帰郷

――生まれ故郷の村に戻ってくるのは、およそ八年ぶりだった。


 僕は、中学卒業と同時にこの村を飛び出した。


 「近隣に自分に合った高校がないから」などと周囲に理由を説明していたが、本心ではない。


 僕は、一刻も早く、「呪われた村」から逃げ出したかったのである。



 それには、父と母も同意してくれた。


 先祖代々の土地だという生家を二束三文で売り払い、東京でのアパート生活に付き合ってくれたのである。


 思うに、両親の中には疾しさがあったのである。


 あの日、六歳の僕に小銭を渡し、祭りで豚汁を買ってくるように頼んだのは、両親である。


 悪気は無かったとはいえ、両親のせいで、僕は、あの凄惨な現場を間近で目撃してしまったのである。



 「この村は呪われている」という僕の訴えを両親は真に受けなかったものの、そんな世迷言を口にするほど、祭りの日に植え付けられたトラウマは強烈なのだ、と彼らは理解し、僕のわがままを聞いてくれたのだ。



 僕は、東京で新たな人生をスタートし、高校、大学を卒業し、今年から社会人となった。


 呪われた村から抜け出せたためかどうかは分からないが、東京に出てからは、順風満帆な人生だ――と思う。


 別に立派な大学を出たわけでも、高級取りになったわけでもないが、僕は、生来、あまり高望みするタイプではない。


 僕は、東京で、ついに平凡な人生を手に入れることができたのだ。東京では、僕の目の前で誰も命を落としていない。それだけで僕は満足なのである。


 J村に居続けていたら、きっとそれだけの満足さえも叶えられたかったのだろうから――




 そんな僕が、なぜJ村に帰郷したのかといえば、大した理由はない。


 同窓会の誘いが届いたから、である。



 J村には、もう二度と戻らない、と心に誓っていた。


 ゆえに、最初は、その同窓会の誘いも、破り捨て、ゴミ箱に投げ捨てようとしたのである。


 しかし、手紙の上半分を破いたところで、僕の気は変わった。



 手紙の差出人の名前が目に入ったのだ。


 それは夕凪ゆうなぎかえで――だった。


 そんな理由で決意を変えてしまうのは軽薄だと思われるかもしれないが、僕にとって、楓は忘れ得ぬ人であり、上京する際に未練があったとすれば、それは唯一、楓の存在なのである。



 J村は公共交通機関の発達していない僻地であるといえども、たった一晩の同窓会に参加するためであれば、滞在は二日あれば十分だろう。



 それに、冷静になってみれば、あの忌々しき毒豚汁事件以来、J村で事件が起きたという話は聞いたことがない。



 加えて、「毒蛇女」は、先日、処刑されたのである。



 僕が、決意を覆す理由は、探せばいくらでもあった。



 ゆえに、僕は、仕事を三日休み、J村へ向かうことに決めた。



 行きの新幹線に乗ってる最中も、レンタカーを運転する最中も、僕の頭の中は楓のことで一杯だった。


 我ながら浮つき過ぎであるが、それでも、あの酸鼻極めた事件のことが頭をよぎるよりはだいぶマシだった。



 人ひとりにすれ違うこともなく、凸凹の山道を抜け、やはり人の気配のない枯れた田畑を横目に進んで行くと、青いペンキがところどころ剥がれた、J村の標識が目に入った。


 この標識の下をくぐり抜ける最中、僕が不安に思っていたことといえば、「楓は僕のことを覚えてくれているだろうか」ということなのである。



 もっとも、同窓会は、明日の夜であり、まだ一日半も時間がある。


 すぐに楓に会えるわけではないのである。


 同窓会までの時間の潰し方は特に決めていたわけではないが、僕は、なんとなく、生家を見に行こうか、と思い、ハンドルを切った。


 売り払った後に生家は取り壊されたと聞いているから、正確に言うと、見に行くのは「生家の跡地」である。



 今度は少しだけ手入れがされていそうな、舗装されていない砂利道を進む中で、僕は、道端に久々に人間の姿を認めた。



 それは、若い――とはいっても、おそらく僕よりは年上であろう男性であり、季節柄に合わず、長袖のワイシャツに、踵で踏んづけそうな丈のジーンズを履いている。


 人と車がようやく通れるほどの狭い畦道だ。僕はブレーキを踏み、徐行を開始する。



 背後から車が横切ろうとしていることに気が付き、その男性が、後ろを振り返る。



 見たことがない顔だ。



 服装からしても、おそらくこの町の出身のものではないのだろう――



 そんな感想だけ抱き、僕は、その男を追い抜こうとしたところ、男は、手を振りながら、道の中央に出てくる。


 少しびっくりしたものの、すでに徐行をしていた僕は、そのままブレーキを踏み締め、危なげなく停止する。



「すみませーん」


と、長袖の男が声を張り上げているのが、冷房をかけるために窓を閉め切った車の中からでも分かった。



 僕が車を降りると、その男――やはり知らない男である――は、僕に馴れ馴れしくタメ口話して掛けてきた。



「君、この辺には詳しい?」


「ええ、まあ……」


「俺をその車に乗せてくれないか。ちょっと行きたいところがあって」

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