第9話 誘惑

「勇者一行の才能を……」


 レーデッドは、フィードの言葉を反芻する。

 その事実は、ただの事実ではないこと——それはレーデッドも分かっていた。ハイダルク王家に代々伝えられている、伝説とも近しい話だ。


「勇者の再現となっているということは……、この世界に何か起きるということなの?」


 ミリアの言葉に、ライラは頷いた。


「そうであってほしくないのは事実だ。けれども、伝承は伝承だ。或いは、運命とでも言えば良いのかな……」

「いや、ほんとうにそんなことが?」

「信じられないか?」


 フィードは、首を傾げる。


「確かに、予言の勇者によって世界が救われてからの三百年、平和な時代が続いていた。だからこそ、人々は安寧を享受し、そして平和が標準であると錯覚するようになった。そんなことは有り得ないのだけれどね。平和になっているのは、偶然均衡が取れているだけに過ぎない。均衡が崩れることは、どんな些細な原因でも有り得る。それこそ、赤子がちょいと触れるだけでも崩れるぐらいに」

「しかし……」


 レーデッドは信じられなかった。

 確かに、伝説は伝説だ。

 されど、その条件が成立したからといって、その後の話も同じになるはずがない。

 そんなことは有り得ない——と。


「……勇者は、二千年のうち一度しか生まれなかった。何故だか分かるか?」


 フィードは頭を掻いて、そう訊ねる。


「?」

「勇者は、人々が望まなければ出てこない……んだよ。だから、勇者は生まれた」

「人々が望まないと——生まれない?」


 レーデッドの言葉は、至極尤もな疑問だった。

 勇者が生まれる理由は、世界に危機が迫っているから——そうではなかったのか。

 しかし、フィードの言葉は、それと比べると大いに矛盾する。


「祈祷師と呼ばれる存在は、知っているか?」

「祈祷師……。確か、ガラムドを祖先に持つ、未来予知の力を持つ一族のことだったか」

「さっき言ったオール・アイも、祈祷師だと言われている……。そいつは世界の全てを理解し、世界の全てを把握し、世界の全てを監視している。そんなことをしていて、何が面白いのやら。つまらないような気がするがね、寧ろ。世界を全て理解した上で、それを監視しているんだぞ? その日のうちに起きる出来事が百パーセント全て分かっているのに、何故わざわざ監視する必要があるんだ」

「そりゃあ、まあ……」


 フィードの言葉も尤もだった。

 しかしながら、現実として――オール・アイ――全てを監視することの出来る存在が居るとするならば。


「……人々が、抗えない運命に抗おうとする様を楽しむため、とか?」

「……はっ!」


 フィードは、耐えきれずに笑みを零す。


「何がおかしいんだ?」

「いいや、何も。何もおかしくなんかいねえよ……。ただまあ、そうかぁ。こうも簡単に、真理に辿り着けるとはね。流石は、ハイダルクの王子といったところかな?」

「馬鹿にしているのか?」

「馬鹿にしていないよ。寧ろ、褒め称えたいぐらいさ、レーデッド……。きみが見てきた世界は、これほどまでに違う世界であるということ。それに漸く気がつけたのだからね」



◇◇◇



 夕食はつつがなく進められた。流石に夕食を食べているさなかでは、そういった小難しい話をする余裕もなければ、遠慮があった。食事を取っている時に脳を使っていては、美味しい食事も百パーセント味わうことが出来ないだろう。

 そういった配慮があったにしても……、レーデッドの脳内ではやはりフィードとライラから言われた言葉を、自分なりに解釈しようと四苦八苦していた。

 だから、あまり味がしなかった。

 レーデッドにとっては、食べたことのない庶民的な料理だらけであったのに。

 これからの未来を危惧していたのかもしれないし、ただ単に心配性なだけかもしれない。

 しかしながら、本来はそれが正しい反応なのかもしれない。

 それが誰にも気付かれなかったか、或いはバレバレであったのかまでは、彼には判断がつかなかったかもしれないが。



◇◇◇



 夕食が終わり、眠る準備を整えると、それぞれの部屋でのそれぞれの時間を楽しむことが出来る。

 ミリアもまた、微睡みの中で考え事をしていた。


「勇者一行の才能……」


 自分の持つ才能について、今まで深く考えることはなかった。

 ただ、勇者の血筋を引いているのだから、才能をどれか手に入れるのは当然のことである——そう考えていたからだ。

 しかし、それは大いに意味を間違えていた。

 いや、意味を間違えるように仕向けられていた——の方が正しい解釈かもしれない。


「何故、お父様もお母様もそれを教えてくれなかったの……? 勇者そのものの血筋は引いていなくて、つまりは予言そのものも起きる可能性は非常に低いってことを……」


 ひた隠しにしていた。

 勇者の才能を引き継ぎし存在が、ハイダルク王家から現れないことを。

 何故? 何故? ——何故?

 如何して、そんなことをしなければならなかったのか。

 隠さなければならない、何か別の事実があるのか——。


「真実を——知りたいか?」


 声がした。

 一人で考え事をしているはずなのに——この部屋には、自分以外誰も居ないはずなのに。


「誰……?」

「誰、って。気付かなかったのか? ずっと、この部屋に居るではないか」


 振り返っても、周囲を見渡しても——誰かが居る気配はない。

 ならば、誰かが透過魔術でも使って、視界を騙しているのか……。


「そんな訳ないだろ。……目の前に居る、いや、在るとでも言えば良いのかな?」


 目の前に——在る。

 その言葉で、何を意味しているのか、そして何が言葉を発しているのか——それらを全て理解した。


「もしかして……」


 ミリアは、視線をそこへ向ける。


「——そう、その通り」


 そして、答え合わせをするかの如く、それは、言葉を発した。

 彼女の目の前にあったのは、先程部屋で見つけた卵だった。

 しかし、その卵は先程見つけたそれとは違う、ある一つの特徴を兼ね備えている。

 口。

 卵の真ん中から少し下に、口が開いている。

 ケタケタと笑い声を上げて、卵は話し始める。


「……ああ! やっと気付いたか! 永遠に気付かないとばかり思っていたよ。まあ、気がつかなければそれまでだと思っていたけれども。さっきのが最後通牒に近かったか、どちらかと言えば」


 べらべらと、饒舌に喋る卵であった。

 そうして、喋る卵というのは滑稽ではあった——ミリアは最初こそそう思ったが、徐々に不気味が勝るようになっていった。


「……いったい、これは何なの?」

「世界は、卵から生まれた。それは知っているかな?」

「卵……」

「知恵の木の実。それは、世界が進化していく過程で生まれた偶然の産物に過ぎない。発展に発展を遂げた人類の文化が一度滅んだのちに、世界が変容を遂げた——その副産物だ。しかしながら、元を正せば、世界が生まれたのは……生まれたのは、たった一つの卵からだった」

「……それが、あなた?」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。記憶は連続的ではないから」


 煙に巻くような発言ばかりを続けている、変わった卵であった。

 しかしながら、その変わった発言ばかりであったからこそ——ミリアは徐々にその雰囲気に入り込んでいった。


「……世界は、変容を遂げようとしている」

「それは、勇者が出現したから?」

「そうだ。勇者が出てきたから、世界は変わる。勇者が出てくること……それは間違いなく、世界にとっての転換点であることは間違いないからだ」

「……転換点」

「さあ」


 卵はニヤリと笑みを浮かべて——続けた。


「改めて問おう。……世界の真実を、知りたくはないか? ミリア・アドバリー」

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