第8話 約束 。
―――セントラルタワービル エントランス入口
他の建物より原型が残る巨大なビル。
開けっ放しになった自動ドアから入る人影が、その中へと薄く差し込み、入ってきた。
スタ……スタ…
「…ただいまー、なのかな?」
「そういえば、優奈さんはここに住まわれていたんですか?」
「…んー、何も覚えてない…」
「そうですか…」
(…教団が行っていた”新人類計画”、それは世界の終焉と共に闇へ消えた、最早正確な情報は残されていないけど…私達は知っている)
「……花蓮さん?」
(ここがその中心であり、終わりの始まりだった場所だと…)
「…ねぇ、どうしたの?」
「……あ、ごめんなさい…少し懐かしくて、実は私、ここに住んでいたんですよ」
「そうなの!?ごめん!覚えてない!」
「あはは、そもそも出会った事も無いですからね」
「そうなの?」
「優奈さんを見つけたのはこのビルの上の方です、私は地下で暮らしていましたから、出会う機会が無かったんですよ」
「…地下に? ずっと?」
「……はい、訳あって体が脆弱で…肌が蛍火でも爛れる程に弱く、目も殆ど見えない、歩く事も物を掴む事も出来ない程に貧弱、出来る事と言えば喋る事と眠る事……生命維持装置に繋がれていないと一時間と生きていけない程でした」
「………それが、こんなに元気に…」
「あはは、見つけてくれた眞人さんから機械の体を貰いましたから、実は脳だけは生身のままですが」
「…でもさ、この街電気止まってるよね? どうやって見つけてくれるまで生き残ったの…?」
「…早くに見つかったのはありますが、生命維持装置のおかげです、それがないと生きれませんが、ある限りは中々死にません、電力に関しても私だけ完全に孤立した予備電源を使っていました、そのお陰で電気がなくなっても生きていられたんです」
「…聞きにくいんだけど…どのくらい?」
「数えてないからわからないですが…強いて言うなら…一度、完全に気が狂いました…でも自分を殺す力も無いので、もう何も考えずただひたすらに眠っていましたね」
「…う…ごめんなさい…好奇心で嫌な事聞いちゃって…」
「…大丈夫ですよ、もう私は生まれ変わったんです、確かに辛かった、だけどそれ以上に眞人さん……大好きな恩人に尽くせる事が嬉しいですから」
「……大好きなんだ…」
「はい、凄く大好きです」
「へ、へぇ〜」
(好意を隠さない、これが大人かぁ…)
ドドドド…
「……? 何か音しない?」
「…しますね、地鳴り…みたいな…」
近くで何かが揺れるような地響き。
次の瞬間
ピカ…!
「!!」
二人の背中を、強烈な光が照らし
プシュゥ…!
電車が、再び彼女達に襲いかかろうとしていた。
「嘘ぉぉ!?」
「こいつ…!まだ…!?」
花蓮が気づくと同時に列車は入口を破壊しながら二人の方へと突撃する。
ズドドド!!
だが、その動きはさっきとは比べ物にならない程に遅い。
あの速さを体感した花蓮からすれば、哀れみを覚える程に鈍かった。
シュタ…!
花蓮は横方向へと飛び、その突撃を難なく躱す。
電車は方向を変えない、力の絞りカスすらも使い切ったそれは、先程まで花蓮が居た場所へと変わらず突っ込んでいた。
「……さようなら…」
花蓮は餞の言葉と共に目を瞑る。
優奈は安心した表情で電車の方を見ていた。
そう、見ていた。
見てしまっていた。
「…………え?」
次の瞬間、優奈の視線は電車から外れ
ヒュォ…
その進行方向へと落ちてきた少女へと映った。
ボロボロの手足、握られた拳銃、首にかかるちぎれたロープ、そして一緒に落ちてきた血と、こめかみに穴が空き、周りの白髪が赤く染まっている。
明らかな自死を望んでいる、優奈はそう理解し、一気に血の気が引いた。
紛れもなくその為にここへ飛び降りて来た。
高さは分からないが、恐らく普通なら死ぬであろう高さ。
それに付け足された首吊りと拳銃の跡。
確実に、絶対に、何がなんでも、死ぬ気で死のうとしている。
あまりにも無惨で残酷な姿に、優奈の食道付近に微かな違和感が現れ、思わず口を抑えようと動く。
だが、体は動かない、正確には動きが遅く感じる。
目の前にある他者の死。
ほんの一瞬の衝撃。
優奈はその一秒にも満たない、永遠とも言える瞬間に囚われていた。
そのたった一瞬だけで、誰かも分からない少女に、優奈は己の心を握り潰されかけていた。
だが、どんな時間にも終わりは来る。
永遠に感じる程の衝撃は、ゆっくりとその亡骸へと電車が近づいていく事で確かに終わりへと向かっていた
優奈はただ、祈る事しか出来ない。
この鬱屈とした痛みと吐きそうな程の残酷さが絶え間なく襲いかかるこの一瞬、その一刻も早い終幕を、見つめ、祈り、見届ける事しか出来ない。
いずれ終わる、そう終わる。
電車の影に、少女の姿が隠れようとしていた。
終わる、もう終わる。
目の前で人が死ぬのに、心の中に安堵が僅かに芽生えそうになっていた。
今は良い、とにかくもう嫌だ…
ようやく、ようやく…!
…終わ――――!!
「………………………!!」
目が合った。
生きているはずが無い、今から死ぬであろうその少女は
焦点があっていない、濁り曇った眼をこちらに向け
光と希望が満ちたように、柔らかく口角を緩ませて
優しく、無邪気に涙を流して笑っていた。
ガシャァァァン!!
電車が反対の壁へと勢いよくぶつかり、建物の全体が微かに揺れる。
ガンガン……カラカラカラン…
無機質で甲高い鉄が落ちる音がフロアに響く。
揺れと音がが収まった頃にはもう電車は動かず、ただの鉄塊と化していた。
「…良かった、今のが最後だったようですね…さぁ、お薬を…」
「……ぁ……ぁぁあ…」
「…優奈さん?」
「か、花蓮さん!下ろして!早く!!」
「…え!? あ、はい…!」
花蓮が困惑しながらも返事し、腰を僅かに下げた瞬間、腕を解かれるのを待たずして、電車の方へと駆け出す。
タッタッタ…!
「…はぁ……!はぁ……!」
疲れとひりつきでもつれる足を回し、転がる様にひたすらに走った。
呼吸がどんどん荒くなる。
だがこれは、走った事による過呼吸では無い。
涙が溢れる。
しかし、悲しい訳でも怖い訳でもない。
ようやく電車へと辿り着く。
生き物の気配が無い。
電車からも、その周りからも…
見間違いだったんだろうか…
そうであって欲しい、そう願おう。
そう…幻覚…あれは私の幻覚…思ったより疲れてたんだ…だから…!
ピク…
「…っ…」
壁と電車の隙間で、何かが蠢いた。
あぁ、そうだ…見間違えな訳が無い。
幻覚な訳が無い。
……彼女にとっては、間違いなく現実だったんだから…
優奈が見ていたたのは、列車から力なくはみ出た誰かの左手だった。
汚れた色の患者服が赤く染まり、指先から血が滴り落ちる。
見えている部位以外の体は列車に潰されてしまい、最早原型があるのかすら分からない。
だが、確かにまだ生きている。
生きてしまっている。
死を望み、ただ生きただけの肉塊がそこで生きている。
そしてそれは
「……」
願うようにこちらへぐちゃぐちゃになった手をぎこちなく伸ばしていた。
「…っ…」
優奈が近づき、跪いてその手を握る。
自身よりも少し小さく、血まみれで爪も皮膚もボロボロになった少女のザラザラした柔らかい手。
昔はもっと綺麗だったのか、一体どれだけ生きてきたのか、考えたくもならないそんな手。
「……ごめんなさい…」
優奈の口から謝罪の言葉が漏れる。
「…今はまだどうすれば良いか分からない、だけど…」
そう言いながら手の向きを変え、小指同士を絡める。
「…約束する…!」
叶うかも分からない、方法も分からない、そんなふわふわとした決意の言葉。
というか相手には腕以外残っていない、そもそも聞こえていないんじゃないだろうか…
いや、もうそんな事はどうでもいい。
彼女は聞いている、だってあんな状態でも私の事を見つけたんだから。
…だから、聞いて。
「…必ず、貴方を救ってみせる!!!!」
これならきっと聞こえる、それくらいの大声、心無しか相手の小指も少し握り返してきている気がする、それはそれで怖いけど。
「…こほん、ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら……えーっと…電車に食べらーれる、指切った!」
…優奈が歌い終わるより前に、その腕は灰になってとっくに消えていた。
スタスタ…
後ろから花蓮が近づき、その光景を不思議そうに見て、ようやく尋ねる。
「……優奈さん? 一体…何を?」
「…ん?約束だよ、人助けの」
「…はぁ…そうですか…それよりお尻は?」
「…………言われたらヒリヒリしてきた」
「では早く薬を探しましょう、手遅れになったら怖いですよ」
「うん! おんぶして!!」
「はいはい…」
花蓮は少し呆れ気味に優奈を背負い、薬局のある方へと向かった。
キラ…
灰になった手の真下で、丸い輪っか状の何かが小さく輝く。
それは人生において、最大の約束。
人が人を最も愛した時に渡す最愛の印。
愛を唱えた人の手により、愛しき人の薬指へと嵌められる誓いの証。
最早誰にも知られる事の無い、誰かのそれは…
確かにそこで、最後まで煌めいていた。
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