火事の真相 6

 時間は少し遡って――


 ユーインは城のハミルトンの部屋にいた。

 エルフの秘薬のおかげで体調が回復したハミルトンだったが、しばらくは様子を見るために安静にしているようにと侍医に厳命されたのだ。

 動きたくても動けないもどかしさを抱えたハミルトンは、連日友人を呼びつけて話し相手にしていたのである。


 おそらくユーインの持ってきた薬の秘密を知りたくて仕方がないという気持ちもあるのだろう。

 しかし、エルフにもらった薬だとどうして言えようか。

 侍医もどこで手に入れたものか、どのように処方されたものかなどしつこく食い下がっていたが、もちろんこちらにも何の説明もできなかった。

 仕方がないので、旅の最中に出会った少女にもらったとだけ告げると、今度はその少女がどこの誰かと問いただされる始末で、ユーインはほとほと困っていた。

 見かねたハミルトンが、あれだけよく効く薬だから門外不出の特別な薬のはずだ、問い詰めるのはよくないと侍医を注意し、ひとまずは落ち着いたが、ハミルトンはハミルトンで、秘密を共有してくれないユーインに焦れているようにも見えた。

 侍医に教えられなくても自分にはいいじゃないかという思いが透けて見える。


(困ったな……)


 ハミルトンのことだ。ユーインが正直に話したとしても、荒唐無稽だと笑いとばしたりはしないだろう。しかし、この秘密をどこまで話していいのかユーインには測りかねた。


「気分は?」

「すっかりいいよ。できれば少し歩きたいんだけど、侍医があと三日はおとなしくしていろというからね、困ったものだ」


 食欲も戻って、ハミルトンの顔色はすこぶるいい。

 ハミルトンの病のせいで水面下でごたついていた世継ぎ問題も、王がハミルトンの病状の回復を発表したことで落ち着きを見せはじめている。

 さらに、その薬をもたらしたユーインに感謝と褒章を贈ったことで、ファルコナー公爵家が王位簒奪をもくろんでいないことが内外に示された。

 ハミルトンに次ぐ王位継承権を持つ人物を抱えるファルコナー公爵家がハミルトンを支持していることが、彼の命を救うことではっきりと示されたので、ひとまずは王位争いをめぐって国が荒れることはないだろう。

 ハミルトンの部屋は人払いがされていて、今はユーインと二人きりだった。

 だからだろう、わくわくしたような、どこか期待した目をこちらへ向けてくる。


「ユーイン、薬のことはまあいい。それよりも気になるんだが、君、女の子に例の薬をもらったって言ったけど、その子とはどういう関係なんだい?」

「藪から棒になんだよ」

「だって、ねえ。その子の話をした時の君の顔がとても柔らかかったから、これは特別な関係なんじゃないかって思ってね」

「元気になった途端、すぐそういう下世話な話をしたがる」

「仕方ないじゃないか。部屋に閉じ込められていて退屈なんだよ。それで? 白状したまえよ。どんな子なんだ? 年は? どこまで行った?」

「ど、どこまでって……!」


 さっとユーインの頬に朱がさした。


「な、なにもないに決まっているだろう!」

「怪しいな」


 照れるユーインを、完全に揶揄う顔でハミルトンが笑う。

 ユーインは赤くなった顔をハミルトンから隠すように横を向き、そしてぽつりと続けた。


「……もう、会うことはない……と思うし」


 自分でも驚くほどしょげた声が出た。

 そう――本当はエマに会いたかった。彼女を追いかけたかった。ハミルトンの体調が回復した今なら追いかけてもいいのではないかと、今でも思っている。

 でも、追いかけようにも、エマがどこにいるのかがわからない。

 ブラクテン国に行ったのはわかっている。

 しかしブラクテン国も広い。エマが国のどこへ向かったのか、ユーインは情報を持っていなかった。

 あの優しくて強くて、でも強がりでどこかもろそうに見えるエマは、今頃どこで何をしているだろうか。


 会いたいと言っていたロイには会えただろうか。

 どこかで泣いていないだろうか。

 傷ついていないだろうか。


 エマの笑顔はたくさん知っているはずなのに、どうして思い出そうとすると、アリス山のカルデラ湖で泣いていた彼女の顔ばかりが脳裏をよぎるのだろう。


「好きなんだな」


 揶揄するのをやめて、ハミルトンがまっすぐユーインを見つめた。


「……ああ」


 ここで誤魔化すのは違う気がして、ユーインは素直に認めた。

 エマが好きだ。彼女に恋をしている。もう二度と会うことができないかもしれない、ほんの二か月も一緒にいなかった少女に、ユーインは焦がれているのだ。


「ユーインがそこまで大切に思う子に、私も会ってみたいな。薬の礼もしたいし。君が望むなら、私の命の恩人ということで国を挙げて捜索させることもできるよ」

「それは、やめてほしい」


 そんなことを、エマはきっと望まないだろう。

 ユーインとて、エマに対する感情を抜きにしても、エマにはきちんと礼をしたいとは思っている。もらいっぱなしではいられない。だけど、強引に探し出すのは違う気がするのだ。

 それなのにユーインの頭に、一瞬、ハミルトンの言う通りにすればまたエマに会えるかもしれないというずるい考えがよぎってしまって、彼はその考えを捨てるように頭を振った。――そのときだった。


「ユーイン‼」


 突然聞き覚えのある声が聞こえてきて、ユーインは目を見張った。

 ハッとして声のしたほう――窓を見やれば、緑色をした犬が窓ガラスをすり抜けて部屋に飛び込んできた。

 ユーインは目の前にハミルトンがいるのも忘れて、ガタンと椅子から立ち上がった。


「アーサー⁉」

「ユーイン、どうしたんだ?」


 唐突に立ち上がって声を上げたユーインにハミルトンが目をぱちくりとしばたたく。

 しかしユーインはそれどころではなかった。

 二度と会えないと思っていたエマの相棒の一人が、どうして目の前にいるのだろう。

 驚くユーインに、アーサーは再開の挨拶もなく叫んだ。


「お前、権力ってやつを持ってんだろ! エマを助けてくれ‼」


 まるで要領を得ないアーサーの要求だが、エマを助けろという単語にユーインは息を呑む。


「ユーイン?」

「……ハミルトン、少し待っていてほしい。後で説明するから」


 アーサーがわざわざユーインのそばに来て助けを求めるくらいだ。きっとエマに何かあったに違いない。だが、状況を確認しないことには動けない。

 ユーインは何度か深呼吸をして心を落ち着けると、アーサーに説明を求めた。

 アーサーが焦れた様子でエマが彼女の叔父に捕らえられたこと、そしてエマの両親の死が、実はその叔父が計画したことであることなどを述べる。


 ユーインは瞠目し、そしてぎゅっと拳を握り締めた。

 会ったこともないエマの叔父という男に殺意を抱きそうになる。

 怒りのままに今すぐ飛び出していきたい衝動を抑え込んで、ユーインは今どう動くのが最善かを瞬時に頭の中ではじき出した。ユーインが自由にエマを助けに行くためにすること、それは――


「ハミルトン、今から説明することは、とても荒唐無稽な話になるが、真実だ。聞いてくれる?」


 エマを助けるために、薬をもたらした彼女に恩義を感じているこの王太子を味方につけるべきだ。

 ハミルトンの鶴の一声があるだけで、ユーインは非常に動きやすくなる。ユーインも、だてに権力の中枢で生きてきたわけではない。普段はどちらかと言えばのんびりしているタイプだが、権力というものをどう使うのが効率的であるかは、幼いころからの生活で自然と身についていた。


 虚空に向かって独り言を言っていたようにしか見えなかったユーインに驚いていたハミルトンは、ユーインの真剣な顔に表情を引き締めた。

 ユーインはベッドの横の椅子に座りなおし、エマに出会ってから薬を手に入れ戻ってくるまでの話をハミルトンに説明した。

 そして、ここにはエマの友人の妖精が一人いて、彼女が今どういう状況に置かれているのかも。


 ハミルトンは難しい顔で聞いていた。

 そしてしばらく黙り込むと、おもむろに顔を上げる。


「ユーイン。君の言うことを疑いたいわけじゃない。だが、無条件で信じられる話でもない」

「……わかっている。でも真実だ。そして俺は、エマを助けに行きたい」

「エマという子が薬をもたらしたのならば、彼女は私の命の恩人だ。彼女を助けることについても、もちろんやぶさかではないよ。でもね、私は立場上、それが真実かどうかを見極めなくてはいけない」


 そんな時間はないと言いかけたユーインをハミルトンは手で制して、内扉を指さした。寝室から続く扉の奥はハミルトンの私室だ。


「窓際の机の引き出しに紙が、そして机の上にはインクとペンがある。持ってきてくれるかい?」

「……わかった」


 ユーインは逸る気持ちを持て余して少しイラっとしたが、ハミルトンが意味もなくこんなことを命じるはずもないと自分に言い聞かせて、急いで紙とペンを持ってきた。

 ユーインは満足そうに頷くと、やおら虚空に向かっていった。


「アーサーだったね。残念ながら私には君の姿は見えない。だから、本当に君がそこにいるのなら、その紙に何か書いてくれるかい? それを証拠にしよう。ユーイン、これでいいかな?」

「ハミルトン……」

「急ぐのだろう? 確認が取れたら、私も一筆書かせてもらうよ。君が私の名代で、エマが私の命の恩人だとね。それがあれば動きやすいのだろう?」

「ああ!」


 ユーインはぱっと顔を輝かせて、アーサーを見た。

 アーサーがこくりと頷いて、サイドテーブルの上に置かれた紙に、前足二本で器用にペンを持ってこう書いた。


 ――王子様、あんたいいやつだな。俺はアーサーだ。


 ハミルトンが息をつめてその様子を見やる。彼の目にはペンがひとりでに動き文字を刻んでいるようにしか見えないだろう。ユーインがかつてそうだったように。

 ハミルトンはふっと笑って、見えないはずのアーサーに答えた。


「ありがとう善き隣人。……少し待っていてくれ」


 ハミルトンはベッドから起き上がり、インクとペンを持って続き扉の奥へ消えた。

 しばらくして、彼が正式な文書をしたためる際に使用している王家の紋章入りの紙に、ユーインがハミルトンの名代であること、エマが王太子の――ひいてはアンヴィル国にとっての恩人であることが丁寧にしたためられた文章と、彼のサインを入れて戻ってきた。


「持って行くといいよ。何かあればこれをブラクテン国の国王陛下に見せるといい」


 ブラクテン国とアンヴィル国は昔から国交が厚く、ハミルトンの祖母は現ブラクテン国王の叔母に当たる。つまり、両国の王同士が従兄弟の関係なのだ。そして王の姉を母に持つユーインにもそれが当てはまる。――ゆえに、個人的なやり取りでは、多少の無理もきく関係だった。

 ユーインはハミルトンの描いた書状を受け取り、アーサーに向き直った。


「では行こう、アーサー。急いで馬を――」

「んな悠長なことしてたら間に合わねえよ‼ ええっと……」


 アーサーは部屋の中をぐるりと見渡して、飾り棚に飾ってあったティーカップに目を止める。


「あれ借りるぜ!」


 いうや否や、アーサーは棚からいくつものティーカップを運び出し、絨毯の上に円を描くように並べはじめた。

 ティーカップが空を飛んで移動しているようにしか見えないハミルトンが、ほぅっと感嘆するように息を吐く。


「すごいね。まるでおとぎ話だ。それで、アーサーは何をしているのかな?」

「俺にもわからない……」


 ハミルトンと二人、絨毯の上にティーカップが並べられていくのを首をひねりながら見つめる。

 すると、アーサーが振り返って叫んだ。


「なにぼさっとしてやがる! 行くぞユーイン!」

「え? あ……え?」


 状況を飲み込めないユーインを急き立てて、アーサーがティーカップで作った円の中に入るように促した。


「ユーイン、彼はなんて?」

「あの中に入れって」

「早くしろ!」

「わ、わかった」


 まったく理解できないまま、ユーインがティーカップの円の中に足を踏み入れた直後だった。

 目の前が真っ白に塗りつぶされて、ユーインを取り巻く景色は一変した。

 城の部屋に残されたハミルトンが、突然消えたユーインに驚愕した後で手を叩いて興奮していることなど知るよしもない彼は、一変した景色を茫然としながらぐるりと一周見渡した。


 足元には短い草が生えそろっていて、緩やかな丘の上には、たわわに赤い果実を実らせるリンゴの巨木があった。

 さわさわと風に乗って聞こえてくるのは小さな笑い声で、おそらくそれが妖精のものであることはユーインにもなんとなくわかる。

 見上げれば、鳥や羊など、何とも妙な形をした雲が漂う青空が広がっていた。


「ユーイン! こっちだ!」


 少し離れたところでアーサーが呼んでいる。

 ユーインはハッと我に返った。

 そうだ、のんきに景色を眺めている暇はない。ここがどこかなんてどうでもいいのだ。エマが大好きなアーサーが、エマを助けるのに無意味なことをするはずがないからである。

 ユーインは急いでアーサーを追いかけた。


 アーサーはすごい勢いで一方向に向かって飛んでいく。

 走って追いかけているうちに、今度はユーインの目の前にレモンの木が見えた。こちらも黄色く色づいた果実が、たわわに実っている。

 アーサーはレモンの木を目指して飛んでいるようだった。

 アーサーを追ってレモンの木の根元にたどり着いたユーインは、根元に、白い花を咲かせるシロツメクサが円を描いて生えているのが見えた。

 アーサーは、この円の中に入れと言う。


(さっきもティーカップで作られた円の中に入って景色が変わった。まさかこれは、妖精の出入り口なのか?)


 予測でしかなかったが、なんとなくそんな気がする。

 すると、もしかしなくてもこの先にエマがいるのかもしれない。


(エマ……!)


 ユーインがシロツメクサで描かれた円に足を踏み入れようとした時だった。


「待て」


 突如背後から声がして、ユーインは飛び上がった。

 何の気配も感じなかった。

 驚いて振り返れば、そこに立っていたのは、薄く緑が透けるような不思議な色合いのプラチナブロンドに、抜けるような白い肌。尖った耳。そして長いまつげに覆われたアーモンド形の双眸の恐ろしくきれいな青年だった。妖精王オーベロンである。

 唐突な妖精王の登場に言葉を失うユーインに向かって、妖精王は青いガラスの小さな瓶を差し出した。


「持って行け。これはティアからだ」


 ティアという名前がピンと来なかったが、アーサーが妖精女王のことだと教えてくれた。オーベロンは妻のティターニアをティアと呼んでいるようだ。


「これは?」


 瓶を受け取りながら訊ねれば、オーベロンがゆるく口端を持ち上げる。


「妖精の自白剤だ。それを使えば、三日三晩、過去に犯した罪をひたすらしゃべり続ける。それがあれば便利だろうとティアが言った。……ティアからの伝言だ。『あの娘のおかげで夫が帰ってきたのでな、礼だ。借りは返す主義なのじゃ』だそうだ。私もまあ、あの娘のおかげでティアと仲直りができた。ゆえにこれは私から。連れていけ」


 オーベロンが背後を振り返ると、何もなかった虚空に、大勢の妖精たちが現れる。

 ユーインはぎゅっと小瓶を握り締めて、オーベロンに礼を言うと、アーサーと大勢の妖精たちとともに、シロツメクサの描く円に飛び込んだ。


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