夕凪唯鞠

 太田牧村長との面談を終えた僕とバロックは、昨日同様、和藝堂をアジトとすることにした。


 昨日と同じ席で、バロックは昨日と同じみぞれかき氷を注文した。よほど気に入ったのだろう。


 僕が注文したのは、焼き餅が二つ入ったお汁粉だった。お昼ご飯にはまだ早い時間であるが、小腹が空いていたのである。



 僕は焼き餅を冷ますために息をフーフー吹きかけながら、バロックに問いかける。



「バロックさん、貞廣の死体にはどうして暴行の痕があったんですか?」


「それは大きな謎だね」


「理由は皆目思いつかないということですか?……熱っ!」


「そんなわけないよ。推理はできる」


 僕が口の中に入れた熱々の餅と悪戦苦闘している最中、バロックはかき氷を舌の上でゆっくりと溶かす。



「たとえば、犯人は、被害者に対して強い恨みを抱いていたんだ」


「恨み?」


「それがどういう恨みかは具体的には分からないよ。ただ、その恨みは、ヒ素を飲まして絶命させるだけでは果たし切れないほどの恨みだったというわけさ」


「つまり、犯人は、貞廣をヒ素で殺してから、私怨を晴らすために貞廣を殴ったということですか?」


「その可能性はあると思う」


 たしかにそのシナリオであれば、ヒ素を飲すことと暴行をすることとが両立する。


 とはいえ、ヒ素を飲んだものがどれほど苦しむのかを間近で目撃して知っている僕からすると、それで十分なのではないかという気もする。どんなに激しく憎んでいたとしても、あの断末魔を見たのであれば、溜飲は下がるように思うのである。



「もしくはヒ素だけだと致死量に足りなかったから、トドメの一撃を加えたという可能性もある」


 なるほど――それはあり得ない話ではない。

 たしか司法解剖によれば、貞廣の死体には、頭を鈍器で殴ったような痕があったのである。それは致命傷を与えることを狙ったもののように思える。


 しかし――



「貞廣の死因は、撲死ではなくて、ヒ素中毒でしたよね? ヒ素は致死量に達していたはずです」


「それは、司法解剖の結果によれば、ということだろ? あの司法解剖は、非専門家によるカッコ付きのものなんだ。鵜呑みにしない方が良いよ」


 それはそうかもしれない。村長も「話半分で聞いてくれ」と言っていた。



「不正確な情報に基づいてアレコレ考えるのは生産的じゃない。だから、村長から聞いたことは忘れよう」


「バロックさん、それはさすがに身も蓋もないんじゃないですか?」

 

「根も葉もない話に踊らされるよりはマシだろ?」


 探偵というのは、案外慎重な人種のようである。



 僕は、二つ目の焼き餅を口に運んだ。


 看板メニューのあんみつに負けず劣らず、懐かしく、落ち着く味である。



 

 貞常に続く二人目の聴取対象者は、夕凪唯鞠だった。

 被害者の弟である常貞以降は、聴取順に特にこだわりはなかった。

 唯鞠が二番手になったのは、僕が一斉にLINEを送った同窓会メンバーの中で、もっともレスポンスが早かったからである。




「私のパパが迷惑かけちゃったみたいでごめんなさい」


 開口一番、唯鞠の口から出たのは謝罪だった。


 一昨日ぶりに唯鞠と会った率直な感想は、目の遣り場に困る、というものである。

 

 半袖のブラウスに、膝上丈のショートパンツというのは、季節柄を考えれば、決して過度の露出とまでは言えない。


 しかし、あまりにも魅力的なプロポーションなのである。

 背筋をピンと伸ばした優雅な立ち姿には、僕とバロックのみならず、おそらく現役を終えているであろう和菓子屋の店主ですら、見惚れて唖然としていた。



 身体を見回すのは失礼なことだから、ちゃんと顔を見ろ、ということになるのだろうが、顔は顔で、見てしまうことに僕は罪悪感を覚えている。


 その美しい顔は、「楓」の顔なのである。僕のイメージする今の楓の顔であり、本来であれば今の楓が有しているはずの顔なのだ。



 「桔梗」の夜を経ても、唯鞠が目の前にいるシチュエーションに決して慣れたわけではない。


 ましてや、アルコールがない昼間に、唯鞠が目の前に座るということは、僕にとっては耐え難い思いだった。



 そんな僕の内心など知るはずもないバロックは、唯鞠に気安く問いかける。



「君のお父さんというのは、俺の首根っこを掴んだ夕凪冬馬だね?」


「はい。そうです」


 僕が貞廣の死体を目撃した直後の話である。冬馬は、バロックのことを犯人だと勘違いし、そのような手荒な真似に及んだのだ。



「パパはとても反省していました。早とちりしてしまい申し訳ないと言ってました」


 唯鞠が、冬馬に代わって頭を下げる。



「君のお父さんは普段からあんな感じなのかい?」


「あんな感じ?」


「粗暴というか」


「粗暴……そうかもしれません」


 唯鞠は苦笑いする。



「悪い人ではないんですけど、頭より先に手が動いてしまうというか、なんというか、昔ながらの人なんです」


 唯鞠は慎重に言葉を選んでいる様子だったが、少なくとも、冬馬のことを知っている僕には、唯鞠の言いたいことはしっかり伝わった。


 大工の親方である冬馬は、腕っぷしと男気で生きてきた人であり、良くも悪くも豪快な人である。



「まあ、この村の男っていうのは、粗暴な人が多いんですけどね。私くらいの世代になるとそうでもないんですけど」


 それに関しても、言いたいことはよく分かる。

 村社会は、元々は極度に男性優位の社会である。上の世代の男性だと、未だに亭主関白が当然だと思っている者も少なくない。



「話変わって、君自身のことなんだけど、被害者が殺された時間、君はどこにいた?」


「被害者が殺された時間というと……」


「昨日の十一時半頃だ」


 非公式な解剖結果は信用できないとは言いつつも、死亡推定時刻についてはバロックも異論がないらしい。



 「その時間は寝てました」と唯鞠は即答する。



「寝てた? 随分と寝坊助だね」


 僕も思わず同じ感想を抱いたが、よく考えると僕自身もその日起きた時間はそれくらいなので、他人のことを言えない。


 さらに、次の話によれば、唯鞠には、僕とは違い、「寝坊」をしたちゃんとした理由があるのだ。



「翔癸たちと『桔梗』で別れた後、朝まで女子会をしていたんです」


「女子会?」


「ええ。私とお姉ちゃんと文夏の三人で、文夏の泊まってたホテルで飲んでました。多分五時くらいまで」


 それは知らなかった。僕らは「桔梗」に零時近くまでいた。それだって、田舎からすれば相当な夜更かしであり、「桔梗」の店主には、久々の再会だからと言って、本来の閉店時間以降も店を開けてもらっていたのである。


 女性メンバーは、その後も五時間ほど飲み続けていたのである。よほど積もる話があったのだろう。



「その女子会の後は? 解散したの?」


「いいえ。私もお姉ちゃんもさすがに眠たくなっちゃって、文夏のホテルで寝ました。文夏は初めからそういう展開を見越してて、チェックアウト時間を十五時にしていたんです」


「ベッドは?」


「文夏とお姉ちゃんが使って、私はソファで寝てました」


 ベッドの広さは分からないが、仮にシングルベッドだとしても、文夏と楓が一緒に寝ることは可能だっただろう。文夏は細身だし、楓に関しては文字どおり病的に細い。



「起きた時間は?」


「十二時過ぎだったと思います」


「殺人が起きて外が騒動になっていて、それで起きたということかな?」


「いいえ。文夏のホテルはJ村じゃなくて、L町にあったんです」


 バロックは知らないのかもしれないが、「旅館」ならまだしも、「ホテル」はJ村にはないのである。



「それじゃあ、どうして十二時過ぎに起きたの」


「文夏のスマホに電話があったんです。その着信音でみんな一斉に起きました」


「その時、ホテルには三人ともいた?」


「はい」


 バロックが、あの晩「桔梗」にいたメンバーにアポイントメントを取るように僕に求めたのは、貞廣殺しの犯人がその中にいないかと疑っているためである。


 女子メンバー三人にアリバイが成立するかどうかというのは、唯鞠の話からすると、微妙である。



 犯行があったとされる十一時半には、三人ともL町のホテルにいた、ということになりそうだが、三人とも眠っていたとのことである。

 仮にその中に犯人がいるとすれば、眠っている他の二人にバレないようにこっそりホテルを抜け出し、十一時半に貞廣を殺害し、十二時過ぎまでにまたこっそりホテルに戻ってきて寝たフリをしていたということになる。


 それが可能だったかどうかは、犯行現場とホテルまでの距離と、移動手段次第のように思える。


 他の二人にバレないようにホテルから出入りすることが可能だったのかどうかも、正直なところ、よく分からない。



 それゆえ、女性陣にアリバイが成立するかどうかを確かめるために、バロックの追及は続くのだろう、と僕は素人なりに考えた。



 しかし、バロックは、話題をまた冬馬へと戻す。



「君のお父さんは、仕切りたがるタイプだよね?」


 急な話題転換に面を食らったのは、僕だけでなく、唯鞠もだった。


 唯鞠は、元々大きな目を、さらに大きく見開く。



「探偵さんは、父が事件に関係してると考えているんですか?」


「そうですね……」


 バロックは少し考えた後、



「事件は事件でも別の事件でしょうか」


と言う。



「別の事件? 探偵さん、何のことですか?」


「もちろん、十七年前の毒豚汁事件です」


 話題以上に急転換したのは、その場の空気である。


 唯鞠は、ギョロリとした目でバロックを睨みつける。


 唯鞠の目に映っていたのは、探偵ではなく、先日道端で声を掛けてきた不審な垂れ目の男である



「十七年前のことと、今回の事件は何も関係ありません!」


「そんなことないよ。被害者はヒ素で殺されてるんだ」


「偶然凶器が一緒だっただけです! この村ではヒ素は入手困難なものではないですから!」


「夕凪家にもヒ素はあるんですか?」


「ありません!」


「十七年前はどうだい? 十七年前もヒ素は無かった?」


「あなた何様のつもりなんですか!?」


 唯鞠は、バロックに対する敵意を隠そうとしなかった。



「十七年前の悲劇は、この村では禁忌タブーなんです! 誰も思い出したくないんです!」


 そのとおりだ。祭りで僕が見た光景を思い出すたび、僕は目眩で倒れそうになる。ましてや、この村には、あの時毒豚汁で殺された者の遺族だって多くいるのである。十七年前の出来事は、消し去りたい過去にほかならない。



「思い出したくないから訊くなってわけかい?」


「ええ。よそ者のあなたには分からないと思いますけど」


「それだと、君の友だちの淡路貞廣の死の真相も闇の中なんだけど」


「だから、十七年前の事件と、今回の事件は関係ないんです!」


「なぜそう言えるんだ?」


 完全に水掛け論となってしまっている。


 この場面では、唯鞠の友人であり、なおかつ、バロックの助手である僕が間に入って上手く仲裁すべきなのかもしれない。


 でも、どうやって――



 僕が身体を硬直させている間に、唯鞠はテーブルをバンっと両手で叩いて、立ち上がった。



「名探偵だか何だか知りませんけど、あなたに話すことは何もありません! もう帰ります!」


 唯鞠は、隣の椅子に置いていたショルダーバッグを持ち上げる。


 バロックはその様子を、座ったまま見ている。


 バッグを肩に掛けた唯鞠が踵を返したところで、ようやく、バロックは口を開く。


 ただ、出てきた言葉は、唯鞠を引き留めるものではなかった。



「君が答えてくれないなら仕方がない。代わりに夕凪楓に訊くよ」


 この言葉は、唯鞠の怒りをさらに強めるものだった。


 首だけ捻って振り返った唯鞠は、鬼の形相で金切り声を上げる。



「ふざけないで! お姉ちゃんは絶対にここには来させないから!」

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