【篠原 玲奈編】一第三話一
期末テストも終わり、いよいよ夏休みが始まりそうだということで、教室はその話題で持ちきりだった。 いつも思う。人間は都合の悪いことは忘れて、目の前にある《楽しいこと》だけを見つめているのだ。
「………」
玲奈は、夏休みの予定について話しているクラスメイト達を冷めた目で見つめていた。 女子も男子達も和気あいあいと楽しげに話しているのを見ると、吐き気がしてきそうだった。
(秋人君がいなきゃ…意味なんて、ないのに…)
昨日見続けてきた幼い頃の夢は、唐突に見なくなった。かといって、普通の夢が見れるのかと聞かれれば、そうでもなかった。 一日が終わる頃に、布団で眠ると、もう朝になっていたことが多くなっていた。 いや、それ自体は特段たいしたことではない。
ただ…もう一度だけ、幼い頃の夢が見たかったのが、玲奈の本音だった。
(夢なら…お父さんと、お母さんに会えるし。 小さな頃の秋人君にも会える。 それだけで、幸せなはずなのに……何か、大切なことを忘れてる気がするのよね…)
そう。玲奈が悩んでいるのは上記に書いた通りだった。
両親と秋人以外にも…玲奈にとって、《大切な人》がいたのではないか? 最近は、その事ばかりが気になっていた。もちろん、期末テストの勉強は滞りなくやり遂げた。 無事に、期末テストが終わった頃にふとした疑問が玲奈の脳裏をよぎったのだ。 玲奈が、悩んでいると――彼女に近付いてくる人物が声をかけてきた。
「玲奈ちゃん…ちょっと、いい?」
「…羽華?」
羽華は、両手を強く合わせ、思い詰めた表情を浮かべていた。その表情に疑問に思いながらも、玲奈は羽華と共に屋上で話を聞くことにしたのであった。
***
屋上の扉を開くと、蒸し暑い風が二人を包み込んだ。 「あっつ…」と玲奈は短く言うと、扉を完全に押し開き、羽華を先に通した後、扉を閉めた。 太陽は相変わらず、眩しく屋上全体を照りつけていた。唯一扉付近と水タンク付近は日陰が出来ていたので、そこで話すことにした。
「で?話ってなに?」
「……玲奈ちゃん、緋都瀬君のことを撲ったでしょ…!?」
「!!」
制服をパタパタとしていた玲奈の手が、止まった。羽華は、今まで我慢していたものをはき出すようにして言った。
「ねえ…!どうして、緋都瀬君を撲ったのか教えてよ!!」
「……それは、」
「それは?」
「…秋人君じゃなくて、信司を選んだからよ」
「それだけの理由で、緋都瀬君を撲ったの!?」
「は?それだけの理由?」
羽華の言葉に、玲奈の我慢していた糸が切れたのが分かった。
「そ、そうだよ…!わたしは、緋都瀬君がどれだけ悩んで、苦労してきたか知ってるもの!その上で、信司君を選んだの! それなりに、玲奈ちゃんは…緋都瀬君のことを、責めたんでしょ!」
「だから!それは、緋都瀬に謝ったじゃない!!なんで、今頃蒸し返すわけ!?」
「そ、それは…!」
強く言い返してきた玲奈に羽華は、怯んだ。怯んだ隙を玲奈は見逃さなかった。
「ああ、分かった…! あんた、昔から緋都瀬のこと好きだったもんね。だから、あいつのことになるとムキになったんでしょ…!?」
「それが、なに?好きな人のことを、心配するのがいけないことなの?」
「……っ……」
「きゃっ!」
――咄嗟のことだった。 玲奈は、両手で羽華の体を壁へと力を込めて押した。冷たい壁に押し付けられた羽華は、悲鳴を上げた。
「…あんたに、分かるはずないわよ…」
「……玲奈ちゃん?」
「せっかく…あたしが、気を使ってやったのに…!!あんたはそれを台無しにしたのよ!!」
「……っ」
玲奈の顔は、今にも泣き出しそうだった。彼女が足踏みするたびに、周りにはびりびりとした微弱な電流が流れたかのような衝撃が走っていた。 羽華は、その衝撃に顔を歪め、両耳を両手で抑えた。
「なによ!?もう、気が済んだの!?」
「れ、玲奈ちゃん……!! 落ち着いて…!」
「今さら何言ってるの!?さっきから、何なのよ!?」
「そのまま、足踏みしたら!!屋上が壊れちゃうって《お兄ちゃん》が言ってるの!!」
「え…?」
《お兄ちゃん》
その言葉に――玲奈はピタリと足踏みするのを止めた瞬間。
ピキピキピキピキ…!!
「あ…!」
玲奈のいた場所から周囲に一気にヒビが広がっていった。身動きがとれなくなった玲奈は、何が起こったのか分からないようだった。
「玲奈ちゃん…!手を、伸ばして…!!」
「………」
「早く!!」
「くっ…!!」
一歩でも踏み出せば――床は完全に崩壊する。 玲奈には自分が落ちて死ぬ予想が簡単に出来てしまった。 しかし、羽華は玲奈へと必死に手を伸ばしてきた。
【さっきまで喧嘩をしていたのに、今さら『助けて』なんて言えない。】
玲奈の気持ちを察したのだろう。 羽華は、先ほど出た大きな声よりも下に落とすと玲奈へと手を伸ばした。彼女は、戸惑い、迷っていたが、玲奈は意を決して、羽華の方へと向かって飛んだ。
玲奈が動いた時には――ヒビが入っていた床は、崩落していた。
「……」
「………」
円形に空いた穴を玲奈と羽華は、呆然と眺めていたのであった。
***
その後、屋上の床が崩落したことを玲奈と羽華はすぐに竜舞へと報告しに行った。 竜舞と玲奈と羽華が崩落した床を見に行ったときには、そこには、何の形も残ってはいなかった。
「そんな…!?」
「………」
「…本当に屋上の床が崩落したのか?」
「ほ、本当です!玲奈ちゃんは落ちそうになったんですよ!」
「そ、そうです…!! 間違いありません…!」
「………」
竜舞の怪訝な表情に、二人は必死に説明をした。腕組みをしながら聞いていた竜舞は頷きながら、真剣に聞いてくれていた。
「なるほどな。まあ、怒りに任せて足踏みしてたら、床が崩落するなんて…誰も予想できないよな…」
「…お願いします…竜舞先生…!! 信じてください…!」
「………」
「…もちろん。お前達がデタラメなことを言っているのではないと分かっているさ。とにかく…お前達が無事でよかったよ」
「…信じてくれるんですか?」
「信じるよ」
「ありがとうございます…!」
「……どうも…」
「もう、玲奈ちゃん…!」
顔を反らしながら、ぶっきらぼうに言った玲奈に羽華は頬を膨らませると、彼女を軽く睨んだ。 そんな玲奈達の様子に竜舞は、微笑すると言った。
「明日から夏休みだ。気をつけて帰れよ」
「はい。ありがとうございます」
「…失礼します…」
「………」
玲奈は軽く頭を下げ、羽華は深く頭を下げると、その場を去って行った。 竜舞は二人の姿が見えなくなるまで、目を細めながら見つめていたのであった。
END
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