【鏡野 緋都瀬編】一第一話一
俺は夢を見ていた。 景色は赤色だった。まるでペンキの赤色をぶちまけたみたいに真っ赤だった。
『はぁ…はぁ…!もう、やめてくれ…!!』
赤い景色の中苦しんでいるアキがいた。両手は赤く、血で濡れていた。倒れているアキは藻掻いて、藻掻いて、苦しんでいた。 動けないのか、何かに縛られているのか。体を捻っても、捻っても…あらゆる方向からやってくる痛みにアキは苦しんでいた。泣いていた。涙で顔はぐちゃぐちゃだった。
『一一一一』
俺は必死で、アキの名前を叫んだ。声が出なかった。まるで、祈里ちゃんみたいだった。
『アキト…アキト…!!カワイイオレノ弟…!!ケケ、アハ、アハハハハハハハハハハ!!』
『あああああ!!いた、やめ、あああ!!』
アキの足がありえない方向へと曲がった。足を折った黒い影は多分、アキのお兄さんだ。 頭の片隅でそんなことを思っていると一一ふと、お兄さんが、俺の方へと首を向けて言った。
『次は、お前だ』
***
「はっ!!」
悪夢から目覚めた俺の目に最初に飛び込んできたのは一一白い天井だった。
「よかった…!ひーちゃん、目を覚ましたのね!」
「……マキちゃん…」
隣を見ると、心配そうに俺の顔を覗き込んだ少女がいた。彼女の名前は、坂井 真樹枝。 俺は昔から愛称で、彼女のことは『マキ』と呼んでいた。 ゆっくりと起き上がると、真樹枝に聞いてみた。
「マキちゃん、俺は…一体…」
「…ひーちゃん、病院で寝てた理由…覚えてないの?」
「………」
無言で頷くと、真樹枝は目を見開いた。すると扉をノックする音が聞こえた。
「はい」
「入ってもいいかな?」
「…どうぞ…」
「?」
「失礼するよ」
扉から入ってきたのは一人の男だった。黒いスーツを着こなした男だった。男の顔を見ると、真樹枝は顔を歪めた。彼女がこんな顔をするときは大抵嫌がっている時だからだ。
「意識を取り戻したのか…よかった。三日間眠り続けていたからね…心配したよ」
「あの、あなたは…?」
「俺は、翠堂 遊糸。刑事をやっているんだ」
「…刑事…?」
刑事という言葉を聞くと、緋都瀬は胸の中が落ち着かなかった。 翠堂は警察手帳を見せた後、チラリと真樹枝の方へと向くと言った。
「真樹枝。すまないが、部屋をあとにしてくれないか?緋都瀬君に大事な用事があるんだ」
「…はい。分かりました。ひーちゃん。私、外で待ってるね」
「うん」
真樹枝は渋々といった様子で、車椅子を操作した。緋都瀬に軽く微笑んだあと、翠堂にも軽く頭を下げ、部屋を後にした。 翠堂は真樹枝が出て行くのを確認すると、緋都瀬に近付いてから言った。
「さて…君には色々と聞きたいことがあるから…正直に答えてほしい。分かったね?」
「…はい」
「まずは…何故君が、五十嵐 秋人君が消えた家に一人で寝ていたのかを教えてほしい」
「何故…?」
何故秋人の家で寝ていたのか? 緋都瀬は、ようやく思い出した。
自分は…秋人の母が行方不明になって、心配になって捜していたら、公園で見つけたこと。そして、秋人の家に行って、大事な話をしていた。秋人が突然苦しみだして、必死に止めようとしていた。 何から止めようとしていたのか?
思い出したのは、秋人の赤い目だ。その目を見て、俺は気を失った。 だから、病院にいるのだ。
思い出したことを翠堂に言ってみた。だが、秋人の赤い目のことや突然苦しみだしたことは誤魔化した。 この刑事は顔には出していないが…俺のことを疑っていると感じたからだ。
「ふむ…なるほどね…」
「あの、刑事さん…」
「ん?」
「秋人のお母さんは、見つかったんですか?」
「いや…まだ見つかっていない」
「…そうですか…」
翠堂の言葉に、緋都瀬は視線を反らした。 もしかしたら、見つかったかも知れない。 心のどこかで、微かに期待していたが見つかっていないと知ったとき…酷く失望してしまった。
「他に、何か思い当たることはないかな?」
「いえ…ありません」
「…本当に?」
「本当です…さっき話した以上のことは、分かりません」
「…そうか…分かった。何か思い出したら、この番号にかけてきてほしいんだ」
「はい。わかりました」
「じゃ、俺は失礼するよ。お大事に」
名刺を受け取った緋都瀬を見ると、翠堂は入り口に向かって歩き出し、部屋から出て行った。 翠堂の気配が完全に遠ざかったあと、緋都瀬はため息をはいた。
(警察って苦手なんだよなぁ…)
視線を下にしながら考え込んでいると、部屋に真樹枝が入ってきた。
「…大丈夫だった?」
「うん。大丈夫だよ」
「よかった。ひーちゃん、素直だから、何でも話しちゃったかと思ったよ」
「うわー…ひどいなあ…」
真樹枝の冗談と安堵の言葉が、緋都瀬にとってはありがたいものだった。
「アキ君とお母さん…早く見つかるといいね…」
「…そうだね…」
俺とマキちゃん、羽華ちゃん、玲奈ちゃんは《ある秘密》を大人達から隠している。 信ちゃんは…どこまで知っているのか分からなかった。
《あの日》以来お見舞いに行きたくても、行けなかったからだ。
『信司の所には行くな』
秋人に止めれていたのだ。こんな事を言えば言い訳になることは分かっている。 分かっているが、あの時の秋人の目は、誰かを殺しそうなほど、殺気に満ちていたのだ。
「……っ」
今思い出しただけでも、全身に悪寒が走って行った。 自分の体を強く抱きしめる。一人では抱えきれないから、真樹枝に相談したことがあった。 彼女は言った。
『きっと…アキ君は信ちゃんのことを許せないんだと思う。アキ君は、顔には出さない人だよ。
でも…今のアキ君の中には怒りとか、憎しみがあって、心の整理が出来てないんだと思うんだ。 だから…今は、アキ君の事を見守ってあげようね』
真樹枝の言ったことは当たっていると緋都瀬は思った。 彼女は昔から人の気持ちを汲み取るのが上手いというのもあるのだと思う。
「……アキ…」
今頃、秋人はあの暗い所で、名前の知らない兄に苦しめられているのだろうか。 自分の腹部に手を当てた。
《青い手紙》を開けた瞬間から、《名前の知らない兄》が腹の中で蠢いていた。 頭の中で《慈悲鬼》が言った言葉を思い出してみる。
【
《慈悲鬼》の試練ハ…その夢ト時の流れノ中で……《貴様ガ救いたい》ト思っている者ヲスクイダスコトダ。 ダガ、救えるノハ《一人》ダケダ。 どちらを救うかハ…よく考えて、エラベ】
「アキか…信ちゃんを…選ぶ…」
秋人も信司も大切な幼なじみだ。2人のうちどちらかを決めなければならないなんて…俺には出来ない。でも、慈悲鬼の言い方を見ると、時間はあるように感じた。
(そういえば…俺の決断を聞き届ける子がいるって言ってたな……)
俺の決断を聞き届けるのは
『もういーかーい…まーだーだよ…』
時折夢に出てくる女の子がいた。 彼女は俺に背中を向けて、かくれんぼの言葉を繰り返していた。
「………」
(あの子は、一体…)
緋都瀬は窓の外を見た。雲が広がり、穏やかな陽射しが差し込んでいる。秋人は《当たり前の日常》に戻ることを望んでいた。 だが、それは叶わぬ夢となってしまった。
緋都瀬は掌を強く握りしめ、自分自身に誓いを立てた。
(俺に出来ることをやる…それだけだ…!)
《裁鬼》の少女が、緋都瀬の言葉を聞き届けるのは、五日後となっている。 五日後までに緋都瀬は決断しなければならない。
秋人を救うのか。 信司を救うのか。 《慈悲鬼》の試練が、静かに始まったのであった。
END
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