女を抱きしめるようにした。耳元に口を近づけられ、吐息だけを感じると羽華は、身震いした。


【お前には……ヒトセとレイナをおびき寄せるための《エサ》になってもらうぞ】

「え…!?なにを…するつもりなの…?」

【コウスルンダヨ…!!】

「!!」


音もなく、秋鳴の手に鉈が現れると、鉈を羽華の腹部へと突き刺した。突然のことに羽華は、ついていけなかった。

秋鳴の手から黒い虫が、鉈を伝っていき、羽華の中へと入って行った。 黒い虫たちが完全に中に入ると、羽華の体が大きく跳ねた。彼女は、声にならない悲鳴を上げた後、羽華の体から力が抜け、地面へと座ってしまった。


【今、お前の中に入れたのは……皆を、不幸にする虫たちだ】

「…………」

【お前が生きているだけで、お前が大切だと思っている奴らは不幸になっていくんだ。 例えば…そうだな…クラスメイトが突然車にひかれたり…大好きな人が、病気にかかったりしたりと…降り掛かる災いは、人それぞれだが…その《不幸》の源は……お前が生きてるから、起こるんだよ】

「わたしが……生きてるから、起こる…不幸…」


虚ろな目をしながら、秋鳴の言葉を聞いていた羽華は、思い人である緋都瀬や玲奈のことを思い出した。


【皆を不幸にはしたくないだろ? だったら…あそこから飛び降りろ…!】

「…はい。 わかり、ました…」


秋鳴がフェンスの方を指さすと、羽華は素早く立ち上がり、フェンスの方へと早足に歩いていった。秋鳴は、口元に笑みを浮かべると、羽華の後について行く。 羽華は、軽々とフェンスを乗り越え、金網を後ろ手に掴むと下を見つめていた。

すると、下の方にぽっかりとした黒い穴が横長に広がっているのが、見えた。


「……こわい…」

【ハハ…!怖くはないさ。大丈夫。俺が、ちゃんと見てるよ…】

「…………」


腹の奥底にいる黒い虫に『早く飛び降りろ』と言われているような気がする。後ろからも秋鳴に見つめられ、促されているのが分かった。 それでも、羽華は一歩足を踏み出すことを躊躇していた時だった。


「はぁ…はぁ…はぁ……アキ!!」

「はぁ…はぁ…羽華!!」

『…………』

【チッ…やはり、来たか…】

「緋都瀬君、玲奈ちゃん…!」


息をきらしながら、玲奈と緋都瀬が、秋人と羽華の名前を呼んだ。 羽華の瞳に、光が戻ってきたのを見た秋鳴は、舌打ちするとゆっくりと玲奈達に振り返った。 羽華は、玲奈達を見つめることしか出来なかった。


「秋人君…羽華に何をしたの…!?」

『………』

【ウルサいんだよ…!!】

「何とか言ってよ!!あたしたちがどれだけ心配して、」

「危ない!!」

「!?」


秋鳴は玲奈に苛立つと、手に鉈を形成し、瞬間移動を使って、玲奈の前に現れると振り下ろした咄嗟に緋都瀬が彼女を庇ったが、鉈が腕に掠ってしまった。



「くっ…!」

「やめて!緋都瀬君を傷つけないで!!」

『………』

【だったら、今すぐ!!そこから飛び降りろよ!!】

「…私が、ここから飛び降りたら…あなたは満足するのね?」

『…………』

【アア…満足だ。さあ、早くしろ…ヒトセ達が傷つく姿は、見たくないだろ…?」

「…………」

「な、何言って…!!」


羽華の言葉に秋鳴は再び、彼女の方へと振り返った。 秋鳴がニヤリと笑い、小さく頷くと…羽華は緋都瀬達に背中を向けた。 緋都瀬は秋人の横を通り抜け、羽華の元まで駆けつけようとしたが、秋人はそれを許さないとばかりに自分の太股に鉈を突き刺した。


「あっ!?いってぇ!!」

「!?」

『…………』


羽華は驚き、振り返った。 緋都瀬は突然何かを刺されたような感触を太股に感じたのだ。 勢いよく倒れた緋都瀬に羽華は、泣きそうな顔をしながら言った。


「ダメ…やめて…!!わたしがやらないとダメなの…!みんな、不幸になっちゃうの…!」

「…羽華ちゃん…落ち着いて…」

「落ち着けるわけないでしょ!!あんな夢を見て、落ち着けるほうがおかしいよ!!」

「もしかして…君も…みたの?」

「………」


《夢》という言葉に、立ち上がろうとした緋都瀬の動きが止まった。 無言で頷いた羽華に緋都瀬は顔を歪めると、立ち上がってから言った。


「ごめん。 辛い思いさせて…本当に、ごめんね…」

「……緋都瀬君…」

「試練を…乗り越えられる方法を探そう…俺と玲奈ちゃんと、一緒に一一」


緋都瀬の言葉を遮るかのように――緋都瀬の腹部に、秋鳴の鉈が突き刺さった。


「あ…うっ…は…」

『…お前ダケガ、シアワセニナルナンテ、ユルサナイ』

「…はは。やっと、喋ったと思ったら…アキじゃなかったんだな…」

『オレは、ダレデショウカ?』

「…《五十嵐 秋鳴》。秋人の、双子のお兄さん…でしょ?」

『ダイセイカーイ!!』


緋都瀬が秋鳴の名を口にすると、鉈を引き抜き、もう一度刺した。


「ぐっ…!」

『ホラ…さっさと羽華ヲ連れ戻さないと、太腿も突き刺すゾ?』

「羽華ちゃん!戻ってきて!」

「で、でも…!」

「いいから!!俺を信じて!!」

「………」


足を引きずりながらも、何とかフェンスに辿り着いた緋都瀬は羽華へと声をかけた。


【目の前に、大好きな人がいる。 その人が叫んでいる。戻ってこいと。俺のことを信じて、戻ってこいと言っている。

私に出来るのは――少しでも、彼の足手まといにならないことだ…!】


羽華はフェンスの向こう側に戻ることを躊躇っていたが、緋都瀬の『信じろ!』という言葉に、息を飲み込んだ。 彼女の視線は、背後にいる秋鳴が何もしてこない事を確認すると、羽華はフェンスを乗り越え、緋都瀬の胸元へと飛び込んだ。


「くっ…!大丈夫!?」

「う、うん…!それより、早く逃げよう…!」

「この!」

『ア?』


何とか羽華を受け止めた緋都瀬は、屋上の扉へと向かった。

少しでも時間を稼ごうとしたのか、玲奈がパイプで秋鳴へと殴りかかったが一一幽霊のようにすり抜けてしまった。


「す、すり抜けた…!?」

『………』

【何をやっても無駄だよ…!!ケケケケケ…!!】

「……っ…」

「今は逃げよう!!玲奈ちゃん、早く!!」


頭の中で、秋鳴の笑い声を聞きながら――緋都瀬達は屋上を後にしたのであった。


END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る