第13話 メアリー・ホープキン

「メアリー……ホープキン、だって……?」


 レーデッドは、目を丸くしていた。

 その名前を聞くことはあったにしても、その存在を目の当たりにすることなど——この時代では有り得ないと考えていたからだ。


「何か不満でもありますか?」

「いや、そんな馬鹿な……。だって、あなたは三百年前に活躍した勇者一行の一人だ。そうだろう?」

「まあ、確かにその通りだけれど……」


 レーデッドが驚くのも無理はない。

 人間の寿命は、どれだけ長かろうとも、百二十年が限界だ。それもその百二十年の間に、確実に容姿は年老いていく。皺が増えていき、その皺が深くなっていき、腰が曲がっていく。それはどの人間でさえも適用される事例であり、それは当たり前のことであった。

 しかしながら、今レーデッドの目の前に立っているメアリーは、少女そのものであった。

 まるで、三百年前に描かれた絵画がもしあるとするならば、それから切り取ってきたかの如く——。


「本当に、本当に……本人、なのか? レプリカとかそんなものではなく?」

「祈祷師。何故彼らが、世界に蔓延ることが出来たと思う?」


 ライラの問いに、レーデッドは首を傾げる。


「今、その話をしている場合では——」

「いや、それが大いに関係あるんだよ。祈祷師、彼らは神の一族だ。その祖先に君臨しているのは、この世界の礎を築いたとも言われる、神——ガラムドだ。ガラムドは偉大なる戦いののち、その姿をお隠しになった。死んだとは一度も言われていない。つまりは、未だにガラムドは生きていると言われている。無論、我々が認知出来る存在ではないのは間違いないのだけれどね」

「それと……何の関係性が?」

「まあ、黙って聞いてくれ。もう少しで終わるから……。それで、その血を引き継いだとされるのが、祈祷師だ。まあ、これには諸説ある。本当にガラムドの血を引き継いでいるのやも怪しいところはあるからね。ガラムドは生涯子をなすことはなかった、とも言われているし」


 神の一族、祈祷師。

 それは歴史からは葬られつつあるが、確かに存在していたこと——それは間違いない。

 しかしながら、今それを語るのはどんな意味があるのか? レーデッドには未だ分からなかった。


「祈祷師は、未来予知をすることが出来た、と言われている。元々神の血筋だ。そういった能力は持っていたのだろう。しかし、だからこそ傲慢になる存在が現れた。それが——」

「——それが、リュージュです」


 話者は、メアリーへと切り替わる。


「リュージュは、奢りました。自らの能力を、自らが一番使えると。そうして、それによって人心を掌握出来る、と。彼女は悲しみの弾雨を預言し、そして実現しました。それは、かつて世界の滅亡を預言した祈祷師に近い実績を手にしたのです」

「悲しみの弾雨……。確か旧時代の技術が誤作動を起こして、空から爆発の雨が降り注いだと言われる……あの?」


 こくり。メアリーは頷く。

 悲しみの弾雨について、レーデッドも詳しく知っている訳ではない。

 そもそも、今現在の歴史書は、どれを見たとしても、勇者が出現する以前の記述は、あまりにも希薄だからだ。

 悲しみの弾雨について知ったのも、ライラが世間話の感覚で話をしたからであり、恐らくは殆どの一般市民も知ることのない事実だ。それぐらい、人々が歴史について関心がないことの裏返しになっている——と言われればそれまでではあるが。


「それにより、リュージュはスノーフォグを掌握することに成功しました。そうして、スノーフォグに存在した旧時代の技術を研究する組織『シグナル』を自らの傘下にすることが出来たのです。リュージュはそれほどに旧時代の技術を渇望し、実現したがっていました」

「旧時代……。聞いたことはあんまりないけれど、そもそも存在するのか? そんな時代が」

「世界は何も、ガラムドから始まった訳ではありません。不思議には思いませんか? 何故、この世界の歴史は偉大なる戦いから始まり、ガラムドが降臨したタイミングからしか残されていないのか。そのタイミングで戦争が起きていたのなら、少なくとも人々はそれよりも昔から生活を営んでいたはずです。だのに、何故? 何故、歴史は抹消されてしまったのでしょうか」


 レーデッドは、答えられなかった。

 確かに、偉大なる戦いから始まった歴史というのも、冷静に考えてみると理解が出来ない。

 きっとそれは多くの学者が考えていたことであろうし、であるならば何故そこから話が進展しないのか——ということも謎が残る。


「世界の真実は、より深く、澱の如く溜まっているのですよ。誰にも、知られることのないまま……ね」

「メアリー、さん」

「メアリーで良いですよ」

「……、」


 勇者一行の一人を呼び捨てにするのは、多少の抵抗があった。

 しかしながら、本人がそれで良いというのだから、致し方なしと言えるだろう。


「メアリー。どうしてあなたは、ここに?」

「……と、言いますと?」


 レーデッドの問いに、柔和な笑みを浮かべたまま質問を返すメアリー。


「あなたは、勇者一行の一人だ。だから、世界の危機を脱した後は、表彰され、褒め称えられ、世界の中心に立つことが出来たはずだ。だのに、どうして——」

「平和になった世界に、勇者は必要だと思いますか?」


 メアリーの発言に、それ以上レーデッドは言葉を言い出せなかった。

 強い言い切りだった、と言っても良い。


「平和になった世界。それは人々にとっては、共通認識であった悪が取り除かれた世界です。悪がなくなるまでの世界にとっては、悪を滅ぼそうとする存在——勇者や各国の兵士は必要です。存在しないとなると、自らでその身を守らなければなりませんし、終わることのない恐怖に身を震わせ続けるのですから」


 しかし、とメアリーは言う。


「悪が消えてしまった世界は、多くの人々にとって喜ばしいことです。悪を倒すのは、決まって勇者です。さて、問題です。では、悪が消えた世界で……多くの人間は次に何を恐怖に思うでしょうか?」

「怖いと思うものがない、のでは? そうやって平和は享受され続けるのだろう……」

「違いますね。次に人々は、平和を脅かす可能性がある存在を排除しようとする訳です。仕方ないと言えば仕方ありません。人間は生きていく以上、全ての存在が善に染まる訳がなく、やはり生まれるのですよ。悪というのは」


 レーデッドは、漸くここでメアリーの言っている言葉、その真意が読み取れた。


「つまり……、次に排除されたのは勇者自身……?」

「ご明察。勇者は、平和になった世界にとっては不要なのですよ。……残念ながら、ね」

「でも、でも。あなたは平和になった後も、ハイダルク城に住んでいた」

「ルーシーが王様になったからね。ルーシーは頭が良かったし、前王の忠愛も受けていたし、前王には子供が居なかったと聞いているし」


 事実のみを、淡々と述べていく。


「しかし、それでも……。それでも風当たりは強かった。子供が生まれ、平和な日常を今度こそ送ることが出来るとばかり考えていた。現実は、そう甘くなかったのだけれど」

「今のアドバリー家は、メアリー・ホープキンとルーシー・アドバリーの子孫だ。つまり……、勇者一行の才能である錬金術の才能と守護霊使いの才能、それらは持っていて当たり前のものなのだ」


 再び、話者はライラに移る。


「でも、わたしは外に出ました。ルーシーが亡くなったからです。ルーシーが守ってくれたから、わたしは王家に居られた。けれど、ルーシーが亡くなってからはその後ろ盾もなくなった。ハイダルク王家にとって、跡継ぎさえいればどうだって良い。それがどんな血縁であろうとも、それを揉み消してしまえば良い……。そう思っているのですから」

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