今の楓の姿

 同窓会の場所に指定されていたのは、「桔梗ききょう」という名の小料理屋だった。


 僕の両親が贔屓にしていたこともあり、J村に住んでいた頃は、何度も通った店である。


 広い座敷の間があり、たしかに同窓会にも向いているといえる。



 なお、「同窓会」について誤解のないように予め断っておくと、世間がイメージするような、同じ学校の同級生が集まる会、というわけではない。


 そもそも村内には学校はなく、J村の者は皆揃ってL町の小中学校に通うのである。高校より先の進路はてんでバラバラだ。



 僕が誘いを受けた「同窓会」は、「同郷会」と表した方が正確かもしれない。


 当時J村に住んでいた、だいたい同じ世代のものが集まる会なのである。


 「だいたい同じ世代」というのもミソだ。同じ年の生まれに限るとすれば、集まるのは一人か二人か、もしくは誰もいないのである。ゆえに、幅を持たせる必要がある。


 すると、「同窓会」というのはいささかミスリーディングなような気もするが、感覚的には決して誤っていない。


 人口の少ない、とりわけ若年層の人口が少ない村では、同郷で、年齢が比較的近い、というだけで、まるで「同窓」のような連帯意識があるのである。



 僕が運転するレンタカーによって、僕と劉生が「桔梗」に着いたのは、約束の時間の十八時を二分過ぎた頃だった。遅刻である。


 遅刻をしたのは、「遊佐ん」で、劉生が酒を粘っていたからに他ならない。僕が「そろそろ出ないと間に合わない」と伝えているにもかかわらず、「分かってる」と口では言いながら、日本酒を二合追加で注文したのである。



 なお、僕は、酒を一滴も飲まなかった。決して下戸だからではない。「桔梗」への道のりが飲酒運転にならずに済むように、である。



「今の楓を見たら、絶対に驚くぜ」


 「桔梗」の暖簾をくぐる直前、劉生が僕の耳元で囁く。


 同じことは、「遊佐ん」でも散々聞かされていた。ただし、何をどういう理由で僕が「驚く」のかは、劉生は教えてくれなかった。「実際に会ってからのお楽しみ」だそうだ。


 辛味噌を付けた焼き鳥を頬張りながら、僕は、「ふーん」とさも興味なさげに聞き流していたが、内心、そのことがずっと心から離れなかった。



 果たして、今の楓はどのような姿をしているのだろうか――


 一番ありそうなのは、とんでもなく美人になっている、ということだろう。


 僕が最後に楓を見た十五歳の段階で、楓にはその素質を十分過ぎるほどに備えていたのである。



 暖簾をくぐった後、僕は、入り口の引き戸になかなか手を掛けられないでいた。



「ん? 翔癸、開け方が分からないのか?」


 劉生が酒臭い声でそう尋ねるものも、そんなはずはない。

 この店は、僕が幾度となく通った店なのだから。

 緊張しているのである。楓の変化がどうであれ、八年ぶりに楓と顔を合わせるのが怖いのだ。いっそのこと、酒を飲んで酔っ払っておくべきだった。



「じゃあ、俺が代わりに開けるよ」


 「待って」と制止しようとした頃にはもう遅かった。


 ガラリと音を立てて、戸が引かれ、お香と醤油が混じったような匂いとともに、座敷の光景が目に入る。


 正座をしたまま、振り返り、僕と目を合わせた女性は――



――正真正銘の美人だった。



 スマートな輪郭、切れ長のハッキリした目、大福のように白い肌、彼岸花の花弁のように細く赤い唇。



 決して、別人のように美しくなった、というわけではない。


 むしろ、十五歳の当時も、しっかりと化粧をしていたら、このようになっていただろうと思うのだ。



 楓は、楓のまま、美しい大人の女性へと成長を遂げていたのである。



「ほら、翔癸、そこでぼーっと突っ立ってないで早く行くぞ」


 そう言うがいなや、劉生が僕の背中を押し、座敷の間へと誘う。



「ほら、翔癸、ここで靴を脱げ」


 まるで幼稚園児のような扱いだが、それくらいに、僕の頭は機能していなかった。


 今の楓の姿に、僕の心は釘付けだったのである。



 同窓会の参加者は八名。


 予約していた座敷には、机が二つあり、それぞれ四人ずつ座ることとなる。


 無論、僕ら以外の六人は遅刻せずに来ていた。


 そのうち、四人は奥の机、手前の机に、楓と、その隣にもう一人の女性が座っていた。



 要するに、楓の正面の二つの席が、僕らのために用意されていたということである。



 僕は、劉生に引き連れられる格好で、その空席に到着する。そして、座る前に、謝罪をする。



「遅れてすみません」


「いえいえ」


 楓が、透き通った声を出す。



「翔癸、だいぶ様子が変わったね。男前になった」


 お世辞に違いないが、そんなことを言って、楓は僕の心を高揚させる。



「楓の方こそ、美人になったよ」


 これは決してお世辞ではないのだが、僕は、言ったそばから言ってしまったことを後悔する。


 なぜなら、間違いなく、その場の空気が凍ったからだ。



 僕の言葉が軽薄に聞こえたのか、それとも、そもそも女性の容姿について批評することがナンセンスだったのか――



 しかし、実際には、そのどちらでもなかった。


 僕は、僕の想像をはるかに超える無礼を働いていたのだ。



 楓は、言いにくそうに、言う。



「……私、楓じゃない」


――そんなまさか。



「私、楓の妹の唯鞠いまり。お姉ちゃんは隣」


 楓――と思われた女性にばかり意識が行っていて、隣の女性に目が行っていなかった。


 僕はおそるおそる隣の女性を見る。



 そこにいたのは、目が窪み、頬も窪んだ、まるでミイラのように痩せこけた、お世辞にも美しいとはいえない女性だった。

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