【鏡野 緋都瀬編】一第二話一



『痛い!痛いヨォオ!!』


誰かが、泣き叫んでいる。 あまりの悲痛な叫びに緋都瀬はすぐに目を開けた。


『ほら、オマエはこうされるのが好きなんだろ!?なぁ?信司?』

『イタイ、もう、やめて…!!うっ、ぐすっ…アキちゃん!!ああぁあああ!!』

「…アキ…?」


泣き叫んでいたのは、信司だった。信司を見るのは久しぶりだった。 目の前に広がる光景を緋都瀬は中々受け止めきれなかった。 いや、受け入れたくなかった。

秋人が信司の腹を蹴りつけていたのだ。 ただ、蹴りつけるだけではない。時折、鉈で信司の腹部を突き刺していた。 何度も何度も繰り返していた。信司は泣きながら、やめるように言っていたが、秋人は聞き入れなかった。 それどころか…信司に痛みを与えることを楽しんでいるかのようだった。


「アキ、何やってるんだよ…!?やめてくれよ…!!」

『…………』

「……っ」


秋人の動きが、止まった。 彼は緋都瀬の姿を見ると、無表情で睨み付けてきた。 その視線に、緋都瀬は震え上がった。


『ヒトセ。オマエも、堕としてやるからな』

「え…?」


ニヤリと、秋人は笑った。


『レイナ達も、みんな、堕としてやるよ。だから、待ってろよ?』

「アキ…俺は一一」


緋都瀬は困惑していた。何か言おうとするたびに、呼吸を忘れてしまいそうになる。 秋人に伝えたいことがあった。言葉を言おうとした瞬間一誰かに口を塞がれ、意識は遠くへと飛ばされた。


***


「はっ…!はぁ…はぁ…」


緋都瀬は勢いよく起き上がった。起きたと同時に携帯のアラームが鳴った。


「……」



《自分はまだ、普通の日常を送っている》

頭の中に浮かんだその事実が、ずっしりと頭に乗りかかってきた。


「アキ…信ちゃん…」


どちらも救いたい。しかし、一人しか選べない。 慈悲鬼に選ばれた者は裁鬼を通じて、《鬼女》へと伝えられる。 全ての業から許される。 《鬼人》に墜ちてしまった者にとって《慈悲鬼》に選ばれることは、一つの幸せになるのだ。


「あと、四日しかない……」


緋都瀬は掌を強く、握りしめた。重い気持ちを抱えながら、ベッドから降りた。


「………」

(父さん…今日も早いな…)


一階に降りてきた緋都瀬は父・泰斗の姿を探した。だが、父の姿は見当たらなかった。 テーブルの方に目を向けるとラップに包んであった朝食の卵焼き、味噌汁とご飯が置いてあった。小さなメモを手にとって読んでみた。



《今日は会議があるから遅くなる。冷蔵庫に夕ご飯を作ってあるから、一人で食べなさい。 父より》


「………」


メモに書いてあった言葉に一緋都瀬は泣きたくなった。こんな時だからこそ、父にそばにいてほしかった。 甘えているのは分かっている。分かってはいるが、一人になると心細くなってしまうのだ。


「…ご飯食べよ…」


いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。メモを丸めて、ゴミ箱に捨てた緋都瀬は、朝食をレンジで温め始めたのであった。


***


学校に行ってみると、秋人が行方不明になったことは学校中に知れ渡っていた。


「五十嵐君って、お母さんも行方不明なんでしょ?」

「そうらしいねぇー…」

「一学期には双葉さんの転落事故からの行方不明、二学期に入って、鬼塚と牧野の行方不明からの遺体発見に、五十嵐の失踪と保護者の行方不明か。うちの学校って呪われてるんじゃね?」

「や、やめろよ…」

「………」



緋都瀬が教室に入ると、騒音のように響いていた声は静まり返った。 それもそうだ。クラスメイト達の半分以上は夜神町出身の生徒が多い。 双鬼村からやって来た緋都瀬達を厄介者扱いしている生徒も多いからだ。

クラスメイト達の視線を受け流しながら、緋都瀬は席に着いた。


「………」

(嫌なら嫌ってはっきり言えばいいだろ…)


心の中で愚痴るように言うと、鞄から教科書を取り出して、机の中へといれた。 筆箱を出した後、窓の方へと視線を向ける。 窓の外には、泣きたくなるほど、青空が広がっていた。


(あぁ…綺麗だな…)


何でもないことが、緋都瀬にとってはかけがえのないものだった。


「………」


物思いに耽っている緋都瀬を見つめている少女がいた。少女の名前は篠原 玲奈。幼馴染みの気の強い性格をしている。 玲奈は席を立つと、緋都瀬の席まで早足で向かった。


「緋都瀬、おはよう」

「あ、玲奈ちゃん。おはよう」

「…昼休み、話したいことがあるから空けておいて。じゃあね」

「う、うん…」


自分の言いたいことを言って、満足したのか。玲奈は自分の席へと戻っていった。 突然話しかけられたことに、緋都瀬は疑問符を浮かべていたのであった。


***



午前中の授業が終わった。 季節は、春から夏へと切り替わろうとしている。夏の蒸し暑さが近づいてくる中、緋都瀬は、屋上へと向かい、扉を開けた。


「…玲奈ちゃん。お待たせ」

「……」


玲奈は屋上から運動場を見下ろしていた。彼女のそばまで近づき、声をかけたが、返事は返ってこなかった。


「話って…なに?」

「…あんたの鬼の使命についてよ」

「!」


玲奈の言った言葉に、緋都瀬はすぐに反応した。玲奈は目を閉じ、すぐに開いた後緋都瀬に向き合ってから言った。



「単刀直入に言うわ。 あたしは、秋人君を選んでほしいと、思ってる」

「…アキを…?」

「そうよ。だって…秋人君は、祈里に会うために試練に挑んだ。なのに…彼は報われなかった。代々…信司を選んで、あたしたちに、得になることってあるの?また、あいつが誰かを傷付けるかもしれないじゃない」

「………」

「だったら、あたしなら、秋人君を選ぶわ。あたしは……秋人君を助けてあげたい。救ってあげたい。それだけよ」

「…そう、なんだ…」


玲奈の力強い瞳を見ることは、緋都瀬には出来なかった。 彼女は自分よりも強い。一度決めたことは、絶対曲げないのが玲奈の強さでもある。


「玲奈ちゃんは、強いね」

「は?」

「だって…自分の決めたことは、絶対に曲げないじゃないか。俺には…真似できないよ」

「はあ…バカね。あたしは、強くないわよ」

「え…?」

「真似できるとか、できないじゃなくて…《自分がどうしたいか》をはっきりさせることじゃないの?」

「《自分がどうしたいか》…」


玲奈の言葉に、緋都瀬の胸が高鳴った。そうだ。彼女の言うとおりだ。

慈悲鬼の使命を受けてから、《秋人も信司も大切だから選べない》と思い込んでいた。 大切なのは、緋都瀬自身がどうしたいか。心の底で何をすればいいのか。答えは出ているはずなのに、隠してしまった。 だから、混乱していたのだろう。父に傍にいてほしいと甘えてしまっていたのだろう。 ならば、緋都瀬のすることは一つだけだ。


「玲奈ちゃん。俺、決めたよ」

「何を?」

「俺、決断する日が来るまでは…普段通りに、過ごすことにするよ」

「………」


ちゃんと、笑えているだろうか。 玲奈は緋都瀬の言葉を聞くと、少しだけ目を見開いていた。 俺の笑顔を見ると、彼女は深呼吸をしてから言った。


「あんたがそう決めたなら、いいんじゃない?」

「うん。ありがとう」

「どう致しまして…さて、と。そろそろ教室にもどり一一」

「玲奈ちゃん?」


ふと、横を見た玲奈の動きが止まった。疑問を感じ、緋都瀬も横を向いた。 旧校舎のフェンス越しに誰かが立っている。よく見てみると、その人物は二人がよく知っている人物だった。


「羽華!?なんで、あんな所に…!!」

「……」


嫌な予感が二人の脳裏をよぎった。玲奈と緋都瀬が顔を見合わせた瞬間、羽華の背後に、秋人が現れた。


「嘘、やめて!!」

「くっ…!!」


玲奈はフェンス越しに叫び、緋都瀬は走り出した。遅れて玲奈も走り出した。

二人は屋上から階段を降りていき、一階に着いた後、全力疾走した。 何人かの生徒や教師に驚かれたり、注意されたりしたが、そんなものは二人の耳には入ってこなかった。 旧校舎に辿り着くと、急いで屋上へと駆け上がっていき、ドアを開けた。


「はぁ…はぁ…はぁ……アキ!!」

「はぁ…はぁ…羽華!!」

『…………』

「…緋都瀬君、玲奈ちゃん…!」


息を切らしながら、玲奈と緋都瀬は秋人と羽華の名前を呼んだ。 秋人はゆっくりと玲奈達に振り返った。羽華は怯えたように玲奈達を見つめていた。


「秋人君…羽華に、何をしたの…!?」

『………』

「何とか言ってよ!!あたしたちがどれだけ心配して、」

「危ない!!」

「!?」


秋人は鉈を取り出すと、玲奈の前に現れ、振り下ろした。咄嗟に緋都瀬が彼女を庇ったが、鉈が腕に掠ってしまった。


「くっ…!」

「やめて!緋都瀬君を傷つけないで!!」

『………』

「…私が、ここから飛び降りたら、あなたは満足するのね?」

『…………』

「な、何言って…!!」


羽華の言葉に秋人はゆっくりと振り返った。秋人がニヤリと笑うと、羽華は緋都瀬達に背中を向けた。

緋都瀬は秋人の横を通り抜け、羽華の元まで駆けつけようとしたが、秋人はそれを許さないとばかりに自分の太股に鉈を突き刺した。


「あっ!?いってぇ!!」

「!?」

『…………』


羽華は驚き、振り返った。緋都瀬は突然何かを刺されたような感触を太股に感じたのだ。 勢いよく倒れた緋都瀬に、羽華は、泣きそうな顔をしながら言った。


「ダメ…やめて…!!私がやらないとダメなの…!みんな、不幸になっちゃうの…!」

「…羽華ちゃん…落ち着いて…」

「落ち着けるわけないでしょ!!あんな夢を見て、落ち着けるほうがおかしいよ!!」

「もしかして…君も、みたの?」

「………」


《夢》という言葉に、立ち上がろうとした緋都瀬の動きが止まった。 無言で頷いた羽華に、緋都瀬は顔を歪めると、立ち上がってから言った。


「ごめん。辛い思いさせて…本当に、ごめんね…」

「……緋都瀬君…」

「試練を…乗り越えられる方法を探そう…俺と玲奈ちゃんと、一緒に一一」


ブスリ。 緋都瀬の腹部に、鉈が刺さった。


「あ…うっ…は…」

『…お前ダケガ、シアワセニナルナンテ、ユルサナイ』

「…はは。やっと、喋ったと思ったら…アキじゃなかったんだな…」

『オレは、ダレデショウカ?』

「…《五十嵐 秋鳴》。秋人の、双子のお兄さん…でしょ?」

『ダイセイカーイ!!』


緋都瀬が秋鳴の名を口にすると、鉈を引き抜き、もう一度刺した。


「ぐっ…!」

『ホラ…さっさと羽華ヲ連れ戻さないと、太腿も貫くゾ?』

「羽華ちゃん!戻ってきて!」

「で、でも…!」

「いいから!!俺を信じて!!」

「………」


足を引きずりながらも、何とかフェンスに辿り着いた緋都瀬は羽華へと声をかけた。 彼女は戸惑っていたが、緋都瀬の『信じろ!』という言葉に息を飲み込んだ。

チラリと背後にいる秋人…いや、秋鳴を見た後、羽華は、フェンスを乗り越え、緋都瀬の胸元へと飛び込んだ。


「くっ…!大丈夫!?」

「う、うん…!それより、早く逃げよう…!」

「この!」

『ア?』


何とか羽華を受け止めた緋都瀬は、屋上の扉へと向かった。

すこしでも時間を稼ごうとしたのか、玲奈がパイプで秋鳴へと殴りかかったが、幽霊のようにすり抜けてしまった。


「す、すり抜けた…!?」

『………』

「!」

「今は逃げよう!!玲奈ちゃん、早く!!」


秋鳴は玲奈のことを睨み付けると、鉈を持ち直した。玲奈が後ずさりすると、緋都瀬が玲奈の手を握り、屋上を後にしたのであった。


END

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