【五十嵐 秋人編】一第四話一
一一夢を見た。幼い頃の夢だ。 俺の苦手な夏が巡ってきたある日の夢だった。
『父さん?』
『……ああ、秋人か』
縁側で、蜩の鳴き声を聞いていた父の姿があった。幼い俺は父の傍へと寄り、声を掛けた。
『座ってもいい?』
『いいよ』
俺は正座をして、父の隣へと座った。正座している俺に、父は苦笑を浮かべながら言った。
『楽に座っていいぞ。正座は疲れるだろう?』
『う、うん…』
俺は顔を下に向け、父の言葉に甘えて、正座を崩した。
父である五十嵐 力也は昔から病を患っていた。薬を飲み続けて、命を保つのがやっとだった。 父が咳をすると母は涙を堪えながら、背中を擦っていた。また、力也は五十嵐家当主でもあった為、母と俺はいつも敬語を使っていたが、父は、『敬語ではなく、普通に話していい』と言ってくれたので、普通に話すことが出来たのだ。
『秋人』
『なに?』
『双鬼村は…好きか?』
『うん…!大好きだよ!!』
父が言ってきた言葉に、俺は笑顔で答えた。 蜩の声が、大きくなっていく。
『そうか…』
『父さん?』
力也は一筋の涙を流すと、俺を抱きしめた。父は俺の存在を確かめるように、俺の頭を撫でながら言った。
『私に、もしもの事があっても……母さんとお祖母様の言うことを聞くんだぞ』
『うん。わかった』
力也の体は震えていた。 父は《何か》を恐れていたかのようだった。
***
「………」
携帯の目覚ましのアラームで目を覚ました時、自分の頬を触ってみた。 頬には濡れていた跡があった。同じように泣いていたのだろう。 何故父が泣いていたのか。 幼い頃から気になっていた事だった。
「父さん…」
ぽつりと父のことを呼んでみた。無性に父に会いたくなってきたのだ。 だが、父は…もういない。
夏が終わりそうになった月に父は亡くなった。祖母も、十年前の山火事で亡くなってしまった。 俺の知っている範囲で、双鬼村から下りてきた大人は母である秋世と緋都瀬の父である泰斗、夕日だけだ。
「……」
体を起こしたものの、体全体が倦怠感に襲われて、動けなかった。 何処か具合が悪いというわけでもない。腹痛がする、頭痛がするわけでもない。 ぼんやりと考えていた時だった。
プルルルルル
「!?」
突然鳴った携帯電話に、体が跳ね上がった。 時計を見る。今の時間帯に電話を掛けてくる人物はいない…はずだ。恐る恐る携帯を手にとった。発信者は、非通知だった。
「…………」
普通なら、無視して切っている所だが…無視をしてはいけない気がして、電話をとった。
「...もしもし?」
『……………』
電話の相手は答えない。
「誰だ?なんで、俺の番号を知ってる?」
『…………ト……』
「!」
ノイズが混じって、上手く聴きとれない。
「……」
心臓が高鳴っていく。俺の中で、悪い予感が膨らんでいく。
「……」
(もしかしたら…いや、そんなはずは…)
心の中では、電話の相手が誰なのか…予想はついている。だが…《そんなことはありえない》のだ。あってはいけないんだ。時計を見る。いつもなら、この時間には下に降りて、朝ご飯を食べなければならない。いつもの時間に降りてこない自分を、母が心配してしまうからだ。 秋人は何度か深呼吸をした。迷っていても仕方ない。意を決して、電話の主に聞いてみた。
「……《父さん》なのか?」
『………アキト…』
「!!」
出そうになった悲鳴を片手を当てて、防いだ。
「なんで……父さんが…!?」
『マッテイル…ゾ…』
「え…?」
『イエ…デ…マッテイル…』
「まさか…嫌だ…!俺は、父さんを…!」
ブツ!ツーツーツー…
俺が何を言うのかを察したのか…父さんは電話を切った。折り返しの電話を掛けたが、繋がらなかった。
「………っ…」
俺の頭は混乱していた。何故父が復讐相手に選ばれたのか分からなかった。
「……」
考えていても答えは浮かばなかった。
携帯を持って、一階へと降りていった。
***
学校に着いても、授業中も、休み時間も…俺は上の空だった。 今朝に掛かってきた父さんからの電話が頭から離れなかった。
「アキ?」
「!」
窓の外を見つめていた俺を緋都瀬が声を掛けてきた。気がつけば放課後となっていて、皆、部活に行ったり、友達と一緒に帰ったり、喋っていたりと自由に過ごしていた。
「放課後に、なったんだな…」
「…アキ、今日変じゃない?具合でも悪いの?」
「何でもない。気にするな…」
「……」
俺は立ち上がり、帰る準備を始めた。緋都瀬は納得していない顔をしていた。秋人が、緋都瀬の前を通り過ぎようとした時一手首を掴まれた。
「!」
「…俺は、アキの味方だから」
「緋都瀬…」
「助けが必要になったら…言ってくれよ。俺達…友達だろ?」
「……」
緋都瀬の言葉に、俺は泣きたくなった。 今すぐ俺が抱えていることを言いたくなった。泣きそうになりながらも、無言で頷いた俺に緋都瀬は笑った。緋都瀬に見送られながら、俺は屋上へと向かったのであった。
***
屋上に辿り着いた俺は、鞄の中から赤い手紙を取り出した。
「……」
(この手紙を開けた瞬間から…俺の日常は壊れたんだ)
元の日常に戻りたい。祈里に会って…告白したい。その為なら何でもすると覚悟を決めていた…はずだった。
(俺は…父さんを…恨んでいたのか?憎んでいたのか?)
頭の中では、物静かで優しかった父の姿にしか思い浮かばなかった。夕陽のかかった学校は美しく、校内の運動場からは野球部の掛け声が聞こえてきた。
「《兄さん》…俺を…試練の場所に連れて行ってくれ」
『分かったァァ…!』
「……っ」
赤い手紙を見つめながら、《兄》を呼んだ。
《兄》は嬉しそうに笑うと俺を背後から抱きしめ、目隠しをした。目隠しをしたまま、俺と《兄》は屋上から飛び降りた。
***
「……」
ゆっくりと目を開けると、まず鼻についたのが、畳の匂いだった。懐かしい。この匂いは昔から好きな匂いだったから、よく覚えていた。部屋を見渡しながら、幼い時のことを思い出していると、天井から麻袋が落ちてきた。
(孝治と優太の時と一緒だ。父さんも…あの中に…)
確信を持ちながら、ゆっくりと麻袋へと近付いていった。麻袋を開けると、父が、いた。
「!!」
『……アキト…』
「父さん…!!」
俺の声が聞こえたのか…父さんは、俺の方へと顔を向けた。麻袋から父さんを引っ張り出すと、縄も目隠しもとった。虚ろな目をした父さんが俺を見た。父さんは、微笑むと言った。
『大きくなったな…秋人』
「うん」
『…何歳になった?』
「16歳だよ……高校2年生になったんだ」
『知っている』
「え?」
父さんの声が、冷たくなった。冷たい声だと認識した瞬間、俺は父さんに押し倒されていた。
『お前のことは…ずっと前から《見ていた》よ』
「どういう意味だ?だって…父さんは…!!」
『ああ…死んだよ。《人間の俺》はな』
「《人間の俺》…?」
俺が感じていた違和感。それは…父さんは自分のことを『私』と言っていた。
「じゃあ…お前は、何なんだよ!?父さんを返せ!!俺の知ってる父さんを返せ!!」
『…………』
パンッ!
部屋中に響き渡るほどの乾いた音がした。父さんに頬をぶたれたと認識するのに時間が掛かった。
『この際だ…俺のことを教えてやる。 俺は…《病魔の鬼》だ。もう一人の《人間の俺》は本来は復讐鬼の使命を受けていたが、妻と親友を手に掛けられず、失敗した。
あいつは臆病者で弱虫だったんだ。決して…優しく、物静かではなかった』
「嘘だ…!!じゃあ…父さんは…お前に殺されたって事かよ…!?」
『そうだな…そうとも言うよ。だが…俺がお前を…手に掛ける方が先だ…!』
「か…あっ…う…」
怒りと憎しみで、俺が父さんに手を伸ばすよりも先に《病魔の鬼》は俺の首を両手で掴むと、力を入れ始めた。抵抗しようにも…大人の力に子どもが勝てるわけがなかった。
「と…う……ん」
『抵抗しないと…俺に殺されるぞ?』
「お…れ…は……と…うさんに…何されても、いい…か…ら、元に…戻って…くれよ……」
『一一』
《病魔の鬼》は秋人の言葉に目を見開くと、首から手を離した。首の圧迫から解放された秋人は激しく咳き込んだ。彼は、両手で頭を抱えると後ろへと後ずさりした。
『やめろ…!!アキトに手を出すな…!!』
『うるさい!今頃出て来やがって!!俺はお前の代わりに、コイツを楽にしてやるって言ってんだよ!!』
『ウルサイのはお前だ!黙っていろ!!』
「………」
力也は壁に頭を何度もぶつけながら《病魔の鬼》と会話をしていた。父に置いて行かれた秋人は呆然と見つめていた。壁に頭を擦り付けながら、血まみれの父が俺を見つめながら言った。
『アキト…頼む。私が、私であるウチに…私を、殺してくれ…!』
「……」
父は泣きそうな顔をしていた。父の手には一一金属バットが握られていた。金属バットを差し出してきた父に、秋人は首を横に振った。
「嫌だ…!俺には出来ない…!」
『よく聞け……秋人。《復讐鬼の使命》を達成しなれば…祈里様に会うことは出来ない』
「え…?」
『本当なら…《私達の代》で終わらせるべきだったんだ。それなのに…お前達まで…巻き込んでしまった。ごめんな…秋人…』
「……」
頭を抑えながらも、必死で言葉を紡いでいる父に秋人はどうすればいいのか分からなかった。話している間も、父は《病魔の鬼》からの侵食に苦しんでいた。
『はぁ…はぁ…はぁ…』
「くっ…!」
意を決して、秋人は金属バットを握りしめ、上に振り上げた。
『はぁ…はぁ……』
「父さん…俺、俺は…!!」
『…愛してるよ…秋人…』
「あああああああ!!」
一一父の言葉を聞いた瞬間…俺の中で、何かがキレた。発狂し、父の頭に金属バットを叩きつけた。倒れた父に向かって、何度も、何度も、叩きつけた。
『痛い…ヤメテ…クレ…』
「うるさい!うるさいうるさい!!」
《病魔の鬼》が秋人に向かって、手を伸ばしたが、その手を殴りつけた。手をおかしな方向へと曲がってしまった。手の痛みに呻く暇もなく、秋人は更に殴り続けた。もはや、父は原形を留めてはいなかった。
やがて…完全に父は動かなくなった。
「……父さん…?」
全身が血塗れになった秋人は、ふと、正気へと戻った。金属バットを捨てると父の傍へと屈み込んだ。父の体は冷たくなっていた。手も、足も、顔もおかしな方向へと曲がっていた。
「父さん…父さん…!う、あ、あああ…!!ごめん…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…!!」
《父を殺した》
秋人の頭の中で、目の前の現実を叩きつけてきた。秋人は泣きながら、父に、縋りつくように抱き付きながら言った。
「もう…嫌だ…!助けてくれ…誰か、助けてくれよ…!!」
『秋人、泣くな』
「……《兄さん》…」
後ろから抱き締めてくれた《兄さん》に、俺は涙が止まらなかった。よく見ると、《兄さん》も黒い涙を流していた。
『もう少しだ。あと一つ…試練を達成したら、終わるんだ』
「本当に?」
『本当だ。だから、今日は、帰ろう?』
「…分かった…」
秋人は父から離れた。これ以上、父のそばにいても仕方なかったからだ。もう、父は死んでしまったのだから。そう考えると、秋人はまた涙を流した。 《兄》は秋人の目を隠した瞬間に、二人は消えた。残されたのは、死体となった力也だけであった。
外では…季節外れの蜩が鳴いていたのであった。
END
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