第6話 黒の刻

 かつて、この世界には三つの大国があった。

 魔術に秀で、世界の中心に存在するハイダルク。

 科学技術と錬金術に秀で、祈祷師を多く輩出するスノーフォグ。

 守護霊使いが多く住み、争いごとを好まないレガドール。

 しかしながら、歴史が進むにつれて、スノーフォグとレガドールは衰退していき、残っていたのはハイダルクのみとなった。

 今や、その二つの国は歴史書と地名に残るのみとなる。王族も何処かに雲隠れしてしまい、最早探す手立てはない。

 その中でも、スノーフォグ高原は観光地であり避暑地としても有名だ。

 多くの観光客がやって来るその場所は、いつも混雑している。

 レーデッドからしてみれば、それは好都合だと思えた。

 何故なら、人を隠すなら人の中——そう相場が決まっているからだ。


「……というか、ライラ達の組織は何という名前なんだ?」


 さっきからその候補と思われる名前は幾つか登場している。

 しかしながら、それが確定であるという判断がつかない。


「我々の名前?」

「勿体振るものでもないような気がするけれど」


 ライラはさらにもう一段階踏んで解答しようとしていたのだろうが、フィードはもううんざりしているのか、さっさと結論を出したがっていた。

 フィードからしてみれば、分かっている質問の回答を延々と引き延ばしているだけに過ぎないし、時間の無駄と思われても致し方ない。


「我々の名前は、シルフェだよ。かつて勇者一行に授けられた三種の神器の名前から冠している。剣、弓、そして杖……今はその原典も何処に行ったかは分からなくなってしまっているがね」

「……シルフェ。聞いたことがある、勇者が持っていた剣がそういった名前だった、と……。でも、どうしてそれを名乗っている? 何か意味があるのか?」

「それについては——」

「今話すべき話題ではないように思えるけれど」


 言ったのはフィードだった。

 フィードは移動中の会話を重要視していないのか、或いは会話をしようとしたくないか、信頼していないのか——どれが正しいのかは分からないが、しかしながらレーデッドも納得していた。


「……まあ、ここで色々と話すことではないだろうね」

「あら。あなたもフィードの肩を持つの? 存外、気が合うのかしらね」

「どうだか」


 フィードは未だに掴めない。

 それはレーデッドがずっと思っていたことだった。

 ライラは未だに不信感こそあるものの、ずっと王家に仕えていた人間でもある。きっと何かしらの理由があって自分達を連れ去っているのだろう、などと楽観的に捉えていた。最終的には王国からは逃れられないにせよ、何か見つけ出すことが出来れば逆転出来るのではないか——そんなことを考えていた。

 他方、フィードはというと、掴み所がないのが事実だ。

 或いは、どういう話をしてやれば良いのか、さっぱり分からないのだ。


「……フィードは何処の人間なんだ?」

「あれ、言わなかったっけ?」

「言っていたか?」

「言っていないね」


 答えたのはフィードだった。

 フィードの方がよっぽど頭が回っているように思える。


「……あれ。そうだったかしら? いやねえ、もう……。最近は非常に忘れっぽくなってしまって。ちょっとばかし頭のトレーニングでもした方が良いのかしら」

「そんなことをしたって、喪われた記憶は戻ってこないと思うけれどね」

「それで、フィードは——」

「——トライヤムチェン」

「?」

「世界が誕生したその時から細々とその歴史を伝えていると言われる、幻の一族よ。一族というよりは、先住民とでも言えば良いのか……。全員が全員、血筋を引いている訳でも親戚な訳でもないのだし」

「聞いたことあるわ」


 言ったのは、ミリアだ。


「姉さん、知っているのか?」

「歴史の大見出しには、絶対に姿を見せない。だから、知らなくても致し方ないところはあるけれど」


 ミリアの言葉に、ライラは幾度となく頷いた。


「うんうん、流石に王族でも知らないかな、とは思っていたけれど——そんなことはなかったみたいね?」


 ミリアは鋭く視線を送り、


「王族の中でも知らない人間が大半である——それは否定しないわ。けれども、知らない人間だけではないことは、今一度理解しておくべきと思うけれど?」

「肝に銘じておくよ」


 馬車がブレーキをかけた。

 しかし直ぐに停止するのではなく、スピードを下げただけの様子だ。


「ウェイズ。どうしたの?」

「いや、もう着く……と言いたいところだけれどな。こいつらも疲れが溜まっているようで。少し、休憩させてはくれないかね」


 窓から空を眺める——西の空は、少し赤くなっている。

 もうすぐ、闇が支配する——黒の刻だ。


「まあ、良いでしょう。尤も、白の刻が終わるまでにスノーフォグに到着するなんて、何一つ考えちゃいなかったから。休憩もしないと、ウェイズが一番大変なんだからね。わたし達は、馬車に乗ってただのんびりするだけ。流石に眠るには環境は良くないけれど……」

「こんなところで寝られるなら、何処へだって行くことも出来るだろうな」


 流石のウェイズも、軽口を叩くぐらいの感じだった。

 しかしながら、ここで休憩を——といったところで、何もない場所で眠る訳にはいかない。野宿を出来るぐらい、この世界は平和にどっぷり浸かっている訳ではないのだから。


「でも、出来るなら馬宿までは移動したいものね……。ウェイズ、一番近い馬宿は?」

「三百ルーグスも行けば、馬宿はあると思うがねえ」

「三百ルーグスならあっという間じゃない。ほら、さっさと動いた!」

「ったく……馬遣いが荒いもんだぜ。ただ、急いで行くことについては否定しないな」

「何故だ?」


 レーデッドの言葉に、ウェイズは目を丸くする。


「……なあ、王子様と王女様は何処までこの世界を知っているんだ?」

「何をどう解釈すれば良いと思う?」

「……あー」


 ウェイズは天を仰ぐ。


「つまりアレだ。言葉を選ばずに言うなら……世間知らずってことか」

「ま、それには変わりないかな。仕方ないだろう? 彼らは温室で、ずっと偽りの歴史と現実を学び続けたんだ。国王になれば多少は知ることになるのやもしれないが……、いや、もしかしたらガラムドルズである以上、それも難しいのかもしれない、な」

「……なあ、さっきから何を言っているんだ?」

「レーデッド。きみは、この世界には敵は居ない。そう思っているのではないかな?」


 ライラの言葉に、レーデッドは言葉に詰まる。


「ええと……、反ガラムドルズ勢力が居て、彼らと戦っていることは知っているけれど、」

「それ以外には? 人間以外に敵が居る。そう考えたことはないか?」

「それ以外に——あるのよ。この世界には、人間以外の存在が」


 レーデッドとミリアは目を丸くした。

 今までの自分達の知識では、人間とその家畜しか住んでいない、平凡な世界であるとしか知らされていない。

 だからこそ、王族としての研鑽はあるにせよ、それはあくまでも運動の延長線上だ。

 確かに、レーデッドには錬金術の、ミリアには守護霊使いの才能がある。

 さりとて、才能は才能だ。知識がなければ、それを使うことは出来ない。


「……才能は受け継がれるもの。けれども、それを使うことがなければ宝の持ち腐れ。しかし、ハイダルク王国はそれを覆い隠そうとしている。勇者が生まれた国であることだけをアピールして、世界の闇には一切触れようとしない」

「どういうことだ……?」

「何故、国民が黒の刻になると、都市からの外出を禁じられるか——分かる?」


 門限。

 言うならば、黒の刻になると都市の門が閉じられてしまうからだ。

 そう、都市に住む人間は教わってきた。それに疑問を抱くことなどなく。


「……何かを隠しているのか?」


 レーデッドの問いに、ライラは笑みを浮かべる。


「その通り。この世界は、かつてメタモルフォーズと呼ばれる異形が跋扈していた。剣術では敵わない。倒すことが出来るのは錬金術と魔術、そして守護霊の力のみ……。だからこそ、彼らは勇者としてその名を轟かせ、世界を救った」

「何が言いたいんだ、ライラ。もう良いだろう、教えてくれよ」


 馬車が止まる。


「……時間切れだ」


 馬車は、馬宿に到着していた。


「今日はもう遅い。先ずは馬宿でゆっくり英気を養おうじゃないか。なに、安心しなさい。真実は逃げることはない。いつか必ず知らなければならないことなのだから……」


 そう言いくるめられて、レーデッドはそれ以上何も言えなくなってしまった。

 ミリアもまた真実を知りたかった。しかし教えてくれる相手がそう言ってしまっては、手も足も出ない。

 一先ず、彼らはライラの指示に従い、馬宿へ入ることとするのだった。

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