空き地

 ラブホ仕様の広いベッドの上で、自然と目が覚めたのは、正午手前だった。


 夜の同窓会まで何もすることがないとはいえ、また、ホテルからは特にチェックアウトの時間を指定されていなかったからとはいえ、さすがに寝過ぎたなと反省する。


 とはいえ、人間は必要以上に寝ることはできない、とも聞いたことがあるので、僕は、無意識のうちに相当疲労を溜め込んでいたということらしい。


 東京では、毎朝、疲労を回復し切る前に、スマホのアラームによって起こされているのだ。



 窓のカーテンを開けると、ほどよい曇り空である。雨が降ると面倒だが、かといって、お日様が出ていると熱中症になりかねないので、外出日和だといえるだろう。



 僕は、大きくあくびをしながら、まずはシャワーを浴びようと、バスローブの紐の結び目を手で探る。



――最悪だ。



 触れてみるとキツく固結びになっていたので、僕は、蝶々結びにしなかった昨日の自分を憎たらしく思いながら、結び目が解けるように何度も爪で引っ掻いた。




 温度設定が高めなシャワーを浴びて、サッパリした僕が、昨日からの相棒であるコンパクトカーに乗り込んで出掛けたのは、J村の方だった。


 今度こそ、生家の跡地を見に行こうと思ったのだ。

 次は、ヒッチハイクに遭っても、絶対にブレーキを踏まないと決めていた。



 運良く、というよりは、運悪くなく、今日の道すがらは、長袖長ズボンの男に呼び止められなかった。そもそも、そんな季節外れの格好の男性とは、一人たりともすれ違わなかった。



 そして、僕は、無事、目的地へとたどり着いたのである。



 生家の跡地がどうなっているかについては、今まで聞いたことがなかった。


 その土地を二束三文で買った不動産屋も、転売するかどうかも含めて、用途は後で考えると言っていたのである。



 ただ、そこに新たに住宅が建つことはないだろうと思っていた。


 人口が減少しているJ村に、住宅需要などないからである。


 加えて、理由はもう一つある。



「貸し倉庫か……」


 僕は納得する。


 生家の跡地には、長方形を横に倒した形の建物が、三列分あった。


 側面にはズラッと並んだシャッタードアのは、目を引くオレンジ色である。そのいくつかに「借主募集中」の張り紙がされている。


 たしかに貸し倉庫だったら需要があるかもしれないな、と思う。古い農具や農機械で、持ち主が亡くなった後、遺族がどうして良いか分からず、とりあえず倉庫に保管しておくという場合もあるだろう。


 それに、人が住まないのであれば、この場所であって大丈夫だ――



 僕は、真後ろ――道を挟んで僕の生家の向かい側――を振り返る。



 そこはあるのは、正真正銘の空き地である。


 僕の背丈くらいの高さがあるものも含めて、雑草が生えたい放題に生えていた。



 おそらくこの土地が再度人間に利用されることはないだろう。

 貸し倉庫としてですら、そこは利用できないのだ。



 なぜならそこは――



「おい、もしかして、翔癸か?」


 突然名前を呼ばれたので、僕は、声のした方を振り返る。


 僕に声を掛けた人物は、白いセダンの運転席の窓からひらひらと手を振っている。


 僕は、とりあえず手を振り返してみたが、それが誰なのかサッパリ分からなかった。おそらく、その人物が、サングラスを掛けているからだろう。



 男は、セダンを降り、僕のいる方へとゆっくりと歩いてくる。


 「誰?」というのが僕の表情に出てしまっていたのだろう。「あっ」と短く声を上げてから、男は慌ててサングラスを外す。


 しかし、裸眼の顔を見ても、僕は、その人物が誰か分からなかった。



「翔癸、久しぶりだな。お別れパーティー以来か」


「ああ!」


 ようやく男の正体が分かった。


 梨田なしだ劉生りゅうせい――僕の幼馴染である。


 八年前とは、見た目がまるっきり変わってしまっている。


 八年前は、色白で、ひ弱そうなイメージであった。


 しかし、今目の前にいる男は、肌が浅黒く、ノースリーブスから飛び出した腕は筋骨隆々で、バリカンでサッと刈り上げただけなのであろう短髪も含めて、いわゆるガテン系に見える。



 見た目が真逆に変わっているというのに、どうして僕がこの男が劉生だと見抜けたのかといえば、「お別れパーティー」という単語による。


 これは、無論、J村を離れる僕を主賓としたものであるが、参加者は、僕を含めて三人だけだった。


 僕に友だちが少なかったから、というわけではない。本当に仲の良い間柄の人だけでやりたかったのだ。同様の送別会の話は他にもあったが、劉生の家でのお別れパーティー以外は全て断った。



 劉生が右手を差し出してきたので、僕も右手を差し出し返し、握手をする。劉生のあまりの握力の強さに、僕は一瞬顔を歪める。



「劉生、どうして僕のことが分かったの?」


「どうしてって?」


「八年ぶりで、顔も変わってるだろうからさ」


 僕が、劉生の顔を分からなかったように、劉生が、僕の顔を分からなくても不思議ではないように思う。



「ああ。なるほどな。たしかに翔癸の顔はだいぶ変わってるな。昔の面影はないと思う」


 劉生は、あっけらかんとそう認める。



「じゃあ、どうして、僕が僕だと分かったの?」


「だって、わざわざ路肩にレンタカーを停めて、貸し倉庫をぼんやり眺めてる奴なんて、普通いないだろ」


「ああ」


 大したからくりではなかった。劉生も、当然、この貸し倉庫が、僕の生家の跡地だとい

ことは知っている。



「それにしても、翔癸に会えて嬉しいよ。もう二度と会えないと思ってたから」


「そんなことないって」


 僕は苦笑いをする。たしかに僕も、二度とこの村に戻って来ないだろうと最近まで思っていた。



「やっぱり楓からの手紙が効いたんだな」


「え?」


「あれは俺のアイデアなんだよ。翔癸を誘うなら、差出人は楓しかないと思ったんだ。じゃないと、翔癸は参加してくれないと思って」


 僕はさらに苦笑いをする。


 まさに飛んで火に入る夏の虫だったのである。


 なぜ劉生が「差出人は楓しかない」と思ったのかという理由を突き止めたい気もしたが、それを訊くと単に墓穴を掘りそうなだけなのでやめておいた。



「翔癸、今日の飲み会楽しみだな」


「そうだね」


「じゃあ、景気付けにゼロ次会といくか!」


「そうだ……え?」


 僕に拒否権はないとばかりに、劉生は、強引に僕の肩を組む。



「『遊佐ゆざん』で良いか?」


 劉生が名前を挙げたのは、ここから徒歩二分ほどの距離にある焼き鳥屋である。



「……車はどうするの?」


「まさか路上駐車したままにはしないさ。『遊佐ん』の駐車場に停めよう」


「いや、そうじゃなくて……」


 僕が気にしているのは、「遊佐ん」で飲んだ後、どうやって同窓会の会場に移動するのか、ということである。


 ここから同窓会の会場までは、車で十五分ほどある。その間、飲酒運転をすることになってしまうではないか。



 そのことを説明しようと思った矢先、僕は、見てはいけないものを見てしまう。


 劉生が乗っていたセダンの運転席のドリンクホルダーに、開封済みのワンカップが入っていたのだ。


 たしかに劉生の体臭にはアルコール臭が混っている――気もする。


 

「まあ、翔癸、つべこべ言わず、親友同士、久々の再会を祝おう。今夜は宴だ!」


 まだ十五時にもなっていないのだが……というのは、きっと「つべこべ」に含まれるのだろう。

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