村長の頼み
J村は、長年、太田牧一家の支配下にある――
と、J村の人は茶化してよく言うのだが、事実、村長の役職は、太田牧一家の世襲なのである。
現在の村長は、太田牧重蔵である。
その一代前の村長は、重蔵の兄である
さらにその先代の村長は、重蔵の祖父にあたる
そのさらに前、となると、僕は名前を知らないのだが、やはり太田牧家の血縁に違いない。
歴代の村長の写真が、村長室にはズラリと並べてあるのだが、カラーのものも白黒のものも含めて、いずれも顔がよく似ているのだ。
いずれも頬の肉付きが良く、トロンとした優しそうな目をしている。
そして、今、そのトロンとした優しそうな目が、僕と、それから探偵バロックに向けられている。
「ようこそJ村へ」
実際はJ村の出身であり、太田牧村長とも古くの顔見知りである僕は、村長とは目を合わさず、背景の壁にある写真を見たまま、軽く会釈する。
「君たち、本当に良いタイミングで来てくれたよ。まさか殺人事件が起きたちょうどそのタイミングで、現場に探偵バロック御一行がいるだなんて!」
「名探偵にはよくあることさ」
村長室のソファにお尻を深く埋め、ふんぞり返った姿勢で、探偵バロックは言った。
年上であり、村長である者に対して、このような偉そうな態度をとることも、タメ口をきくことも、僕には決して真似できないなと思う。
それにしても、「名探偵にはよくあること」とは一体どういうことだろうか。名探偵というものは、偶然、殺人事件の現場に居合わせてしまうような、そんな悍ましい職種だということだろうか。
「そして、事件の解決を引き受けてくれたことにも感謝する。この事件は、探偵に任せるしかない性質のものなのだ」
たしか、先ほど、殺害現場においても、太田牧村長は同様のことを言っていた。「この事件は、探偵によって解決されねばならないのだ」と。
「……村長、なぜですか?」
ふんぞり返る探偵バロックの隣で、ソファに浅く腰掛けた僕は、おそるおそる尋ねる。
「実はこの村では、昔、ヒ素を使った無差別殺人が起きたことがあるのだよ」
「毒豚汁だよね? 十七年前に起きて、沓晏吉永が実行犯とされた」
「さすが探偵バロック、よく知っておるな」
「もちろん知ってるよ」
おそらく知らない者はいないだろう。吉永の死刑執行に際して、最近もまたメディアに取り上げられていたのである。
それに、垂れ目の男もとい探偵バロックは、毒豚汁事件について、村人に聞き回っていたのである。
それは「調査」だ、と探偵バロックは、冬馬に対して話していた。
「その毒豚汁事件の際、J村は、マスメディアによって甚大な被害を受けたのだ」
太田牧村長の言葉に、当時J村に住んでいた僕は、すぐにピンときた。
「甚大な被害」という大層な言葉も、決して大袈裟ではない。
毒豚汁事件の発覚後、数百人規模の記者やリポーターが、J村に押し寄せ、インフラの発達していない田舎の村は混乱に陥った。
そんな大人数が宿泊できる施設もなかったので、記者らの中には、村人との交渉して家に泊めてもらったり、それすらもせずに野宿や車中泊をしたりする者もいた。
外を歩けば、すぐにマスコミの人間が飛び付いてきて、インタビューを求められた。まるで蝿のようなうざったさであった。
そして、豚汁の調理や配布に関わった者は、片っ端から「犯人候補」として扱われ、家を監視され、本人のみならず家族までもが、ストーカーのように付きまとわれたのである。
それはまさに人災にほかならなかった。
毒豚汁事件の「二次被害」と言っても差し支えないものだったと思う。
当時J村にいたわけではない探偵バロックにも、太田牧村長の言わんとすることは腑に落ちたようで、「マスコミはマスゴミだからね」と相槌を打つ。
「そして、今回の事件だ。今回の事件でも、殺害にヒ素が使われておる」
僕は、吐瀉物に塗れていた貞廣の死体の様子を思い出す。
司法解剖をしたわけではないが、あれはヒ素によってもたらされた死に違いない、と僕も確信している。
「この事件の存在を知ったら、マスコミがまた加熱報道を始めかねない」
――たしかに太田牧村長の言うとおりだ。
マスコミは、今回の殺人事件を、「毒豚汁事件の第二章」と位置付け、大衆の好奇の対象としようとするだろう。
同じ村で起きた、同じ凶器による殺人事件なのである。吉永の死刑執行直後というタイミングもよろしくない。
「私は、この村にマスコミが押し寄せることだけはどうしても避けたいのだ」
「つまり、この殺人事件を公にせず、探偵の私的な調査によって解決したい、ということだね?」
「……そういうことだ」
太田牧村長の考えていることはよく分かった。
僕も、マスメディアによる惨禍は二度と繰り返すべきではないと思う。
しかし、事件を公にしないということは、警察にも出動を求めないということだろう。警察に捜査をさせれば、必ずマスコミの知るところになってしまう。
とすると、探偵バロックは、警察組織の有するマンパワーや科学的手法に頼らず、事件を解決しなければならない、ということになる。
探偵バロックが一体何者なのか、僕にはよく分かっていないものの、果たして、探偵バロックにはそれほどの能力があるのだろうか――
「探偵バロック、それから、ワトスン君、そういうわけだから、よろしく頼むぞ」
――そうだった。
探偵バロックだけではない。
ひょんなことから「ワトスン君」になってしまった僕も、この醜悪な殺人事件の解決を任された立場なのである。
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