火事の真相 3
アンヴィル国王都ブラハに戻ったユーインは、公爵家で身支度を整えてその日のうちに王城に出向いた。
薬を探して旅に出ると言って飛び出したユーインを家族はとても心配していて、安否確認の手紙一つよこさなかった彼に怒ったが、薬を持ち帰ったことを告げると、すぐに城に向かうようにと言ったからだ。
もちろん、家族に言われなくともユーインはすぐに城へ向かうつもりだった。
父や兄から聞いた話では、王太子の病状はまったくと言っていいほどよくなっていなかったからだ。
今では一日に一時間か二時間ほどしか起きていられないと言う。
ユーインが城に向かうと、事前に父が連絡を入れてくれていたのだろう、すぐに王太子の部屋に通された。
「やあ、ユーイン。旅に出たって聞いて心配していたんだよ」
王太子ハミルトンは、ベッドに横になったまま、やつれた顔をユーインに向けて小さく笑った。
(痩せたな……)
動かないから筋力が落ちたのか、それとも食事もろくに食べられないのか、ユーインの記憶にあるハミルトンよりも一回り小さくなったような錯覚を覚える。
ハミルトンの枕元に、一人の妖精が立っているのが見えた。
その妖精は長い黒髪の女の姿で、緑色の服に灰色のマントを羽織っていた。バンシーだ。
(彼女は死神ではなかったんだな)
エマに教えられなければ、ユーインは今も彼女のことを死神と勘違いしていただろう。
ユーインに憑りついていた死神がハミルトンに乗り移ったから彼が倒れたのだと。
まさか彼女がバンシーという妖精で、ユーインを加護していた存在だったなんて、今でも信じられない気持ちだ。
バンシーの雰囲気は暗く、とても誰かを守るような存在には見えないから。
(でも……ずっと守ってくれて、ありがとう)
真実を知ったから、ユーインは穏やかな気持ちでバンシーを見ることができた。
もしかしたらバンシーは、ユーインのかわりにハミルトンを守っていてくれたのではないかとすら思える。
ユーインは無意識のうちに中指にはめたオーベロンの指輪を撫でながら、そっとハミルトンに近づいた。
バンシーがちらりと顔を上げて、そしてまた視線をハミルトンに戻した。
「心配をかけてすまない、ハミルトン。薬を探しに行っていたんだ」
「うん、聞いたよ。私のために探してくれていたんだってね。そんなこと、しなくたって……っ」
言葉の途中でハミルトンが激しく咳き込みはじめた。
部屋の隅に控えていた侍医が慌てて駆けつけて、小さな水差しのようなものでハミルトンに何かを飲ませる。おそらく薬草を煮込んだシロップか何かなのだろう。咳き込んでいたハミルトンが、荒い息を繰り返しながら、ふうと息を吐いた。
「すまない。最近はあまり話さなくなったせいか、この調子なんだ」
それは話さなくなったのではなく病気が進行しているからではないのか。
ユーインがちらりと視線をやると、侍医がそっと目を伏せる。
(エマに帰れと言われて……よかった)
エマを心配して彼女に無理やりついて行っていたら、最悪の事態もあったかもしれないと、ユーインは今更ながらにゾッとした。
治りはしないが進行の緩やかな病だと聞いていたから安心していたが、誰も直せない病ということは、それだけ未知数な病ということだ。安心していいはずなかったのである。
ハミルトンの枕元に立っていたバンシーが、真っ赤な目をしてひっとしゃくりあげたのが見える。
よくわからないが、なんだか悪いことが起きそうな嫌な予感がして、ユーインは慌ててエルフの秘薬の入った瓶を取り出した。
「薬を持ってきたんだ」
「ああ、ありがとう」
「お待ちください!」
ハミルトンに薬を渡そうとしたところで、侍医から静止の声がかかる。
「まずはその薬が本当に薬なのか調べる必要があります!」
「そんなことを言ったって薬はこれだけしかない。それに呑気に調べていたらどのくらい時間がとられるかわからないだろう?」
「規則ですから!」
ユーインは舌打ちしたくなった。
侍医の言い分もわかる。王太子が口にするものは細心の注意を払う必要があるからだ。
ユーインはこれがエルフの秘薬で、どんな病も治す力があるものだと知っているけれど、それを彼らに説明する術はない。
どのような薬か、何で作られているのかなど質問をされても答えようがないのだ。
ユーインが唇をかんでいると、ハミルトンがそっと腕を伸ばして、ユーインの手に触れた。
「侍医。ユーインは私の従兄弟で親友だ。妙なものを持ってくるはずがない。そうだろう?」
「もちろんだ」
「ほら、ね」
「ですが殿下、もしものことがあったら……!」
その次に続く言葉を侍医は飲み込んだが、ユーインにはわかる。
ハミルトンに怪しげな薬を飲ませてもしものことがあれば、侍医はもとよりその一家郎党に至るまで罪を問われて最悪処刑されるだろう。よくて牢獄行きだ。
ハミルトンは少し考えて、小さく笑った。
「じゃあこうしよう。私と一緒に、ユーインもこの薬を飲むんだ。そうすればこの薬が無害なものだとわかるだろう? 私はね、薬の効果よりも、ユーインが一生懸命私のために薬を探してきてくれた気持ちが嬉しいんだ。無下にしたくないんだよ」
その言葉を聞いたユーインは、ハミルトンは半ば病の治癒を諦めているのだと知った。
ハミルトンは病が治るとは思っていない。ただ友人の気遣いを無駄にしたくない、ただそれだけなのだ。
(もう、期待もしていないんだな……)
ハミルトンは己の死を悟っているのかもしれない。
ユーインは侍医を振り返った。
(死なせてなるものか)
幼いころからともに育った大切な従兄弟で、友人。
ハミルトンはユーインにとっても、この国にとっても生きていなくてはいけない存在だ。
「侍医、俺も一緒に薬を飲む。それならいいだろう? 皿でもコップでも何でもいいから持ってきてくれ」
侍医はそれでも渋ったが、ハミルトンもユーインも絶対に引かないとわかると、諦めたように嘆息した。
どちらにせよ、このままハミルトンの病が治せなければ侍医は責任を取らされる。さすがに死罪は免れるだろうが、医師免許は剥奪されるだろう。一家で路頭に迷うことになるのだ。
それならば、この薬に賭けてもいいのかもしれないという思いが働いたのかもしれない。
メイドが小皿を持ってくると、ユーインはそこにエルフの秘薬を少量垂らした。
そして瓶の方をハミルトンに差し出す。
「俺から」
ユーインは小皿に落とした薬をくっと煽った。
薬は蜂蜜のように濃厚な甘みがあった。ただ、嫌な甘みじゃない。だが、ユーインにはどこも悪いところがなかったのだろう、特に変化は見られなかった。
ハミルトンはユーインが薬を飲み干したのを見て、小瓶に口をつけた。
期待など何もしていない、ただ穏やかな笑顔でハミルトンは薬を煽る。
こくりと喉が嚥下して、「甘いね」とどこか楽しそうに笑うハミルトンが、驚いたように目を見張ったのはそれから数秒後のことだった。
「頭が痛くない」
ぽつりと、まるでその事実を自分の発した言葉で認識し戸惑うような顔をしながら、ハミルトンが頭に触れる。
「……息も苦しくない。胸も痛くない」
驚き戸惑い茫然として、ハミルトンはゆっくりとベッドに上体を起こした。
クッションの支えがなければ体を起こしているのもつらかったハミルトンが、自分の力だけで体を起こして、その後、ベッドを降りる。
侍医がハミルトン以上に驚愕して息を呑んだ。
そしてそれは、ユーインもだった。
エルフの秘薬はどんな病に効くとは聞いていた。だから、何かしらの効果はあるだろうと信じてはいた。しかしこうもすぐに変化が現れると誰が思うだろう。
(まるで魔法にでもかけられたみたいだ……)
いや、まさしく魔法なのかもしれない。
妖精だけが使える、特別な魔法。
妖精を見る力を失って、人々が決して手にすることはできなくなった妖精の恩恵。
「へ、へ、陛下をお呼びしてきます‼」
侍医が叫んで、転がるような足取りで部屋を飛び出し走っていった。
いつの間にか、ベッドの枕元に立っていた緑色の服を着た女の妖精が消えている。
もしかしたら、あれは死神か何かだったのではなかろうかとユーインが思ったとき、ハミルトンがベッドの縁に座って、やおら吹き出し笑い出した。
「信じられないよ、ユーイン! 体がとっても軽いんだ!」
笑いながら――ハミルトンは泣いていた。
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