淡路貞常

 貞常へのアポイントは、ダメ元のつもりだった。


 何と言っても、双子の兄を失ったまさにその日なのである。


 そっとしておいてもらいたい、と思うだろう。

 どんなに親しい人とも、今日だけは顔を合わせたくない、と思うだろう。



 ましてや、どこからともなくやってきた「探偵」とやらの面談は、今日ならずとも、しばらくは控えたいはずだ。



 それにもかかわらず、貞常は、僕がおそるおそる送ったLINEにすぐ返事を寄越し、探偵からの誘いに二つ返事で了承したのである。


 僕と貞常とのLINEでのやりとりを、和菓子屋「和藝堂」でともに見守っていたバロックは、「さすが優秀な助手だ」と大袈裟に僕を讃えた。



 僕は、狐に摘まれたような思いだったが、その三十分後、和藝堂での貞常との会合の冒頭で、僕は、貞常が探偵とのアポイントに応じた理由がすぐに分かった。



 貞常は、兄を殺した犯人への復讐に燃えていた。


 そのため、犯人を早期に特定すべく、探偵に協力したのである。



「探偵さん、絶対に兄貴を犯人を見つけてください! 俺に分かることなら何でも訊いてください!」


 唾を飛ばすほどの勢いで一気呵成に話す様子は、普段の物静かな貞常らしくなかった。


 殺人という、あまりにも強力な悪は、人の命を奪うだけでなく、その周りの人をかくも変えてしまうのである。



「それじゃあ、遠慮なく訊かせてもらうよ」


 バロックには、本当に遠慮がないな、と思う。

 バロックは、二杯目のみぞれかき氷に刺さったストローに口をつけたり離したりしながら、貞常と応対しているのである。


 長居をするのに何も頼まないのは失礼なので、僕はみたらし団子を、貞常はわらび餅をそれぞれ注文こそしたが、一応注文したに過ぎず、机の上で手付かずのままであるというのに――



「それじゃあ、まず、基本的なところから。被害者とは一緒に住んでいたのかい?」


「……はい。生まれた時から今までずっと一緒です」


「とすると、双子ともども、今日までずっと実家暮らしということかな?」


「……そうですね。この村では珍しいことではないと思います」


 二十四歳にもなって実家に住み続けているというのは、東京に住む人の感覚からすると、ひとり立ちできていない、と評価されてしまうのかもしれない。


 しかし、貞常の言うとおり、この村、というか、田舎では、決して珍しいことでも、恥ずかしいことでもない。


 むしろ、田舎では、生家を守らなければならないという感覚が根強い。男はとりわけそうだ。


 核家族化が進んだ東京と、昔ながらのJ村とでは、そのあたりの感覚はまるっきり異なっていると思う。



「今、ご実家で暮らしているのは?」


「父と母と兄と俺……あ、もう兄はいないのですが……」


 貞常は俯く。兄を失った現実を受け入れるのには、当然ながらまだまだ時間がかかるだろう。



「なるほど……じゃあ、まず、アリバイから確認しようか。昨晩から今日の昼にかけての行動を教えて欲しい」


「昨晩は、『桔梗』で同窓会をしていました。探偵さんの隣にいる翔癸もいました」


 僕は、「そうです。日付が変わる前後くらいまで、僕も、貞常も『桔梗』にいました」と、貞常の証言を裏付ける。


 これは、いわゆる「アリバイ」にはならないだろう。なぜなら、この時、貞廣も一緒にいたのである。

 犯行時間は、明らかに、貞廣が『桔梗』を出た後なのである。



「『桔梗』を出た後は?」


「俺と兄貴は、同窓会に出ていたほかのメンバーと別れて、まっすぐ家に帰りました」


「それで?」


「家に帰ってから寝ました」


「寝室は?」


「俺と兄貴ですか?」


「ええ」


「……寝室は別です。ただ、俺と兄貴の寝室は、襖を挟んで隣同士の部屋なので、兄貴が寝室の出入りをしたら、俺は間違いなく気付きます」


「じゃあ、被害者は、その夜、間違いなく自らの寝室で寝ていたということ?」


「はい。兄貴が寝室を出たのは、今日の八時頃です」


「被害者は何のために起きたの? 何か用事が?」


「……それは分かりません」


 貞廣が殺された日――今日は、日曜日である。

 貞廣は、昨日の同窓会で聞いたところによると、隣のL町で介護関連の仕事をしていた。

 おそらく日曜日は仕事は休みだろうから、貞廣が朝八時に起きたのは、たまたま目が覚めただけなのだろうと僕は思う。



「八時に起きてから、被害者はすぐに外に出掛けたの?」


「それがよく分からないんです」


「どうして?」


「恥ずかしながら、僕は、前日の同窓会で飲み過ぎていまいまして……兄貴が起きた時には、物音で目を覚ましたのですが、その後二度寝をしてしまったので、兄貴がいつ家に出たのかは俺にはよく分からないのです」


 同窓会で飲み過ぎてしまい、翌朝起きれなかったのは、僕も一緒だ。



「二度寝をしていた僕は、母に起こされました。その時、母の口から、兄貴にただならぬことが起こった、と聞いたんです」


 貞常は、バンっと机を叩く。和菓子の入った陶器が、振動でガタガタと揺れる。



「どうして俺はこんな大事なときに眠ってしまっていたのでしょうか? 俺は俺自身が憎いです! いつものように、俺が兄貴と一緒に行動していたら……」


 貞常の気持ちは分かるが、それはまさにあとの祭りだろう。双子だからといって、常に一緒に行動しているわけではないのだろうから、相互監視が常時上手くいくわけではない。


 思うに、殺人とは、常に理不尽なものなのだ。たらればでどう防げたかを議論することは、不毛なのである。



「今、お母さんの話が出たけど、お母さんのことを訊いても良いかな?」


「母のことですか?」


 貞常は、明らかに戸惑った表情を見せた。


 しかし、最終的には、


「はい。何でも訊いてください」


と、探偵の質問は何でも受け入れる姿勢を改めて示す。



「お母さんは、あの夜、祭りの会場にいたんだよね?」


「……あの夜って?」


「もちろん、十七年前の、毒豚汁事件があった祭りの夜だよ」


 「え!?」と、僕と貞常が同時に驚嘆の声を上げる。


 バロックは、なぜこのタイミングで、唐突に十七年前の話をし始めるのか――



「君のお母さんは、祭りの日に会場にいて、沓晏吉永の裁判で、吉永のアリバイに関する証言をした。そうだよね?」


「……探偵さん、失礼ですが、そのことは今回の兄の事件と関係ありますか?」


「あるよ。今回の事件と、十七年前の事件とは密接に関連している。ともにヒ素が使われてるんだ」


 貞常を呼ぶ前、バロックは僕に同様の話をしていた。


 今回の事件と、十七年前の事件とは密接に関連している――


 僕も、その可能性はあると思う。


 とはいえ、双子の母の裁判での証言が一体どう関連するというのか――


 その点に関しては、僕はイマイチ理解ができなかった。



 そして、貞常も、爬虫類のように離れた目をギョロリと動かした後で、



「たしかに俺は『何でも訊いてください』とは言いましたが、母のことは話したくありません」


と、ピシャリと口を閉ざしたのである。

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