【篠原 玲奈編】一第五話一



女性は、鬼の面を半分に割ったような仮面を被り、全身を黒く染まらせていた。 持っていた扇で口元を隠すと女性は、《兄》に対して言い放った。


【わざわざ、妾が出てきてやったのだ。さっさと出てこぬと…坊やの腸を引き裂いてやるぞ?】

「ダメよ!!そんなの!!」

「玲奈…」


玲奈はきつく女性を睨み付けると、凪のことを更に強く抱きしめた。凪はもう、何がどうなってるのか分からない様子で、呆然としていた。


【ホホホ…ほんの冗談ぞよ。そう睨むな…妾の可愛い子孫よ】

「やっぱり、あんたは…《慈愛鬼の先祖》なのね…!」


先ほどから玲奈は、考えていたのだ。 特徴的な笑い方と貴婦人のような喋り方から、女性が《慈愛鬼の先祖》だと分かった。 すると、凪の腹部が大きく蠢いた。


「うっ、あ…あ…!」

「凪…!どうしたの!?」

【慌てるな…玲奈よ。ふむ…なるほど…】


慈愛鬼は屈み込むと、凪の腹部を触っていた。彼女は、独り頷くと、玲奈に向かって言った。


【彼奴は…そなたが、坊やを許すというならば……証を見せろと言っておるぞ】

「証って…なに…?」

【口吸いをするのだ】

「く、口吸いって……キスッ!?」

「!?」


凪と玲奈は慈愛鬼の言葉に、同時に顔を赤らめた。慈愛鬼は、扇子で自らの口元を隠しながら笑うと言った。


【さよう。ほれ、早く口吸いをしなければ……お前の《兄》の浸食が、坊やを闇に包んでしまうぞよ】

「……っ」

(凪にキスするってことは……秋人君のことは、諦めろってことよね…)


女の勘というものは、恐ろしいものだ。嫌なことだけが、当たってしまうのだから。

玲奈の考えてあることが分かったのか…慈愛鬼はまた静かに笑っていた。 まるで、自分の考えていることは、当たっていると肯定されたも同じようなものだからだ。 玲奈が迷っているのを見て、凪は弱々しく手を握りしめながら言った。


「…嫌なら…しなくても、いいんだぞ…」

「何言ってるのよ。あんたが……無駄に気をつかなくていいわよ」

「……」

「目を閉じて。凪…」

「あ…」

(玲奈の目が…桃色に、光ってる…)


玲奈が、微笑んだと同時に――彼女の目は、桃色に光っていた。 桃色の目を見た瞬間――凪の目は、虚ろになると自然と口が開いていた。口吸いがしやすいように、玲奈は凪の体の上へと馬乗りになった。


「あんたを――許してあげる。凪…」

「……」


その言葉に、凪は一筋の涙を流した。 玲奈と凪の唇同士が触れ合った。深く、口付けたあと、玲奈の方から唇は離れていった。凪の上からゆっくりと降りた玲奈は、慈愛鬼の方へと振り向くと、言った。


「これで、いいんでしょう…?慈愛鬼…!」

【ホホホ…!久方ぶりに良いものをみせてもらったぞよ…!では…褒美として、そなたには《妾の半身》を預けると共に…《兄》についても思い出せてやろうぞ】

「え…?半身を…預ける…?」

【ただ…《妾の半身》は、暴力的故、そなたの中で暴れるやも知れぬなぁ…?】

「ちょっと待ってよ…!!そんなの聞いてないわよ…!!」


ニタリと笑った慈愛鬼に、玲奈の全身に悪寒が走った。段々と近付いてくる慈愛鬼に玲奈は後退るが、壁に背中がついてしまい、逃げられなくなった。


【ホホホホ…!怯えなくても良い。すぐに、慣れる】

「いや、やめて…!来ないで…!」


慈愛鬼の黒い手が、玲奈の手をすり抜けると頭を掴まれた。


「あっ…う…!」

【これからは…《兄》と共にずっと、一緒にいられるぞよ?】

「お兄ちゃんと…ずっと、一緒に…?」


黒い手は凪の腹部から、黒い塊を取り出すとそれを玲奈の腹部へとゆっくりと押し入れていく。


「あああ!!あ、あ、あ…!」

【……願わくば…我らの長様を…鬼巫女から、取り返しておくれ…】

「え…?」


ぽつりと言い放った慈愛鬼の言葉に、玲奈は目を見開いた。しかし、それも一瞬のことだった。

頭からやって来た《何か》は、突如として暴れ始めたのである。


「あああああああ!!いやあああああ!!」


頭だけでなく、全身を右往左往と暴れるたびに玲奈に苦痛となって襲いかかってきた。 慈愛鬼は、苦しみ、悲鳴を上げ続ける玲奈を包み込むように抱きしめた。


【耐えるのだ…!玲奈よ…!】

「いや、あ、あ、あ……!! う、はあ、あ…!」

【これを乗り越えれば…そなたの望んでいる《あの方》に…会えるのだ…!】

「あ…あ…あ…」

(秋人…君…)


玲奈の頭の中で……黒い着物を着た秋人が、見えた。 慈愛鬼は小さく痙攣を繰り返す玲奈を見守った。やがて痙攣が、収まっていくと玲奈は――意識を失った。


***



チリリン、チリーン…


「ん…ここは…?」


鈴の音が聞こえた共に、玲奈は目を覚ました。体を起こすと、水の音がして、下を見ると――黒い水面が広がっていた。


「……っ……」


慌てて後ずさりするも、そこには、黒い海が広がっていて、どこにも逃げるところがないことに気付いた。 すると、強烈な痛みと共に頭痛がした。思わず頭を押さえた。


「いったい…!くっ…!」


しゃがみ込んだと同時に――幼い頃の記憶が、走馬灯のように流れ込んできた。



【燃える家に、《誰か》に殺された両親に泣きついている――あたし。 あたしを後ろから抱きしめて…慰めている…お兄ちゃん…】


あなたは、あたしを迎えに来ると言った。待ってろって言った。 でも、結局…迎えに来なかった。小さなあたしはお兄ちゃんに見捨てられたと思って、絶望して、思いっきり、泣いた後…強くなったんだ。


『玲奈…ごめんな…』

「………」


ゆらりと現れた《黒い影》は、玲奈のことを抱きしめていた。《兄》は顔を下に向けて、泣いていた。


『何でもする。お前に許してもらえるなら…何でもするから……だから、俺のことを――』

「《麗牙》お兄ちゃん…でしょ?」

『――』


玲奈は愛おしそうに…兄の…《篠原 麗牙》の手を、撫でると、続けて言葉を言い放った。


「思い出すのが…遅くなって…ごめんね…」

『あ…ああ…!!いいんだ…!そんなこと、謝らなくていい…! やっと…思い出してくれて、ありがとう…!』


麗牙は、黒い涙を流しながら、闇に溶け込むように、消えていった。玲奈の中へと戻っただけと自分を、納得させた。 兄のことを思い出せたことに胸を撫で下ろすと、玲奈は後ろへと振り返った。 そこには、六つの鳥居と黒い着物を着た秋人が、いた。


「秋人君…! 絶対に…連れて帰るからね…!」


秋人までの距離は三百メートルほど、離れているだろう。おおよその距離なので、正確には分からない。 玲奈は、重心を低くすると走る態勢に入った。彼女はただ、走るのではない。 元々の足の速さを生かすと共に、瞬間移動を使い、秋人の元まで一瞬で着くという計算をしたのだ。


「待ってて…秋人君…!!」


玲奈は大きく一歩を踏み出した瞬間――彼女の姿は、消えた。 もう少しで秋人に届く…そう思った時だった。


「!!」


六つの鳥居の内にある黒い鳥居に、玲奈は、弾き飛ばされた。 慈愛鬼の半身の力で、衝撃は抑えられた。すぐに態勢を立て直し、秋人の元に近付こうとするも、また弾き返されてしまった。


「なんで…!?もう少しなのに…!!」

【玲奈…】

「秋人君…!すぐにそこから、出して――」


振り向いた秋人の顔を見て、玲奈は言葉を途切れさせてしまった。 彼の両目には、黒い空洞が広がっていた。 玲奈は、両手で口を覆った。

信じたくなかった。目の前にいる秋人は、別人のようになっていた。心なしか、以前よりも体が細くなり、顔色も正気がないように感じた。


【何故…ここに来た…?ここが、どれだけ危険なところか…緋都瀬達に聞かなかったのか…?】

「……あたしは、一人だけで…あなたを助けようって思ったの」

【…お前一人だけでは、無理だ】

「どうしてよ!?あたし、慈愛鬼の力を二つも持ってるのよ!!それなのに…!」


悔しげに唇をかみしめ、下を向いた玲奈に、秋人は、困ったように笑うと言った。


【玲奈…よく聞くんだ。 人間は、一人では生きていけないんだ】

「!」

『俺を助けたいというお前の気持ちは嬉しい。だが…緋都瀬達と…一緒に力を合わせなければ、意味はないんだ』

「じゃあ…ここで、あなたを諦めて…現世に帰れっていうの…!? そんなの、あたしは嫌よ!!」

【……っ】



玲奈は掌に慈愛鬼の力を集中させた。すると、桃色の扇が現れた。扇を黒い鳥居へと叩きつける。 しかし、黒い鳥居には、何も効果はないようだった。


「この!!」

【やめろ!玲奈!! 鳥居を壊そうとすれば、お前にどんな災いが起こるか分からないんだぞ!!】

「いいのよ!!あたしのことなんて!!あたしは……あなたを取り戻したい!! 連れて帰りたいって思いだけで、ここまで来たのに!!

何の成果も得られないまま、現世に帰ったら……緋都瀬達に合わす顔がないもの!!」

【…玲奈…】


――あなたのことが、ずっと好きだった。 この三ヶ月間、あなたのことだけを考えて、生きてきた。

あと、あたしは…緋都瀬に謝らないといけなかった。 あいつに…嘘をついたから。 慈愛鬼の使命は、秋人君を黒い海から救い出すことじゃない。


本当の試練の内容は…【過去に《愚かな行為》をしたものを許せるかどうか】という試練だった。 つまり……いじめていた凪を許せるのか…ということだった。 その結果…あたしは凪を許した。 だから、慈愛鬼の力を手に入れられた。 慈愛鬼からは、『長様を連れ出すのは至難の業よ。そなただけでは無理だ』って言われてた。


でも…目の前に秋人君がいるのに諦めるなんて、したくないのよ…!!なのに、扇を持つ手が段々と痛み始めてきた。玲奈の背後では――黒い海の住人たちが、玲奈へと向かって来ていた。


「はあ…はあ…はあ…!!」

【もう、やめるんだ…!玲奈…!!】


肩で息切れしている玲奈に、秋人は、彼女の前までやって来ると結界に、手を添えて言った。


「どうしてよ…!なんで、あなたが……こんな目に合わなくちゃいけないの…!!」

【さっきも、言っただろ。 俺を助けたいっていうお前の気持ちは、嬉しいって…】

「……秋人君…!」


掌から感じる痛みよりも、秋人からの言葉の方が痛かった。 秋人は、空洞となった目を閉じると、ゆっくりと頷いた。


【……お前を…現世に送り返すように…慈愛鬼に、命じておいた】

「え?」


黒い海の底から、伸びてきたのは――大量の黒い手だった。 黒い手達は、玲奈の腰のあたりまでやって来ると、徐々に体が沈んでいく。


「な、何これ…!!全然、動けない…!!」

【大丈夫だ。その手が、お前を…現世へと帰してくれる】

「や、やだ…!!秋人君!!」

【…サヨナラ…玲奈。 二度とここには、来るな…】

「秋人君…」


玲奈の体を黒い手が、覆っていく。 意識を失う直前に見たのは…秋人の、寂しげに笑った顔だった。



***



――玲奈は、重い瞼をゆっくりと開いた。 そこには、心配そうに玲奈を見つめていた羽華と夕日、緋都瀬がいた。


「玲奈ちゃん…!よかった…! 目が覚めて、本当によかった…!!」

「わっ…羽華…」


羽華は目に涙を一杯に溜めると、玲奈へと抱きついた。突然羽華が、抱きついてきたことに玲奈は驚きつつも、彼女の背中を撫でた。 緋都瀬は、目を細めながら、言った。


「羽華ちゃんから連絡があってね。 玲奈ちゃんが、アパートの1階で倒れてるっていうのを聞いて、慌ててやって来たんだ」

「…そうなんだ…」

「玲奈。試練達成…おめでとう」

「……嬉しくないわよ…」

「…玲奈ちゃん…」

「………」


夕日の言った言葉に、玲奈は目を反らしながら言った。羽華と緋都瀬は玲奈にどう言葉をかけたらいいか、分からなかった。

玲奈はふと、気付いたように緋都瀬へと顔を向けると、頭を下げた。


「ごめんなさい…緋都瀬。あたし、あんたにあんな偉そうなこと言いながら…秋人君を連れて帰ることが、出来なかったわ…」

「…玲奈ちゃん…謝らないで。俺だって…秋人を助けることが、出来なかったんだ」

「……」


今度は緋都瀬の言葉に玲奈は、何と答えたらいいか、分からない番だった。 二人が黙り合っていると、羽華が緋都瀬と玲奈の手に自分の手を重ねて言った。


「緋都瀬君は、悩みに悩んで…信司君を選んで救い出してくれたことを、私は…知ってるよ」

「羽華ちゃん…」

「玲奈ちゃんだって…お兄ちゃんのことを思い出して、井上君を許してくれた。試練だって乗り越えられた。 次は…《みんな》で、秋人君と祈里ちゃんを助けにいこうよ。ね?」

「羽華っ…!」


羽華の言葉で、玲奈は我慢していた涙を流すと、顔を手で覆った。彼女は玲奈を抱きしめた。 玲奈と羽華を見て、緋都瀬は一筋の涙を流していた。


「………」

(三人とも…どうか、耐えてくれ…)


三人を見ながら、夕日は鬼灯の花形のペンダントを握りしめながら、これからの試練のことを思っていたのであった。




END


***


【篠原 玲奈編】END



next→ 【奈多野 羽華編】へ続く。

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