【鏡野 緋都瀬編】一第四話一
父さんが泣き始めて、落ち着いた後、ボソリと呟くように言った。
『今日は、早めに帰るよ。学校には、私が連絡しておくから、早退しなさい』
父さんの言葉に俺は「意外だな」と驚いていた。昔から仕事に関連するものには厳しかった父さんが、早退することを許してくれるとは思わなかったからだ。
「………」
(家に帰っては来たけど、何しようかな…)
鏡野総合病院から、緋都瀬の家は離れていない。歩いて五分といったところにあるからだ。 泰斗は学校に連絡するとは言ってくれたが、心配になった緋都瀬は自分で電話をかけてみた。 すると、担任の竜舞が電話に出て言った。
『さっきお父さんから連絡が来たよ。家でゆっくり休んで、また明日来なさい。分かったな?』
『…はい。分かりました』
ここは竜舞と父の優しさに甘えよう。そう決めて、家に帰っては見たものの、特にすることもない。 ベッドで横になり、仰向けになって考えるも何も浮かばなかった。
「決断の日まで…二日か…」
明日には、《裁鬼》に決断を伝えなければならない。
「ちゃんと…決められるのかな……俺…」
緋都瀬は溜息をついた。寝返りをうとうとしたその時だった。
チリン、チリンチリン…
「!?」
『もーいーかい…まーだだよー…』
頭の中で鈴の音が響き渡った。
反射的に緋都瀬は起き上がり、鈴の音と共に聞こえた声に、耳をすませた。
「…俺は、何か…大事なことを…忘れてる…?」
『もーいーかい…まーだだよー…』
声は緋都瀬を呼んでいるようだった。ベッドから降りると声の方へと足を運んでいく。
ドクン…ドクン…
緋都瀬の心臓の音が速くなっていく。窓の方へと近づき、一気に開けた。
「……あ…」
下を見ると、黒く大きな穴が地面に顔を出していた。
なるほど。秋人が消えた理由が分かった。頭の中で、ぼんやりと秋人が行方不明になった理由が分かった。 やがて、緋都瀬の目から光が無くなっていく。
穴の中から《あの子の声》が聞こえてきた。
『もーいーかい…まーだだよー…』
「……会いに、行かなきゃ…」
《あの子の声》に導かれるように、緋都瀬は暗い穴の中へと落ちていった。
***
木の葉が揺れている。森全体が、鳴いている。地面は凍えるように冷たかった。
「ここは…?」
穴から落ちた緋都瀬は木々が生い茂る森の中で倒れていた。
周りを見てみると、緋都瀬は酷く、懐かしく感じた。
「…まさか…そんな…!?」
(ここは…双鬼村の外れにある…森?)
しかし、双鬼村は十年前の大規模な山火事で全て燃えてしまった。 木々は燃え盛り、黒煙が立ち上り、辺りは炎の海と成り果てていた…はずだった。 とにかく、誰か、人を探さなければならない。 緋都瀬は思いっきり息を吸い込んでから、彼方へと声を張り上げた。
「誰か、いませんかー!!」
緋都瀬の声が森全体に響き渡っていった。 しばらく待ってみても、誰も答えてはくれなかった。
「そうだ。俺、あの子に、会わないといけないんだ…」
《コッチダ…》
「……っ」
頭の中で聞こえてきた《あの子の声》。
立ち上がるとともに、腹部は蠢いた。目の前に黒い影が現れた。 その黒い影は、《兄》だった。《兄》はニヤリと笑うと緋都瀬の手首を握り、歩き始めた。薄暗い森の中、二人は話すこともなく、黙々と歩いていった。 しばらくすると、鳥居が見えてきた。一つだけではなく、六つほどあった。
その中の一つは、黒くなっていた。
「ここは…」
《お前が、知りたいことヲ、オシエテクレル場所ダ》
「俺が、知りたいこと…?」
《兄》の言葉に、緋都瀬の心臓が高鳴った。ゆっくりと六つの鳥居を潜り抜け、神社へと辿り着いた。
(何だろ…嫌な予感がする…)
扉の前で立った緋都瀬は嫌な予感がわいてくると共に、《扉を開けたくない》と強く思った。 何故かは、分からない。分からないが…とにかく、開けたくないのだ。《兄》は、弟の思考を読み取ったのか、口角を上げて、言った。
《お前ニハ、知らないとイケナイコトガ、タークサンあるんだゾ?》
「………」
《ほら…オレモ、一緒に行ってヤルカラ、扉ヲアケロ》
「い、嫌だ。俺は、あの子に会うために…」
《アケロ!!》
「ひっ…!」
躊躇する緋都瀬に、我慢の限界が来たのか。 《兄》は、怒鳴り声を上げた瞬間に、緋都瀬の体の中へと戻っていった。
突然怒鳴られたことに怯え、衝動的に緋都瀬は、神社の扉を開けた。
「……」
ゆっくりと足を進めて、神社の中へと入っていく。 中には祭壇と青色の鳥居が並べてあった。不思議な色をしている鳥居の前にたった瞬間、ドサリと何かが落ちた音がした。
「え?」
勢いよく振り返ると、女性が仰向けで倒れていた。その人物は、緋都瀬の母親だった。
「…母さん…?」
ずっと、忘れていた。 今まで、ずっと、母のことを忘れていた。 何故忘れていたのかは分からない。
父さんがいることが当たり前になってしまっていたのか?
疑問と不安が頭の中で回っている中で、緋都瀬は、母へと近づき、両膝をついた。
「母さん、起きてよ…」
しかし、母は答えない。 もう一度母の体を、揺すろうとした時だった。
「!」
緋都瀬の手首を母が掴んだ。母は、目を大きく見開いていた。
「…っ!!」
『嘘ツキ…!! 貴方ハズット、私ノコトヲ、忘れてイタデショ?』
「あ、ああ…ごめんなさい、母さ、」
謝ろうとした時、緋都瀬の首を母は、両手で締め出し始めた。体のバランスを保てなくなり、緋都瀬は倒れた。
「かっ…うっ…うう…」
『このまま、あの子ノヨウニなりなさい…!そして、罪ヲツグナエ!!』
「いやだ…!おれ……には、やらないと、いけないことが…!」
『ダマレ!!』
「あ…あ…」
喉仏を抑えられ、更に力は強くなった。 視界はぼやけ、母の顔は、分からないぐらいに歪んできた。
(俺、このまま…死ぬのか…?)
緋都瀬が諦め、意識を手放そうとした時だった。
リーンリンリン…
《ひーくん!!諦めないで…!!》
「一一」
頭の中で鈴の音と共に《あの子の声》が聞こえた。緋都瀬は母の顔を見つめながら、手探りで《何か》を探し始めた。
その《何か》はすぐそばにあり、見つかった。《あの子》が置いていってくれたものだ。
「……」
(これは…青い刃の小刀?)
《何か》の形状が、頭の中に浮かんだ。母に、悟られないように、手探りで青い小刀の柄を握りしめた。そして、緋都瀬は、青い小刀を母の腹部へと突き刺した。
『アアアアアア!!』
「げほ…げほ…はぁ…はぁ…」
母は頭を抱え、発狂した。緋都瀬は突然開放され、空気を思いっきり吸ってしまった。 すると、母の形が歪んでいった。
母だと思っていた影は、自分と瓜二つの顔をした《兄》だった。
『クソが…!ナンデ、それを持ってるんだヨ!?』
「俺にも、分からないんだ…」
投げ捨てられた青い小刀を緋都瀬は急いで拾った。兄は頭を抱え、ブツブツと何かを言い始めた。
『ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ…!!ミチヅレに、してやル…!』
「……っ」
リリン!
《逃げて…!》
緋都瀬は鈴の音と共に聞こえた《あの子の声》で、反射的に立ち上がった。神社の入口まで一気に走って行った。森の中を全力疾走で走って行く。
『アハハハハハハハ!!逃がすかァァァァァァ!!』
灯都与は、大きく後ろへと仰け反ると首を逃げていった緋都瀬の方へと向けた。
「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!」
走っている最中、緋都瀬は首だけで後ろを振り返った。灯都与が自分を追いかけてきていた。それも恐ろしく速い。捕まればどうなるなど、考えている暇もなかった。とにかく、逃げなければ、自分の命はない。
リリン、リリンリリン
《そのまま、まっすぐ走って!もうすぐ、森を抜けるよ!》
「は、は、は、は!」
頭の中でまた、声がした。 緋都瀬の足はもう限界だった。後ろからの足音は消えない。 ただ、ひたすらに走っていると、森を抜けた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
(あの家って…)
緋都瀬は一度立ち止まり、息を整えた。 ふと、顔を上げると緩やかな坂の上に建っている家へと目を向けた。 坂の上に立っている家には見覚えがあった。息を整えるためとはいえ、ここで止まっていれば、《兄》に捕まってしまうだろう。
口元を拭うと、緋都瀬は、坂を上っていくことにした。 坂を上っている
「はぁ、はぁ、待ってて……」
緋都瀬の両足は震えていた。これ以上歩いたり、走ったりすることは限界だと訴えていた。 しかし、それでも、緋都瀬は諦めたくなかった。心の中で、確信していた。
あの家で、《あの子》が、待っている。 ずっと、かくれんぼが終わるのを、待っているのだ。
『ヒトセ!!ヤメロ!! アイツノ元ニ行くナァアアア!!』
「くっ…!!はぁ、はぁ…!」
坂の中央辺りまで歩いてきた緋都瀬は後ろから聞こえた声に振り返った。《兄》は、鬼の形相で叫んでいた。彼は倒れながらも、緋都瀬を追いかけようとしていた。彼に、構っている暇はない。緋都瀬は心の中で、《兄》謝った後太股を手で軽く叩いたあと、坂を上り始めた。坂の中央から頂上まではあっという間だった。
「はぁ…はぁ…!やっと、着いた…」
坂の上まで、上りきった緋都瀬は両膝に両手を当てて、息を整えた。 顔を上げ、家の表札を確認した。 家の表札には、《神城》と書いてあった。
「ここに、いるんだね…?」
《あの子の声》は、答えない。 唾を飲み込み、恐る恐る、家の扉に、触ろうとすると、扉が、一人でに、開き始めた。
「……っ」
肩を震わせ、身構えたが、家の中から、何かが出てくる気配はなかった。代わりに、頭の中で響いてきた鈴の音が響いてきた。
「…ごめんください…」
鈴の音に導かれるように、緋都瀬は家の中へと入っていった。
「………」
リン、リン、リリン…一一鈴の音が大きくなっていく。
「この音は…毎日俺が、聞いていた音だ…」
玄関を抜け、奥へと入っていく。中は広かった。畳の臭いが懐かしかった。 一番奥の部屋へと向かうと、声が聞こえてきた。
《もーいーかい…まーだだよー…》
「…………」
中庭で、蝉たちが忙しくなく鳴いている中、一人で隠れんぼをしている女の子がいた。緋都瀬が、ゆっくりと近付いていくと、女の子はかくれんぼの言葉を言うのをやめた。
「……伊環ちゃん?」
『………』
女の子は、振り返ると共に、緋都瀬と同じぐらいの少女へと成長した。 《神城 伊環》 それが、彼女の名前だ。
伊環は緋都瀬の言葉に、嬉しそうに笑った。彼女が頷くのを見て、緋都瀬は両膝をついた。
「ごめん…ごめんね…!なんで、俺、君のことを、忘れてたんだ…!?」
《顔を上げて。ひーくん》
「………」
緋都瀬の頭の中で、伊環の優しい声が木霊のように響いてきた。ゆっくりと緋都瀬は頭を上げた。
「《ひーくん》って、懐かしいな…」
《ひーくん。驚かないで、聞いてほしいの…》
「なに?」
伊環は顔を歪めながら、絞り出すように、言った。
《あなたの【決断】を聞く【裁鬼】は、私なの》
「…え…?」
伊環の言葉が、緋都瀬は、理解できなかった。彼女は、続けて言った。
《だから…あなたを呼んだの。あなたのお兄さんが、あなたに幻影を見せて襲われた時は、どうしようと思ったけど…無事に逃げ切れてよかった》
「そんな…そんなことって…!俺、まだ…何も、決めてないのに…!!」
《…ひーくん。落ち着いて…》
「落ち着けないよっ!! 俺にとって…アキも、信ちゃんも、大切なんだ!! どっちを選んで、どっちを捨てるなんて…俺には、出来ないんだよ!!」
『…………』
伊環は緋都瀬を落ち着かせようと、手を握ろうとしたが、勢いよく言葉を言い放った緋都瀬に、伊環は、後ずさりした。
「あ……ごめん。伊環ちゃん…」
『………』
「でも…さっき言ったことは、俺の本心なんだ」
『………』
《うん……分かってるよ。私なら、大丈夫だから》
伊環を傷つけてしまったことに気付いた緋都瀬は、静かに謝った。彼女は首を横に振ると、緋都瀬の手を両手で包み込んだあとに言った。
《私は、【あなたの罪】を知っています》
「……っ」
《あなたが…壊れてしまうのを回避するために…私は、【あなたの罪】に関することを【忘れさせる】ようにしました。
【双子の兄】【母親】…私の存在…あと一つの記憶が、あなたにとっては一番辛いかも知れません。
あなたには、自分の罪を認める覚悟は、ありますか?》
「………」
雰囲気の変わった伊環に怯えていた緋都瀬だったが、《覚悟》という言葉に反応した。伊環はきっと、自分を試しているのだろう。ずっと…自分は、彼女に、守ってもらっていた。
ならば…伊環の思いに、答えなければならないだろう。 緋都瀬は深呼吸をすると、伊環の両手を、握り返しながら言った。
「俺の《罪の記憶》を、見せてください」
リーン…リリン…
《はい。では、私の目を見てください》
「……」
伊環の目を見てみると、彼女の目は水色の光を宿していた。彼女の目を見た瞬間、緋都瀬は意識を遠くへと飛ばすと、倒れたのであった。
END
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