運転


 僕が車で拾った男の特徴について、先ほど、長袖長ズボン、と説明した。八月の真夏日にこの格好なのだから、それは特筆すべきことに思えたのである。


 しかし、助手席に乗った男の横顔を眺めると、この男の特徴は、目にあるのではないのかと思い始めた。


 目尻が下がり、気怠そうな目をしている。


 要するに、垂れ目なのだ。



 ゆえに、少なくとも、この男の名前が判明するまで、僕はこの男のことを「垂れ目の男」と心の中で呼ぶこととする。



 助手席においても、垂れ目の男は馴れ馴れしく、雄弁だった。


 そして、僕への詮索がすごい。



「筑摩君は、今、東京で出版関係の仕事をしてるんだ。へえ。それで、月いくらくらいもらってるの?」


「……え? それはちょっと……他人に言えるほどでは……」


「手取りで二十万は超えてる? それともそれ以下?」


 こんな感じである。


 もうすでに僕の名前も、仕事も、彼女がいないことも聞き出されてしまっているのだ。


 他方で、垂れ目の男の情報に関しては、僕は何も訊けてはいない。



「あの……あなたはどんな仕事をされてるんですか?」


「当ててみて」


「……え?」


「そういえば、お腹が減ったなあ」


 ずっとこんな感じなのである。


 垂れ目の男の名前も未だに聞けずじまいだ。



「どうして、村役場に向かってるのですか?」


 垂れ目の男が行き先に指摘したのは、村役場だった。

 せめてそこに行く目的をドライバーに伝えるのは、ヒッチハイクをした者の責任だと思う。


 しかし――



「野暮用だよ」


とだけ短く答えて、垂れ目の男は、また「お腹が減ったなあ」とぼやくのだ。もう取り付く島もない。



 それでも、垂れ目の男から、次の言葉が出るまでは、会話はそこまでストレスフルなものではなかった。



「『お腹が空いた』といえば、この村では豚汁が有名なんだよね?」


 僕は動揺を顔に表さなかった。


 しかし、ハンドルさばきにはそれが表れてしまったようである。


 コンパクトカーがポンっと宙に浮き上がった。



「……別に郷土料理というわけではないのですが……」


 そんなオトボケは通じなかった。



「違うよ。『有名』というのは、そういう意味じゃない。十七年前にメディアを騒がせた毒豚汁事件だよ」


「はあ……」


 垂れ目の男は、僕に余計な寄り道をさせただけでなく、余計なことまで思い出させようとしているのである。せっかく、そのことを考えないようにしてたのに……


 僕は、助手席のドアを開け、垂れ目の男を田んぼに蹴落としたいという衝動に駆られたが、村の中央に近づくにつれて、外にちらほらと人影が見え始めていたので、通報を恐れ、やめた。



「筑摩君、十五歳までこの村で住んでたんだんだよね? 当然、毒豚汁事件については知ってるんだろ?」


――そんな余計なことまで話してしまっていたのか。いくら垂れ目の男が聞き上手だからといえ、自分で自分が嫌になる。



「……まあ、たしかに住んでましたけど、僕はその祭りには行っていないので」


 今度はハンドル捌きにも十分注意する。


――良かった。運転は乱れていない。



 僕は、自然に嘘を吐けたはずである。


 しかし――



「怪しいな……」


 垂れ目の男は、なぜか僕の嘘に気付いたようである。



「じゃあ、あの祭りの日、君は何をしてたんだ?」


「……うーん、小さい頃だったので、よく覚えてません」


「怪しい……」


 この男は、どうして僕の嘘を見破れるのだろうか。


 この男は一体何者なのだろうか――

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