【篠原 玲奈編】一第四話一



久しぶりに、夢を見た。 最初に見えたのは燃えている家の中で、両親は《何か》からあたしを守るために、死んだ。


『お父さん、お母さん!!やだ、やだよーーー!!』


泣き叫びながら、息絶えた両親の体を揺らす、あたし。



【嫌だ。嫌…!! こんな夢、見たくなかった…!】


あたしは両耳を両手でふさいだ。これ以上、見たくなかったからだ。 しかし、夢はまだ、続いた。


『けほ、けほ!!くるしいよ…お母さん…』

「!!」


辺りには黒い煙も漂っていた。泣いている間に気管に入ってしまったのだろう。幼いあたしは咳き込みながらも、その場から動かず、母の体にしがみついていた。 このままでは、幼いあたしは、死んでしまう。そう、玲奈が思った時だった。 突然幼い玲奈の体を――《黒い影》が抱き上げた。


『え…?』

【……ニゲロ…】

『あなたは、だれ?』

【……………】

『きゃあ!』


《黒い影》は、抱き上げたままかと思ったが、幼い玲奈を、中庭へと放り投げた。勢いよく地面に落下しかけたが、地面には小さな割れ目が入っただけで、幼い玲奈への衝撃は和らげられた。


『……いたく、ない?』

【…レイナ…】

『……もしかして――お兄ちゃん?』


直感的に言い放った玲奈の言葉に、《黒い影》は一筋の涙を流すと、言った。


【カナラズ、迎えニイク。 ダカラ、待ってイテクレ…】

『お兄ちゃん、やだ!!お兄ちゃーーーん!!』



やっと会えた…名前も顔も分からない兄の言葉に、幼い玲奈は涙の雫を流しながら兄に、手を伸ばした。 玲奈の叫びと共に、炎に包まれた家は崩れ去っていった。


***



「………」

(そっか。そういうこと、だったんだ…)



夢から目覚めた玲奈は、頬を触った。 頬には濡れた跡があった。泣いていたということは、自分は覚えていたのだ。

《あの日》……炎に包まれた家から救い出してくれた《兄》のことを。 顔も名前も分からない。幼いながらの直感で分かったのだ。

この人は、あたしの《兄》なのだと。

昨日、羽華が言った『お兄ちゃん』という言葉に反応したのも、過去のことを覚えていたのだということなら、納得がいった。 だとすれば、玲奈のやることは決まっていた。


(今日から、夏休みに入った。今が、動く時よね…!)


玲奈は、夏休みを待っていたのだ。 秋人を《黒い海》から助け出すのは、夏休みを使うしかないと思ったのだ。 蝉たちが忙しなく鳴いている中、玲奈は起き上がると布団も畳まずに、窓へと近付くと思いっきり開けた。


(さあ…!《慈愛鬼の先祖》よ…!あたしを双鬼村へと連れて行きなさい!!)


心の中で強く、《慈愛鬼の先祖》へと語りかけると――心臓が高鳴ると共に、腹部が大きく蠢いた。


【ホホホホホ…!! やっと、覚悟を決めたかえ?】

(ええ…そうよ。あんたはあたしが覚悟を決めるまで、待っていたんでしょ?)

【ああ…もちろんだとも。さあ…行くがよい…我が子孫よ。 試練を乗り換えられるかどうかは、そなた次第だ…!】

「……っ…」

(これが…双鬼村へと繋がる穴…)


パンパン!

軽快な音が聞こえたかと思えば、アパートの玄関前には《黒い穴》が広がっていた。 玲奈は、唾を一つ飲み込むと、窓辺から身を乗り出すと、両目を閉じると黒い穴へと落ちていった。



***


玲奈が目を覚ますと、何処かの家の中にいた。 その部屋に玲奈は、見覚えがあった。



「ここって…あたしの……家?」


畳を触り、耳を畳へとつけた。何も音は、聞こえなかった。しかし、畳のひんやりとした冷たさには見覚えがあった。 やはり、ここは、自分が住んでいた家なのだ。


「でも…なんで、あたしの家なの…?あたしは、秋人君を助けなきゃいけないのに…!」

【ホホ…そう、焦るでない…玲奈よ。まずは、解決せねばならぬ問題があるであろう?】

「解決しないといけない…問題?」

【なに…難しく考える必要はない。 そなたに《愚かな行為》をしていた者を…罰するかどうかをそなたが、決めるのだ】

「……っ」

(慈愛鬼の…雰囲気が変わった…!!)


今までは貴婦人のような喋り方をしていた慈愛鬼の声音が低くなったのだ。 その喋り方に玲奈が、薄気味悪さを感じていると……天井から何かが降ってきた。


「ひっ…!」

【おお…すまぬなぁ。あまりにも其奴が暴れる故、乱暴に放ってしもうたわ】

「これは、一体何なのよ…!?」

【…まあ、妾が言っても良いがな。彼奴の方が適当であろうなあ……】

「?」


その言葉を最後に、慈愛鬼の声は、聞こえなくなった。その間に玲奈は、素早く天井から降ってきたものへと近づいた。 よく見ると、人一人が入れる麻袋であった。 麻袋の入口を開けると――そこには、凪がいた。


「い、井上…?」

「ん、んー!!んー!!」

「色々と聞きたいけど…! まずはあんたを助け出すのが先――」



チリリン、チリンチリン…

玲奈が凪の口に付いているガムテープを外そうとすると、綺麗な鈴の音が響き渡った。


【レイナ…会いたかった…】

「……お兄ちゃん…?」


鈴の音とともに現れた《黒い影》は、玲奈の後ろにいた。それが、兄だと分かると、玲奈の意識がぼんやりとし始めた。


【やっと、お前に触れた…! ウレシイよ…】

「…お兄ちゃん…ごめんなさい。あたし、覚えてないの…」

【気にするな。近いうちに、俺のことは思い出すさ。 今は、コイツを罰することを考えていればいい】

「え…?」


意識が朦朧としていた玲奈は《兄》の言葉を聞いて、 意識がはっきりとし始めた。 捕らわれている凪は、玲奈の背後にいる《兄》に対して、怯えていた。


「ん、んん…!!」

「井上を…罰するってどういうことなの?」

【クク…忘れたのか? コイツは…昔、お前をいじめていた奴だよ】

「!?」


《兄》の言葉に、玲奈は唖然としていた。 一方の凪も、大きく目を見開き、《兄》と玲奈からの視線から逃れるために目を反らしていた。


「だって、井上は、夜神町の出身だって言ってたわ…!!」

【それもウソだ。双鬼村の出身だと言えば、昔からイジメてきたことがバレると思ったから、隠したんだよ】

「嘘…信じられない…!ねえ!井上!!どういう事なのよ!!」

「ん…ふっ…ぐっ…!!」

【アア…そうだ。罰するときに声を聞けないのは勿体ないしな。外してやるよ…】

「……」


《兄》はクスクスと笑いながら、黒い芽のようなものを飛ばした。 すると黒い芽は急成長し、もう一人の《兄》の姿をとると、井上の口に貼られていたテープを剥がした。 一時的に開放された凪は肩で息を整えると、玲奈を見つめながら、言った。


「ご、ごめん…篠原…!! でも、聞いてくれ…!俺は、ただ…お前のことを…!」

「あたしのことを?」

「……好き、だったんだ」

「は?」


どんな言い訳をするかと身構えていた玲奈は、凪の放った言葉に目を見開いた。 凪は、唾を飲み込むと両目を閉じながら言った。


「小さい時から…お前のことが、好きだったんだ。 でも…お前は、俺のことなんか…眼中になかっただろ?」

「………」


玲奈は戸惑いながらも、小さく頷いた。その反応に凪は、苦笑しながらも続けて言った。


「ちょっとでも、お前に振り向いてほしかったんだ。 ただ、振り向かせるって言っても……まだ小さかった俺には、その方法が分からなかった。

だから…沢山…お前に、酷いことをしてしまったんだ」

「………」

「ゆ、許してほしいなんて…俺に、そんな資格がないことは……分かってる。 お前が…五十嵐のことが好きなのも知ってる。でも、少しだけでいいから…!俺のことをみてほし――」

【黙れ…!!】

「ひっ!!」

「お兄ちゃん…?」


『俺のことを見てほしい』と凪が言おうとした瞬間――今まで沈黙を守っていた《兄》が黒い釘を使って、凪の横腹を刺した。玲奈が疑問の声を出すも、《兄》は玲奈の頭を撫でるだけで応えはしなかった。凪を睨み付けながら《兄》は、言った。


【お前からの《理不尽な暴力》に、玲奈がどれほど苦しんで、泣いてきたかを忘れたのか?】

「そ、それは…!」

【俺は…お前を許さない。ほら、他にもレイナに隠していることが、あるだろう?】

「えっ?まだあるの…!?」

「……」


《兄》の言葉に、凪は、話すのを躊躇っているようだった。玲奈が何度も問い返すも、凪は答えない。 苛立ったように《兄》は、舌打ちすると言った。


【分かった。お前が、話さないのなら…俺が話してやる】

「や、やめてください…!どうか、あの事だけは話さないでください!お願いします!お願いします!!」

【黙らせろ】

【ケケケケケケ!!】

「いっ…!がっ…!」

「井上!!」


凪は必死に体を動かしながら、《兄》へと言った。しかし、聞く耳を持たないと言うように、《兄》はもう一つの影へと命じた。 もう一つの黒い影は、ケタケタと笑い声を上げると、凪の髪を掴み、思いっきり畳へと叩きつけた。 玲奈が声を上げ、凪を助け出そうと動こうとすると…《兄》は抱きしめる力を強くした。


「は、離して…!お兄ちゃん…!」

【ダメだ。アイツを助ける価値なんてない】

「どうしてよ…!?」

【よく思い出してみろ…レイナ。お前をイジメていたのは《コイツだけ》だったか?】

「え…?」


ドクン…

《兄》の言葉に――大きく、心臓が高鳴った。 幼い頃の記憶をかき集めると…確かに、凪一人ではなかった気がした。

あと二人…いたはずだ。それが誰だったのか?


チリリン、チリン…

鈴の音と共に――幼い頃の記憶が、蘇ってきた。 三人の男の子達が、幼い玲奈を取り囲んで、笑っていた。 男の子達の顔には黒い霞のようなもので隠れていたが、段々とその霞が、晴れていった。


(ああ…そういうことだったのね…)


一人は、凪。二人目は、孝治。三人目は、優太だった。 三人は、泣いている玲奈の髪を同時に引っ張ったり、交代しながら引っ張ったりもしていた。


『泣き虫玲奈!泣き虫玲奈!』

『うっ…うう…!! やめて…!やめてよぉ…!!』


孝治は手拍子をしながら、玲奈を泣き虫だと言って面白がっていた。さすがにまずいと思ったのか、優太が止めに入った。


『もう、それくらいにしてあげたら? 言いすぎだよ…』

『なんでだよ?これから面白くなるんだぞ?』

『ゆ、優太のいうとおりだ!ほら、これ以上酷くしたら、大人の人に見つかってもやっかいだしな!』

『ちぇ……! しかたないなぁ…』

『うっ…ぐす…』


【あの時は、ただ、泣いていることしか出来なかった。いつか仕返してやると思いながらも……いつになったら、こんなイジメが無くなるんだろうってそんなことばかり、考えていた】


チリンチリン…

再び、鈴の音で現実へと帰ってきた玲奈は目を開いた。 目の前には、絶望した顔をしている凪の顔があった。 玲奈はため息をつくと、冷めた目で見つめながら言った。


「……あんた…ホントに、最低ね」

「………っ…」

「あたしだけでは飽き足らず…秋人君のこともいじめてたんでしょ?」

「ち、違う…!!あれは、二人が勝手にやってたことなんだ!!俺は、関係ない!!」

「…本当なんでしょうね?嘘じゃないわよね?」

「ほ、本当だ…!信じてくれ…!」

【玲奈…ソイツの言っていることは本当だ。小学校を卒業するまで…コイツはお前のことをいじめていたが、中学になってからは手を出していないし、二人に対して、指示も出していない】

「ふーん……あ、そう…」

「…頼む……《玲奈》…!! 助けてくれ…!」

「………」


次第に、凪は泣き始めながら言った。顔はずっと押さえつけられているからか、赤くなっていた。 久しぶりに名前で呼ばれたことに、玲奈は心臓が高鳴ったのを感じた。


【どうする?レイナ…?罰するならば、今だぞ?】

「……ずっと、やり返したいって思ってた。今も、その気持ちは変わってない」

「……っ……」

「……あたしが、あんたにやり返したら…あんたや孝治がしていた《イジメ》と何も……変わらないわ。

ごめんね…お兄ちゃん。 あたしは、井上 凪を罰せない。 だから……解放してあげて」

【なんだと…!?】

「玲奈…!!」


《兄》の方へ振り向いた玲奈は、穏やかな顔で笑いながら、言い放った。 凪は、安堵の表情を浮かべながら、玲奈の名前を呼んでいた。

だが、《兄》は、玲奈の言葉が信じられない様子であった。顔を下に向け、何を考えているか分からない。


【……ヤ……ル…】

「…お兄ちゃん…?」


《兄》の影は、主人に怯えたように声を上げると、後ろへと下がっていくと姿を消した。 玲奈と凪も《兄》の様子が、おかしいことに気が付いた。



【オマエガ……罰しないと、イウナラバ…!! オレガ、コロシテヤル!!】

「きゃ!?お兄ちゃん!?」

「ひっ!!イヤだイヤだイヤだ!!玲奈、玲奈!!たすけ――あああああ!!」

「凪!!」


《兄》は、発狂しながら玲奈を押しのけると、凪の身体の中へと入っていった。 凪は、体の中を這いずり回り、食い荒らされている痛みに、悲鳴を上げていた。何が起こっているか玲奈には、分からなかったが、凪の傍へと駆け寄った。


「ねえ!!お兄ちゃん!!やめてよ!!」

「痛い…!! イタイタイイタイ!!くるし…ぐ、あああ!!」

「……っ……」

(お兄ちゃんの声が、聞こえない…!どうなってるの…!?)


玲奈は、必死に《兄》へと呼びかけた。しかし、先ほどまで聞こえていた《兄》の声は、聞こえなかった。 その間にも、凪は全身を駆け巡る《兄》によって体の中のあらゆる器官や、臓器を食い荒らされていく。 自分が、どうするべきか分からなくなってしまった玲奈は、凪の体を抱きしめることしか出来なかった。


「いやだ…!あ、うう…死にたくないっ…!! うっ…あ…」

「お願いだから、やめてよ…!あたしが、許すって言ってるんだから、いいじゃないの…!!」

「…あ、そういえば…玲奈、俺のこと…名前で、呼んでくれたな…」

「え…?」

「うれしかった…! 一瞬だけ、だったけど…昔みたいに、呼んでくれたから。元に、戻った気がしたから…」

「当たり前のこと言わないでよ…!! そんなの、何度だって、呼んでやるわよ!!感謝しなさいよ…!!」


凪と玲奈は、お互いに手を握りしめながら言いあった。二人は、泣いていた。 凪は、やっと玲奈に許してもらえたのに、死ぬかもしれないという恐怖に対する涙。 玲奈は凪のことを許したのに、《兄》が許してくれない悲しさでごちゃ混ぜになっていた。


――それでも、手を握りしめているのは、何故だろう――

二人が、同じことを考えていた――その時だった。



【茶番は止めよ。妾の《人形》よ】

【……ッ……】

「「!!」」


凪の中で暴れ狂っていた《兄》は、動きを止めた。 凪と玲奈は目を見開き、突然姿を現した女性を見つめていた。


END

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