第18話 地元に人気のお店

 しばらくして、レーデッドの姿は食堂にあった。

 簡単に言えば、腹ごしらえだ。どんなことをしようたって、先ずは腹を満たさなくてはならない。当然と言えば当然の行為でもあるし、ある意味致し方ないことだと言えるだろう。


「……何を食べよう」


 メニューはなかった。壁には沢山の紙が貼られていて、そこには一つ一つ料理の名前が書かれている。大凡、これがメニューの代わりなのだろう——レーデッドはそう察した。

 とはいえ、予算がある。レーデッドは先程メアリー達と別れる時に、金貨を数枚貰った。何か起きても良いように、というのがメアリーの考えであったが、今考えるとそれは正解だった、ということになる。


「とはいえ、」


 何がオススメなのだろうか。

 レーデッドは今まで一人でこういった店に入ったことはなかった。外に出たことぐらいは流石にあったとしても、大抵お付きや護衛が居てこそだ。そうでなければ王族を守ることは出来ない。

 地位が高い人間は、守られることもまた義務である。

 レーデッドはそれを分かってはいたが、しかし忌々しくもあった。自由に行動することが出来ないからだ。自分がしたいことを、自分の思うがままに出来ない——それは、想像もつかないぐらいの苦痛であった。

 だから、今。

 一人で放っておかれても、何も出来やしない。

 冒険と言うことを、極端に嫌ってしまっているのだ。

 でも、今。

 レーデッドはここに居る。

 もうこれ以上歩くことは出来ないし、食欲を満たさなければならないと思ったから——それは間違いない。


「……アンタ、何してんの?」


 ふと、隣のテーブルから声を掛けられた。

 茶髪の少女だった。くりりとした目に、少し赤らめた頬。白いワンピースを着た少女は、レーデッドを見てそう言った。


「え、えと」

「初めてここにやって来た、って感じだけれど。合っているかな?」

「……まあ、そうなるかな」

「何よ、それ。少しは素直に認めたらどう。そうしないと、暮らしていくのが大変だと思うけれど」


 深い溜息を吐いて、少女は話を続ける。


「まあ、良いや。オススメを教えてあげる。オススメは、野菜と鶏肉のマイスルーク煮よ。ちゃんとご飯も出るから安心して」

「マイスルーク……?」

「知らない? 西の海にある小さな漁村だけれど、そこはあまり魚が捕れなくて、逆に山に登って鶏を取りに行くんですって。そこで育てた野菜と一緒に塩をベースにしたソースで煮込んだのが、マイスルーク煮って訳。まあ、わたしも何度も食べた訳ではないけれど、外れはないよ」

「ふうん……」


 とはいえ、百聞は一見にしかずとも言う。何回話を聞いたとて実際に一度見てみた方が話が早いことは多々あるのだ。


「注文は?」


 程なくして注文を聞くためにウエイトレスがやって来た。ウエイトレスとしゃれた言い方をしてはいるものの、格好は小綺麗に纏まっている訳ではなく、必要最低限の綺麗さをキープした服装だった。所々解れが見えるし、穴も開いている。流石に肌が見え隠れしているのではなく、中にインナーを着て対策はしているようだった。


「マイスルーク煮を二つ。あとライスも」

「了解。……それにしても、初めて見る顔だね。連れかい?」


 恭しく笑みを浮かべて、ウエイトレスの女性は質問する。


「まあ、そんなところかな……」

「観光客、って訳でもなさそうだね。そもそも、観光客はこんな僻地には訪れることは滅多にないからね。スノーフォグ高原は、殆ど全てが観光客のための店であるのだけれども、今だってこんな感じに」


 ウエイトレスは両手を挙げて、辺りを見回す。

 客は多いが、確かに観光のためにやって来ている、という感じではない。全員が全員、必ず誰かと話をしている。有象無象の話題なのだろうが、普通観光客が多いのであればここまで騒がしいこともないだろう。


「——分かるかな? 観光客だと、こうもやれないよね。地元の人間しか訪れない店って訳。そういう意味じゃ、アンタ、かなり頑張ってきているってことになるよ」

「……そうなのかな」


 レーデッドは、何も考えずにここにやって来た。

 いや、或いは。

 考えたくないから、全てを投げ出したくなって、ここにやって来た——と言っても良いのかもしれない。


「そうじゃない?」


 少女は言う。


「ま、どう考えるかは自分自身だと思うけれどさ。こうやって高尚なことを言うつもりもないけれどね」

「……そう思っているなら、言わなければ良いだけじゃないか」

「そう?」

「だってそうだろ……。実際はどう転ぶかって話なのだろうけれども、ここに暮らしている以上、何も考えなくて良い訳ではないはず。違うか?」

「……何か、考えていないようできちんと考えているのね。それはそれでちょっと脱帽というか消沈というか」

「消沈されちゃあ困るのだけれど……」

「お待ち遠様」


 会話に割り込むように、ウエイトレスがやってきた。

 ウエイトレスの手には二つのお盆がある。それぞれ一つお盆を持っている訳だが、その上には深いお皿と浅いお皿が一枚づつ置かれている。

 とはいえ、ただ置かれているだけではない。それが空き皿である訳でもなかった。

 目の前に置かれると、漸くその全貌が見えてくる。

 少し茶色がかったスープの中には肉や野菜が浮かんでいる。根菜の類も入っているようだ。種類もそれなりに豊富に入っており、これだけで満足できそうなボリュームであることは間違いなかった。


「これが……」

「そう。これがマイスルーク煮。食べてみて? 百聞は一見に如かずとは、古い人間が良く口にするでしょう?」

「……なるほどな」


 レーデッドは、漸くここに足を運ぶ客が多いことに気がついた。

 理由を理解した、とでも言えば良いか。

 先ず、鼻腔を擽るのは塩味が効いたスパイスの香りだ。スパイスは食欲増進の作用がある——様々な学問を学んでいく上で得た知識の一つだ。あまり役立たないものとばかりレーデッドは思っていただろうが、意外や意外、こんなところで役立つとは本人でさえも思ってはいなかっただろう。

 一口、口に運ぶ。

 直ぐに舌の上で強烈に感じたのは、辛味だ。スパイスの香りがしていたのは間違いなかったが、まさかここまで辛味が強烈に感じるとは思いもしなかっただろう。レーデッド自身は、辛味に耐性がある訳でもない。とは言っても、辛いのが嫌いな訳でもなかった。


「……あら、意外。あんた、辛いの得意なの? マイスルーク煮を初めて食べた人間の大半は、辛さに驚愕してその後なかなか続けて食べられない……なんてことがあったりするものだけれど」

「辛くないと言えば、嘘になるけれど……」


 でも、食べられない辛さではない。

 レーデッドはそう思っていた。


「ふうん、意外っちゃ意外ね……。もう少し弱々しいものとばかり思っていたから、外からやってくる観光客って。スノーフォグの表だけを知って、裏を知ることはないのだし」

「裏?」

「知らない? スノーフォグは今でこそこうやって観光地に発展しているけれど……、かつては領主が謀反を起こしたことで世界から反感を買った、ってことに」


 レーデッドは先程メアリーから聞いたことを思い返していた。

 それこそ、二百年以上前に起きていたリュージュによる世界征服、そのことではないか、と。

 多少の誤差はあれど、それなりに歴史は伝わっているのだと、レーデッドは感じた。


「聞いたことはあるよ」


 レーデッドは話を合わせようと思った。

 ここで知らぬ存ぜぬを突き通すことだって可能だったろうし、その方が楽だったりするのも間違いはないだろう。

 さりとてそれをしたところで新しい情報は得られないのではないか——レーデッドはそう思っていた。

 姉を救うためには、どんな小さい情報だって逃してはならない。

 レーデッドはそう思い、寧ろ情報には貪欲でいようと思うのだった。


「……あら、意外ね。観光客ってその辺りの知識はあまり仕入れないとばかり思っていたけれど。それこそ、ここ数十年に起きた出来事しか知らないってのも珍しくないし。知っている? スノーフォグはかつて国だったのよ。それを知っている人間は居るかもしれないけれど、スノーフォグがどうやって発展し衰退していったかなんてことは誰も知らない。歴史書を見れば分かる話だって、誰かが言っていた気がするけれど、それをわざわざ見に行く変わり者も居る訳はないしね」

「でも、気になるな。少し教えてくれないか」


 レーデッドは、自分の常識は最早通用しないと思っていた。

 生まれてからずっと、王宮の中でしか教えてくれなかった知識は、全て仮初のものであったということ。

 本当の歴史を誰も教えてくれず、寧ろそれを隠そうとしていること。

 何故事実を隠そうとするのか? 予言の勇者が存在していたことは分かっていても、それをどうして隠そうとするのか? レーデッドは、逃亡をしてからずっと考えていた。

 自分の知っている世界は、世界の中でも作られた記憶であると。

 世界はもっと明るくなく、楽しくなく、寧ろその逆で——暗く、苦しく、醜いものである、と。

 レーデッドはそれを理解しつつあった。

 すんなりと受け入れられたのか、というとそれは嘘になるだろう。

 寧ろ自らの持っている常識を、そうも簡単にかなぐり捨てることが出来るはずもないのだから。

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