梨田劉生
事情聴取の対象に楓を含めるべきか――
「お姉ちゃんは絶対にここには来させないから!」という唯鞠の宣言を受ける前から、僕は、含めるべきではないだろうと思っていた。
ゆえに、「桔梗」にいたメンバーに、LINEを一斉送信し、調査協力を求めた際も、楓にだけはLINEを送らなかった。同窓会の夜に、楓とも連絡先を交換していたにも関わらずである。
その理由は、唯鞠とはだいぶ違う。
僕は、僕の初恋の女性の醜い姿を、バロックに見せたくなかったのである。
それは、楓を守るためではなく、僕を守るための理由なのだ。
いずれにせよ、唯鞠の背中を見送ったバロックが、「夕凪楓からの事情聴取は無理そうだね」とボソリと言ったのを聞いて、僕は心の中でガッツポーズをしていた。
楓は、無事、聴取対象から外れたのである。
唯鞠が去った後、僕はすぐに和藝堂の店主を呼び、謝罪をした。
「お騒がしてしまい申し訳ありません」
怒って店を追い出されないかなと心配した僕だったが、腰がくの字に曲がって、座っている僕と同じくらいの目線の高さである店主は、ニッと歯のない歯を見せた。
「女っていうのは怖い生き物だよなあ」
おそらく耳の遠い店主は、やりとりのほとんどが聴こえておらず、終盤の、唯鞠がヒステリックになった部分だけを切り取って、このように表したのだとは思う。
「本当、そうですよね」
僕は適当に相槌を打ちながら、机の上に広げてあったメニューに目を落とす。
そして、店主への謝罪の意も込めて、お汁粉とかき氷をもう一つずつ注文したのであった。
「よお。まさか翔癸が探偵助手をやってたなんてな」
三番目の聴取対象者である梨田劉生は、バロックと横並びに座っている僕を見つけ、狭い店内に響き渡る大きな声でガハハと笑った。
「なんで俺に秘密にしてたんだ? 『遊佐ん』で飲んでた時に教えてくれれば良かったのに」
その段階で言えるはずなどない。なぜなら、僕が「探偵助手」となったのはその後のことだから。
「……劉生、とりあえず僕の前の席に座って」
「どうせなら和菓子屋じゃなくて、居酒屋でやろうぜ。一杯飲みながらさ」
「早く座ってってば」
ようやく僕の言うことを聞いて席についた劉生からは、案の定、アルコールの臭いが漂っていた。時刻はまだ十三時前である。
「劉生、昼から飲んでるの?」
「仕事がない日はだいたいな」
僕は思わずため息を吐いたものの、これから事情聴取をするにあたっては、対象者が酔っ払っていて、口が軽くなっていることは良い条件に違いない。
「君は、被害者の友人ではないのかい?」
毎回そうだが、バロックは、自己紹介はおろか挨拶もしないまま、聴取に入る。
「貞廣とは親友だぜ」
「じゃあ、なぜ、被害者が死んだ翌日に、楽しそうに酒を飲んでるんだ?」
「……飲んでなきゃやってられないだろ? こんな悲しいことがあって」
劉生の顔が曇り、声のトーンが一気に落ちる。
バロックはそれが演技なのか否かを値踏みするように、劉生のことをじっと観察している。
他方、僕は、劉生が演技などしていないと断言できる。劉生と貞廣は、息が合うのか、子どもの頃からとても仲が良かった。劉生が貞廣を殺すはずなどないのである。
「……まあ、そういうことにしておこう。それじゃあ、君のアリバイについて確認しよう」
「……アリバイ? まさか俺を犯人と疑ってるのか?」
バロックがどう答えるのだろうかとドキドキしていた僕だったが、期待は見事に裏切られた。
「事件のあったとされる時間は、昨日の十一時半頃なんだけど、その頃、君はどこにいた?」
バロックは何も答えないまま、自分の訊きたいことだけを訊いたのである。
一瞬眉を顰めた劉生だったが、バロックの質問に淡々と回答した。
「仕事だよ。その日は朝早くから仕事だったんだ」
「何の仕事?」
「建築関係で、主に内装工事をやってる」
初耳だった。探偵助手になった時期以前に、「遊佐ん」や「桔梗」では、互いに仕事の話は一切しなかったのである。
とはいえ、建築関係とは、予想していたとおりの業種である。やはり、筋骨隆々な劉生は、ガテン系だったのである。
「そうすると、たしかに朝は早そうだね」
「その日は六時から現場に入ってたよ」
あれだけ深酒しておきながら、そんな早朝から仕事を始められるなんて、超人的過ぎて信じられない。
「現場は?」
「隣のL町だ。J村には建築需要はもうないからな」
僕は、J村が限界集落であることを改めて思い知る。このままだと、人口が減少し、村の機能が果たせなくなり、廃村してしまうかもしれない――「呪われた村」なので、廃村させた方が良いのかもしれないが。
「その工事というのは、複数人でやるものなの?」
「もちろん。現場には五人以上入ってたよ」
日曜大工ではないのだから、工事を複数人でやることは当然である。バロックがそんな当たり前のことをあえて訊いたのは、おそらくアリバイを裏付ける証人の有無を念のため確認したかったのだろう。
僕は、女性陣同様、劉生にもアリバイがありそうで、ホッとする。
まさか「桔梗」にいたメンバーの誰かが犯人だなんて微塵も疑っていないのだが、それでも、石橋を叩くことによって安心したいのである。
劉生のアリバイが分かったバロックは、次にどのような質問をするのだろうか――
唯鞠のときのように十七年前の事件について質問をし、唯鞠のときのように大顰蹙を買うのではないだろうか――
そう覚悟して肩に力を入れた僕だったが、バロックの質問は、僕の想像をはるかに超えて無神経なものだった。
「八年前に亡くなった君のお父さんだけど、本当に事故死なのかい?」
劉生が陽気な性格だとか、昼間から酒を飲んでさらに陽気になっていただとか、そんなことは一切意味をなさなかった。
唯鞠のときのように、いや、それ以上に露骨に空気が一変した。
殺気立った、とでもいうのだろうか。
劉生は、喧嘩を売られたと言わんばかりに、バロックに対してメンチを切った。
「……お前、何が言いたいんだ?」
胸ぐらを掴まれるくらいの圧力で睨まれていたバロックだったが、表情は相変わらず憮然としている。
「何も言いたいことはないよ。俺はただ質問してるだけだ」
「……そもそもなんで俺の父親のことを知ってるんだ?」
劉生と同じ疑問を、僕も胸の中で抱いていた。なぜなら、劉生の親友である僕ですら、劉生の父親が亡くなっていることを知らなかったのである。
もちろん、それは僕が長年東京にいたからではあるが、それを言うなら、バロックは僕以上に完全に外様なのである。
劉生のプライベートな情報を、バロックは一体どこで仕入れたのだろうか――
バロックはおどけた顔を見せる。
「探偵は物知りなのさ」
「ふざけんじゃねえ! 俺のプライベートに関して、村人に聞き回ってたんだろ!?」
少し間を置いてから、バロックは、
「あれは調査さ」
と認めた。
「そして、今も俺は調査をしてるんだ」
「悪趣味過ぎるだろ! 一体何が目的なんだ!?」
「決まってるでしょ。事件を解決するためだよ。俺は探偵なんだから」
飄々とした探偵の態度は、火に油を注ぐものでしかなかった。
腹部への強い衝撃とともに、テーブルの上の甘味が、舞った。
ガッシャーーーンと食器の割れる音。
飛び散った破片のいくつかは、椅子ごと仰向けに倒れた僕の身体にも降りかかる。
その場面を目撃することはできなかったのだが、おそらく、劉生が机を蹴飛ばしたのである。
鈍臭い僕とは違い、バロックは回避行動をとっていたようで、床に倒れ込むことなく、立ち上がっていた。
僕は、二人が口論する様子を、ローアングルから見上げる。
「お前は早くこの村から出て行け!」
「そんなわけにはいかないよ。事件を解決するように村長に頼まれてるんだ」
「そんなこと知るか! 早く出て行け!」
仮に僕の体勢が整っていたとしても、二人の仲裁などできるはずがない。
そもそも、探偵助手というのは、どういう役回りだったけか――
バロックの「事情聴取」がこんなに好戦的なものだと予め知っていたら、ワトスン役など引き受けなかったのに、と僕は思う。
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