それ以前の話
「本当にすみません。すごい熱で……。体調管理を失敗してしまって。本当に申し訳ありません」
最後に「ゴホッ、ゴホッ……」と空咳をしてから、僕は電話を切る。
僕の正面に座っていた探偵は、
「迫真の演技じゃないか」
と拍手をしてみせたが、内心は「大根役者」だと思っていることは、ニヤけた表情を見れば分かる。
僕は、嘘を吐いて会社を休んでしまった罪悪感と同時に、嘘が通じて休みを了承してもらえたことの安堵感を覚える。
これで、心置きなくJ村に残り、「ワトスン君」の役回りをすることができるのだ。
決して、それは僕が進んで選んだ道ではないのだけど。
「どこか落ち着いて話せる場所はないの?」と訊かれ、僕が探偵バロックを案内したのは、「
東京だったら、チェーンの喫茶店などを選択するところだが、田舎の村には、無論、スタバもタリーズもない。
個人経営の喫茶店はないことはないのだが、店主のこだわりが強過ぎて延々とハードロックを流している店(せめてジャズにして欲しいと心から思う)だったり、店主が話好きで客の話を盗み聞きして勝手に話に入ってくる店(それでいて店主の話はクソつまらない)だったりするので、打ち合わせ場所には向かない。
そこで、僕が勧めたのが、特に個性もなく、八十代で耳の遠い店主がやっている甘味処だったのである。
店内に置いてあるテーブルと椅子はわずか二組だが、案の定、いずれも空席だった。
僕は定番メニューのあんみつを、探偵バロックは夏季限定メニューのみぞれかき氷を注文し、席代の代わりとした。
探偵バロックは、今般の殺人事件について、僕と意見を交わしたいと考えているに違いないが、僕には、それ以前に、探偵バロックに確認しなければならないことがいくつかあった。
「『ワトスン君』って何ですか?」
僕の、我ながら間抜けな質問に、探偵バロックは、口に入れていたかき氷を吹き出しかけた。いや、若干吹き出した。
「筑摩君、推理小説は読まないの?」
「宮部みゆきの『ブレイブストーリー』は読んだことありますけど……」
「あれはファンタジーだよ! 宮部みゆきなら、せめて『理由』を読んでくれ! アレも探偵小説ではないけれど……」
ちなみに、「ブレイブストーリー」も、先にアニメ映画を見て、その後小説を読もうとして、上巻の途中で挫折したのだった。
「筑摩君が
探偵バロックは、大きなため息によって、僕への失望を表現した。
「僕には素質がないみたいなんで、『ワトスン役』は別の人に任せた方が良いんじゃないですか?」
「もう遅いよ。公衆の面前で、筑摩君を『ワトスン君』だと説明してしまっている」
「『ワトスン君』って何ですか?」
「探偵の助手、ということでとりあえず理解しておいてくれ。本当はもっと色々な含意があるんだけど……」
「探偵の助手……ですか」
だとすると、僕がこれまでの文脈から、なんとなく想像していたものとは離れていない。僕は、探偵をサポートする役回りを任されたということだ。
ん? 探偵のサポート? それって――
「僕は、具体的に何をすれば良いんですか?」
探偵バロックは、真顔で、
「何もしなくて良いよ」
と回答する。
「え!?」
「そんな驚かないでよ。『ワトスン役』というのは、そういうものなんだ」
それが、探偵バロックが先ほど言っていた「含意」ということなのだろうか。
「何もしなくて良い、ということは、僕は要らない、ということですか?」
「そんないじらしいことも言わないでよ。そういうわけじゃない。『ワトスン役』は必要なんだ。村長もそう考えてたでしょ?」
たしか、冬馬に首を締め付けられていた男が「探偵バロック」と身分を明かした時、太田牧村長は、「では、『ワトスン役』はどこにいるのだ?」と尋ねたのである。
「お正月にお餅がつきものなように、名探偵にはワトスン君がつきものだ、と考えている人種がそれなりにいるんだ」
「太田牧村長がその人種だった、と」
「そういうこと。仮に『ワトスン役』がいなければ、村長は、俺が本当に『探偵バロック』か疑ったことだろう。だから、筑摩君の助けを借りたんだ。たまたま目に入った知り合いが筑摩君だったからね」
「助けを借りた」という表現には違和感がある。何も分かっていない僕を、探偵バロックは、突然、「ワトスン役」に指名して、「報酬の分け前」を口止め料としたのである。
僕は、半ば強引に「ワトスン君」にさせられた。
そして、僕が選ばれた理由は、「たまたま目に入った知り合い」だったから、ということに過ぎないらしい。
そもそも、「知り合い」というのも眉唾である。ヒッチハイクで車に乗せただけの関係である。
とはいえ、乗りかかった船である。
もう職場に嘘を吐いて休みも取ってしまっている。
訳も分からず「ワトスン君」にさせられたことについて、今さらごちゃごちゃ言っても仕方がない。
「……ところで、聞きにくいのですが、あなたは……えーっと……『探偵バロック』さんというのは、有名人なんですか?」
僕の、あまりにも無礼な質問に、垂れ目の男は、まず、
「俺のことは『バロック』と呼んでくれ」
と言う。
たしかに、いちいち「探偵バロック」と、職種を付けて呼ぶのはまどろっこしいな、と思っていたところだったので、僕はこの提案を受け入れることにする。
もっとも、「有名人」なのかどうか、という僕の質問に対しては、
「『探偵バロック』でググってくれ」
と、バロックは冷たく切り捨てた。
とはいえ、ググったら分かる、ということは、それ自体が一定の回答なのだ。
「探偵バロック」は、ネット上で紹介されているくらいには有名人なのである。
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