第7話 葛藤

 当然と言えば当然ではあるが、王族にも外出をすることはある。視察に行くことや、外遊に行くこともある。全て息抜き出来る訳ではなく、当然王族は国の最高権力者、それに近しい存在である訳で、大抵実力者との懇談が計画されている。

 実力者は自らの要望を通したいがために、王族に対して全力で尽くす。宿場や食事に移動や手土産まで、ありとあらゆるものを、だ。

 即ち、レーデッドもミリアも、こういった馬宿を見たことはあっても、泊まったことはない。

 初めての経験に、正直彼らもワクワクが止まらなかった。


「いらっしゃい。何人かな?」

「五人だけれど、行ける?」

「馬も居るんだよね?」

「そうだな」

「あるよ。一人当たり、十ダイスになるけれどね」

「十ダイスか……。しめて五十ダイスだな。まあ、悪くはないかな」


 十ダイス、と言えば王都の一般庶民が一日の食事を食べるのに必要なお金だ。しかし一部の貴族を除いては、一日にその金額を稼ぎ出すことさえ厳しい訳だし、税金も取られてしまっては大変な暮らしを強いられるしかないのだ。

 十ダイスは銀貨一枚と同等である。銀貨が十ダイス硬貨、金貨が一千ダイス硬貨だ。銅貨も存在し、これは一ダイスである。

 ハイダルク王国はダイスという通貨に対して信頼性を持たせている。国がその価値を担保し、やむを得ない事情の場合は同額相当の金と交換される。しかし、そのやむを得ない事情は——基本的にはやってこない。

 ハイダルク一国体制となってからのやむを得ない事情は、やって来ていない。かつては戦争や紛争が起きていたために、そういった頃には不安を抱える人向けに実施されていた。しかし対象は限定的であり、自ずと交換の総量も少なくなる。

 そういった意味では、ハイダルクは世界統一と同時に世界の安定を保つことに成功した――そう言って差し支えない。

 だから、ハイダルクの王政に不安を持つ人は、かなり少ないと言える。何をしなくとも平和が永久的に享受されるのだから。


「お金は……」

「出すよ。というか、持っていないだろう。そんな大したお金は」


 そもそも、レーデッドとミリアは、半ば強引にハイダルク城から脱出してきたのだ。だから、資産など何一つ持ち合わせていない。パジャマ姿であったとしても、然程気にならないのが救いと言えよう。


「……いつかは、お金を支払わないといけない時が来るだろうな。ずっと支払ってもらう訳にもいかないし」

「どうやって? 一応言っておくけれど、暫くは戻ることは出来ないからね」


 五十ダイスを支払って、全員分の鍵を受け取る。

 そして、その鍵をそれぞれに一本ずつ手渡した。


「部屋は、それぞれ一つずつあるからね。プライベートな空間は大事にするべきだし」

「……どうも」


 ライラの言葉に、頷くことしか出来なかった。



◇◇◇



 部屋に入ると、ベッドが出迎える。

 小さいベッドではある——しかしながら、それは彼女が身体を埋めるには、充分過ぎるサイズだ。

 彼女はいつも大き過ぎるサイズの——三人か四人横になっても充分なぐらいの、とても大きなベッドで眠っていた。

 彼女に用意された部屋は、とても広かった。

 それは、彼女の立場上、申し分ないサイズである。幾ら得られたものが、守護霊使いの力であったとしても——あくまでも、彼女は王族であることには何ら変わりないのだ。

 ベッドに、横たわる。

 その身体を、体重を、全て預けるように。


「……疲れた」


 たった一言。

 しかし、彼女の感情を説明するには、それで充分だ。

 レーデッドはミリアにとって大切な弟だ。気に掛けている存在であり、レーデッドに何かあれば彼女からしてみれば溜まったものではない。

 さりとて、レーデッドにいつまでも干渉し続けるのもどうか——そう思いつつあるのもまた、事実だ。

 結果として、レーデッドは次代の王になるに相応しい力——伝説の勇者が使役出来た、錬金術の力を手にした。

 それは、祝福すべき事柄だ。

 それは、歓喜すべき事柄だ。

 それは、感嘆すべき事柄だ。

 しかしながら——現実として、ミリアはそれを納得しきれていない節がある。

 王になるということは、絶対的な格差であるということ。

 王は、二人も要らない。つまりは、それはミリアは王になることは許されない——それを同時に意味していた。

 かといって、錬金術の才能を析出した以上、レーデッドが王になる事実には変わりない。

 天地がひっくり返らない限り——世の中の理が、否定されない限り。

 カラン——と何かが落ちるような音がして、ミリアは我に返った。


「……何か、悪いことばかり考えてしまうわね。悪い癖……。いつかは、改善しないといけないのでしょうけれど」


 音の鳴った方を見ると、そこには何かが置いてあった。

 それは、卵だった。

 漆黒の卵だ。ミリアの見たことのある卵は、ふつう、白色だ。或いは、若干青がかった白色のパターンもある。

 しかしながら、これは完全な漆黒——闇だ。

 吸い込まれそうな、黒。

 しかしながら——謎の卵は、極めて存在感を放っていた。


「……なに、これ?」


 ミリアは、気付けばその卵を手に取っていた。

 本来ならそんな不気味な物は触らなくて良いし、ミリアそのものもそう思っていたに違いない。

 不気味で歪で奇妙で——しかしながら、それでも魅了されてしまう。

 或いは、そのように魔術をかけているのやもしれない。


「これは、いったい……」


 ミリアは、卵に問いかける。

 しかし、卵は何一つとして——答えてくれやしない。


「姉さん」


 ドアをノックした音と、レーデッドの声を聞いてミリアは息を飲んだ。

 ミリアは先程のやりとりは夢かと思っていたが——しかし、その手には卵がある。


「ど、どうしたの、レーデッド」

「ライラが、夕飯を食べようって。宿屋の地下によさげなバーがあったんだって。姉さんはどう? 体調が優れないのなら、ルームサービスも出来るって言っているけれど……」

「いや、大丈夫よ。行きましょう。直ぐに、用意するから」


 卵のことは、今は忘れよう。

 奇妙なことは、今は忘れよう。

 とにかく、今はレーデッドのしたいことをしてやれば良い。ただ、それだけの話だ。



◇◇◇



「世界の歴史について、簡単に話をしようか」


 地下には、レーデッドの言うとおり、小洒落たバーがあった。バーと言ってもお酒だけではなく、食事の提供もしている。従って、彼らは今食事を取っているのである。


「ええと、この世界を創った神が居るって話でしたっけ?」

「いわゆる、創世神話と呼ばれるものだね」


 ガラムド暦元年は、神ガラムドが人々を導いた年と言われている。


「では、何故導いたのだと思う?」

「『偉大なる戦い』が起きたから、でしょう」

「そう。偉大なる戦い——世界の始まりに起きたといわれる、混沌。誰と誰が戦ったのかさえ、明らかになっていない」


 こくり。レーデッドも頷いた。

 何故なら、それが普通に知られている、この世界の歴史だからだ。この世界の歴史を語るとすれば、最初に出てくるのは偉大なる戦いで間違いないだろう。

 偉大なる戦いは、何故起きたのか?

 確かにそう言われると——多くの人が疑問を浮かべることだろうし、解答も出来ないだろう。何故ならば偉大なる戦いそのものの事実は残っていても、それに纏わることは一切語られていないからだ。

 二千年以上も前のことだから、当時を知る人間が誰も生き残っていない——それもまた、理由の一つではあるのだが。


「じゃあ、あなたは知っているの?」

「何を?」

「何を、って……」


 ミリアは深い溜息を吐いたのち、続ける。


「——偉大なる戦い、その真実を」

「少なくとも、きみ達よりは知っているよ。それを立証しろというのは、存外難しかったりするのだろうけれど」

「偉大なる戦いは、ガラムドが平定した。それだけではない、と?」

「そもそも、偉大なる戦いで戦うのは、誰だと思う?」


 一息。


「人間どうし? 悪魔? 天使? 獣? 聖人? それとも全く違う存在? ……簡単に羅列するだけでも、これだけの存在が居る。にもかかわらず、偉大なる戦いは誰と誰が戦ったのか——それをターゲットにしていない。まるで」

「まるで……?」

「ガラムドを神に仕立て上げるために、作り上げられたのではないか……ってね」


 虚を突かれる言葉だ。

 しかしながら、筋はすんなり通る。ガラムドが世界を、人々を、導いて神となった——偉大なる戦いにはそれしか記録が残っていないからだ。まるでそれ以外の記録を参照されては困る、と誰かが思って消したかのように……。

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