非公式な司法解剖
結局、J村の宿に連泊することになった。
観光客もビジネスで訪れる者も滅多にいないので、宿の主人は、予想外に空室が埋まったことに喜びを隠し切れていなかった。
もしかするとさらに何日かお世話になるかもしれないと伝えたところ、ほかの宿泊の予定などを確認する素振りは一切なく、元々しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにしながら、「喜んで!」と本音で言っていた。
捜査二日目の朝、バロックとは、村役場で集合した。
村長にお呼ばれしていたのである。
「筑摩君、今日は寝坊しなかったんだね」
バロックは、待ち合わせ場所のロビーで僕の顔を見るやいなや、僕をからかう。
「寝坊すると良いことないですからね」
「そんな冷たいこと言わないでよ。せっかく俺と会えたんだから」
たしかに、昨日寝坊したがために、僕は、ワトスン役を仰せつかることになった。
とはいえ、正確に言うと、バロックとの出会いは、すでにヒッチハイクによって果たしていたのである。
そういえば、今日着ている服は、互いに出会った時と同じである。
バロックが着ている白地の長袖プリントシャツには見覚えがある。車の中では意識しなかったのだが、プリントされている赤文字を今改めて確認すると「EVERYONE LOVES ME」となかなかなことが書かれている。
「バロックさん、この村には何日くらいいるんですか?」
「今日で滞在四日目だよ」
とすると、僕の車をヒッチハイクした日に、バロックはJ村に訪れたということになる。
「なかなか良い宿でね。主人が、四泊目以降は半額で泊めてくれるって言うんだ」
「お客様は神様」なのは、J村のどこの宿でも同じらしい。
「約束の時間には少し早いが、村長室へ向かおう。きっと村長はとっくに部屋にいて待ってるよ。田舎の老人の朝は早いからね」
この毒舌が、村長室では出ないことを祈りつつ、僕はバロックの背中を追って階段を上る。
田舎の老人の朝は早いから、というより、太田牧村長の社会人としての弁えの深さゆえだと思うのだが、約束の時間よりも十五分も前なのに太田牧村長はすでに村長室にいて、スムーズに僕らをソファへと案内した。
「突然呼びつけて申し訳ないね」
「いえいえ。大事な依頼人なので」
「捜査の進捗はどうかね?」
「ボチボチだね」
バロックの回答ははぐらかすようなものだったが、事件が起きたのは昨日であり、「依頼人」である太田牧村長も、大した進捗は期待していないのだろう。「そうか」とソファの上で笑ってみせた。
「これから私が話すことが、少しでも君たちの捜査の役に立てば良いが」
「というと?」
「今日君たちを呼びつけたのは、司法解剖の結果を伝えるためなのだ」
「司法解剖?」
「村の医者に頼んで、被害者の死体を解剖し、死因を確認してもらったのだ。もっとも、村の医者は、法医学の専門医ではないし、警察も関与してないから、『司法解剖』といっても非公式のものなのだが」
それは、たしかに捜査には役に立つのだろう。
しかし、僕の心境は複雑だった。
解剖されたのは、僕の友人である貞廣なのだ。貞廣の身体が裂かれている様子を想像して、少し気分が悪くなる。
「法医学の専門医じゃないということは、あまり厳密な結果ではないということだね?」
僕はてっきり、「司法解剖の結果」たるものにバロックは前のめりで喰らいつくだろうと思っていたが、意外にも彼は慎重だった。
村長も、そんなバロックの態度に呼応する。
「まあ、それはそうだな。話半分に聞いてくれ」
「分かったよ」
僕は「法医学」というものはよく分からなかったのだが、おそらく、一言で医者と言っても、内科医や外科医や産婦人科医など、様々な専門があるように、司法解剖にも専門の医者がいるということなのだろう。
村長が言う「村の医者」が誰なのかはだいたい想像がつく。村には病院は一箇所しかなく、医師は一人しかいないのである。彼は内科医だ。僕も過去に何度か、風邪を診てもらったことがある。
たしかにあのおじいさん先生が、司法解剖に関する知見を持っているようには思えなかった。
「司法解剖の結果、死因は、ヒ素による中毒死だった」
それは、悍ましいものではあったが、決して驚くべき結果ではなかった。
医者に指摘されるまでもなく、貞廣の死体を見たものならば、誰しもがあれはヒ素によるものだと分かったはずなのだ。
あの独特な吐瀉物の臭いは、ヒ素中毒がもたらすものなのである。
「やっぱりヒ素だったんだね」
バロックも、凶器がヒ素だった点に関しては、躊躇なく司法解剖の結果を信用したようである。
「……そうだ」
「すると、やはり捜査は内密に行う必要があるね」
「そういうことだ」
J村でまたヒ素による殺人が起こったことを、J村の外の人間に決して知られるわけにはいかないのである。
「被害者がヒ素で殺された……司法解剖で分かったのはそれだけかい?」
バロックの問いかけに、村長がゆっくりと首を横に振る。
「いや、それだけではない」
「死亡推定時刻とか?」
「そうだな。それもだいたい分かった。十一時半頃だ」
寝坊した僕が宿を出たのは、十二時過ぎだったから、僕が目撃した貞廣の死体は、死後三十分経ったくらいだったということである。死後間もない死体だった、といえる。
「ふーん」
村長から明かされた情報に、バロックはあまり興味は無さそうである。おそらく、最初から想定していたものだったのだ。
「他にも何かあるの? 司法解剖で分かったことが」
バロックの不貞腐れた声は、「まさかそんな分かりきったことを伝えるために、村役場に呼びつけたんじゃないよね?」とでも言いたげである。
もっとも、今度は、村長は大きく首を縦に振る。
「ああ。あるとも。これはおそらく大事な情報だ」
「大事な情報? 何?」
「死体には、暴行された痕があったのだ」
「暴行された痕……というと、殴られたり蹴られたりとか?」
「ああ。頭を鈍器のようなもので殴られた痕もあったらしい」
それは、僕にとって、おそらくバロックにとっても想定外の情報だったと思う。
バロックは、黙り込む。
おそらく頭の中で、死体にあったとされる暴行された痕に関して、合理的な説明ができるのかを考えているのである。
「どうして……?」
隣に座っている探偵とは違い、答えを出す責任を持たない僕は、素直に疑問を口にする。
「どうして犯人は、わざわざ死体に暴行を加えたんだろう? ヒ素を飲ませるだけで簡単に命を奪えるのに……」
死体に暴行の痕があることは、僕には大きな「矛盾」であるように思えた。
言うまでもなく、十七年前の毒豚汁事件では、死体は、苦悶の表情を浮かべていたことを除けば、いずれも傷一つない美しいものだったのである。
太田牧村長も、僕と同じ疑問を持っているようで、僕の発言に繰り返しうんうんと頷いている。
「一体犯人は何を考えているのか、私にもよく分からないよ」
太田牧村長は、バロックの顔をまっすぐに見る。
「そこで、名探偵バロックの出番なのだ。この奇怪な事件の謎を解き、一刻も早く犯人を確保して欲しい。よろしく頼むよ」
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