第二章

後悔

吉研よしと、今日村のお祭りがあるんだけど、どうする?」


 僕――沓晏くつあん吉研よしとの人生において最大の後悔は、この時である。



 僕は、母である吉永のこの誘いに、漫画本に目を通したまま、ぶっきらぼうに「行かない」と回答した。


 もしも、時間が巻き戻せるならば、この時に戻り、「行く」に回答を差し替えたい。



 なぜなら、この日、僕が村の祭りに行かず、一人で留守番していたことが、母が毒豚汁事件の犯人とみなされたきっかけなのである。


 すなわち、僕を安全な家に待機させた上で、母だけが祭りに参加したのは怪しい、と捉えられてしまった。


 それは、、とそう考えられた。



 それは明らかに間違っている。


 なぜならば、




 僕は、母のことが大好きだった。


 母に対する、世間一般からの評価はよく分からない。


 母は高校を中退し、以降、まともな仕事に就いたことはない。


 夜毎知らない男に身体を売り、その日暮らしの生活を続けていた。



 そして、その知らない男のうちの誰かが残した子種が、僕なのである。



 なので、僕には父親はいない。


 どこかに存在しているのかもしれないが、僕はそれを「父親」と思わないし、「父親」側も同じく僕を「息子」とは思わないのだろう。



 そんな、第三者から見たら哀れな境遇の中でも、僕は、母さえそばに居てくれれば満足だった。


 

 母は、アルコール依存で、ギャンブル依存だ。


 酒に酔った勢いで、僕に手をあげたこともあるし、ギャンブルでお金をすった日には、食べるものがなく、近所の飲食店の残飯漁りをさせられたこともある。



 それでも、僕にとっての母親はたった一人しかいないし、母が僕に与えてくれていた愛情は何にも替え難いものだった。



 僕は、母さえそばに居てくれれば、それで良かったのである。



 なのに――



 どうして――



 あの祭りの夜、母は、ヒ素の入った豚汁を飲んでその場に倒れてしまった者たちを看病し、救急車が来るまで、必死で励ましていたとのことである。



 もしかすると、それは、母の生来の人柄というよりは、J村の人に認められたいという打算によるものだったのかもしれない。


 そもそも、母が、九歳の僕を家に置いてまで祭りに出かけ、豚汁作りを手伝ったのは、一年前に村に引っ越してきたばかりの「よそ者」が、村に馴染むための努力の一環だったのである。



 母が、ヒ素で苦しむ村人を助けようとしたことが、不純な動機に基づく行動だと非難されることは、百歩譲って許すことができる。


 しかし、それが、母による「偽装工作」であると非難されることは、あってはならないことだと思う。



 母は、豚汁にヒ素なんて入れていない。



 



 母を無実の罪を被せてしまった責任の一端は、僕にある。



 僕が、あの祭りの夜、村人との関わりを怖がって、家に引きこもってしまったのが悪いのだ。


 今考えれば、「よそ者」と後ろ指さされることくらい、なんてことなかったのである。



 僕が、勇気を出して祭りに行ってさえすれば――


 さらに、毒豚汁を一口啜ってさえいれば――



 母は「毒蛇女」とされることはなかったのである。



 そして、僕と母が引き離されることもなかった。



 あの祭りの夜が奪ったのは、母の人生だけではない。


 あの祭りの夜は、僕の人生をも、決して取り返しがつかないくらいにメチャクチャにしたのである。

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