エルフの里 2
ムーンストーンをかざすと、いつものように、涙型の尖った先から一本の青白い光が伸びた。
それは木と木の間をまっすぐに進み、追いかけてみるとある一点でぷつりと途切れている。
「あったわ!」
「え?」
ムーンストーンの光が途切れた先を指さしてエマが言えば、ユーインが首をひねった。
無理もない。
エマでさえ、光が途切れた先にあるのは一本の木しか見えない。
しかし、妖精が目隠しをすることはよくあることなので、おそらく間違いないはずだ。
「待って、エマ、俺にはただの木にしか見えないんだけど」
「大丈夫よ。ね、アーサー、ポリー。ここでしょ?」
「そうだね、ここみたいだね」
「木に触れてみな、入れるはずだぜ」
「ユーイン、やっぱりあっているわ。でも、ムーンストーンを持っていないと、人間であるわたしやあなたは入れるかどうかわからないから、手をつないでいきましょう」
ムーンストーンはエマが握りしめている。エマがムーンストーンを持っていない方の手を差し出すと、ユーインがぎゅっとその手を握り締めた。
「わかった、信じるよ」
「ええ。きっと大丈夫だわ」
手をつないで、光が途切れた先の木へ向かう。
そして、そっと木の肌に手を触れたときだった。
「わ!」
あまりの眩しさに、エマは思わず目を閉じた。
木に触れた瞬間に視界に広がったのは、まるで幾重にも重なりあう光のカーテンのようだった。
そのカーテンを押し開けるようにして先に進むと、突如として景色が一変する。
そこは、それほど広くない集落だった。
丸く開かれた場所には、細い川が流れていて、少し小高くなっている場所では水車がカラカラと回っている。
足元には色とりどりの花が咲き乱れ、秋だと言うのに、集落を囲うように植えられている月桂樹には黄色い花が咲いていた。
「ここは……すごいね」
「よかった、あなたにも見えるのね」
「うん。でも……妖精がいるのかな? 残念ながら、俺には無人の村に見える」
「いるわ。エルフがたくさん」
エルフはあまり人と姿が変わらない。身長も同じくらいだ。強いて言うなら、みんなとても顔立ちが整っていて、耳がぴんと尖っている。白い肌に、緑金色の髪をしていた。
「そうなんだ。……妖精の姿が見えないのは残念だけど、こればかりは仕方ないね。でも、とても綺麗なところだ。この景色が見られただけでも得をした気分だよ」
ユーインはそう言って、眩しいものを見るように目を細めて周囲を見渡した。
細い川の周りには蛍も飛び交っている。
まるで季節感のない場所だが、それがどうしてか調和していて、だからこそ見るものを圧倒させずにはいられないのだろう。
手を離すタイミングを見失って、エマはユーインと手をつないだまま、近くにいたエルフの青年に声をかけた。
「妖精女王ティターニアの伝言を持ってきました。妖精王オーベロンはいますか?」
「おや、人間。こんなところに来るなんて珍しい。妖精王は長老宅だよ。ほら、あのサンザシの大きな木があるところがそれさ」
エルフの指した方を見れば、赤い実をたわわに実らせたサンザシの木があった。
エマはエルフに礼を言って、ユーインとアーサー、ポリーとともに長老宅へ向かった。
すれ違うエルフたちは皆、物珍しそうにエマとユーインを見るが、彼らはもともと穏やかな性格なのだろう、咎める人は誰もいない。
アーサーなどはすれ違うエルフに向かって「いよぅ、邪魔するぜ!」と陽気に声をかけては、彼らを笑わせていた。
長老宅に行くと、庭先で一人の青年エルフがベンチに腰かけて竪琴をつま弾いていた。
演奏中に邪魔をするのも申し訳ないなと思っていると、彼は弦から指を離して顔を上げる。
「どうした、人間」
彼はどこかほかのエルフと違っていた。
髪の色も緑金色ではなく、角度によって薄く緑が透ける程度のプラチナブロンドだ。長いまつげに覆われたアーモンド形の瞳に、柔らかく弧を描く眉。男の人なのはわかるが、中世的な雰囲気を持ったとても綺麗なエルフだった。
「邪魔してごめんなさい。わたし、妖精女王ティターニアの伝言を持ってきたんです。妖精王オーベロンがここにいらっしゃるって聞いたんですけど……」
「いかにも、オーベロンはこの私だ。ティアの伝言だって?」
オーベロンは竪琴を横に置くと、愉快そうに口端を持ち上げた。
「なるほど、あの頑固者はようやく謝る気になったらしい」
「ええっと……」
ティターニアの謝罪を心待ちにしているような顔をされて、エマはちょっと困ってしまった。
「エマ、どうしたの?」
妖精の姿が見えないユーインは、エマの困惑顔を見て、何か問題が起こったのではないかと心配したようだ。
「なんでもないのよ、ユーイン」
仕方ない。誤魔化すわけにも嘘を言うわけにもいかないので、ここは素直に伝言を告げるべきだろう。
「その、謝るとかじゃなくて……ええっと、その、妖精女王から、あなたに戻ってくるよう告げるように言われてきたんです」
するとオーベロンは片眉を跳ね上げた。
「謝罪じゃないのか?」
「その……それは預かって来ていません」
適当な鵜を祖つくわけにもいかないのでエマが申し訳なさそうに告げると、オーベロンはむっつりと口を曲げた。
妖精女王と妖精王の喧嘩の原因が何で、どちらが悪いのかはエマにはわからないが、この表情を見るにオーベロンはティターニアの方が悪いと思っているようだ。
(困ったわね。これは素直に帰ってくれそうもないわ。『わらわが戻れと言っておったと伝えれば、夫もいい加減戻ってくる気になるはずじゃ。どうせ意地を張って戻って来られぬだけだろうて』なんて妖精女王は言っていたけど、全然じゃないの)
オーベロンをティターニアのもとに戻らせるのが彼女との交換条件だ。オーベロンが戻らなければ彼女の怒りを買いかねない。
「あの、夫婦のことはよくわかりませんけれど、一度戻って話し合ったらいかがでしょうか……?」
「ふんっ! あの頑固者が話し合いだって? 頭ごなしに私が悪いと言われるのがオチだ!」
(ああ……!)
頭を抱えるエマの肩に乗っていたポリーが、仕方がないねえと笑いながらオーベロンに話しかけた。
「妖精王。ここにいるエマと隣のユーインはね、エルフの秘薬を探しているんだよ。だからここ、エルフの里に来たかったのさ。そしてこの場所を教える代わりに、妖精女王から妖精王、あんたを連れ戻しておくれと言われたんだよ。これであんたがわからなければ、どうなるかわかるだろう?」
「ティアのことだ、癇癪を起すだろうな」
「それだけならまだいいがね」
「……ふむ」
妖精王はどうやら話の通じる相手らしい。
しなやかな指で顎を撫でながら考え込む。
「そなたの話は理解した。だが、その願いを聞いてやったところで、私には何の得もない。違うか?」
「そ、それは確かに……」
オーベロンの言う通りだ。
妖精女王のもとに戻れというのも、エルフの秘薬が欲しいというのもエマの事情である。
「私も人の子が短気なティアにいじめられるのは本意ではないがね、さすがにただ願い事を聞いてやるだけというのも気に入らない」
オーベロンはトントンと顎を叩きながら言った。
「私はティアと違って親切な妖精だ。ティアは短気で癇癪持ちだが、私はもちろん違う。そうだろう?」
「ええっと……はい」
何が言いたいのだろうかと思いながら、エマはとりあえず頷いておく。ここでオーベロンの機嫌を損ねるのは得策ではない。
オーベロンはにやりと笑う。
「そこで、だ。私の願いを一つ叶えてくれたら、そなたの望み通り、私はティアのもとに戻り、ついでにエルフの秘薬とやらも作ってやってもいいのだが、どうする?」
「え⁉ いいんですか⁉」
「もちろんだ」
オーベロンはとても綺麗な微笑みで頷いた。
「おいエマ、妖精との取引は慎重にしておけよ。無理難題を吹っ掛けられたら大変な目にあうぜ?」
アーサーが心配そうな声でエマの耳元でささやく。
しかし、せっかく妖精王が取引をする気になったのに、ここで渋って気が変わられては大変だ。
少々不安ではあるが、オーベロンとの取引に応じるしかあるまい。
「わかりました、何をすればいいですか?」
「エマ!」
アーサーが、安請け合いするなと口で服の襟を引っ張るが、エマは彼の頭をそっと撫でて笑う。
「アーサー、大丈夫よ」
「何を根拠にそんなことを言うんだ」
「アーサー、諦めな。こういうときのエマは何を言っても無駄さね」
アーサーはむうっと唸って、渋々エマの襟から口を話した。
「賢明な判断だな」
オーベロンは満足そうだ。
「人間の娘。そなた、ボギーをシーリー・コートに戻す力を持っているのだろう?」
エマはぱちぱちと目をしばたたいた。
「どうしてそれを……」
「妖精をはっきりと見ることができる人間の中には、稀に黒く染まった妖精を浄化する力を持つものが現れる。私は情報通でね。今の世に、その人間が生まれたことももちろん知っている。……滅多に人になつかないクー・シー族がそれだけなついているのだ、そなたの魂は特別なのだろうと思ったのだが、やはりな」
エマは思わず自分の手のひらを見つめた。
てっきり、妖精が見える人間は全員エマと同じことができると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
オーベロンは、柔らかく目を細めてエマを見つめる。
「我ら妖精の愛し子。そなたには、ボギーとなった同胞を元に戻してほしいのだ」
「ほら見ろ、無理難題だったじゃねーか!」
アーサーが大声で叫んだ。
「どういうこと?」
「どうもこうもあるか! ボギーになった同胞ってことは、ダークエルフじゃねーか! 普通のボギーとは全然違うマジでやばい存在だぞ! エルフの強大な力を持ったまま邪悪化したおっかねーやつだ‼ 悪いことは言わねえから断れ! いくら何でも分が悪い‼」
「おっと、そこのクー・シー族。そこの娘は、私との取引に応じたのだ。今更やめるとは言わせぬよ」
アーサーはぐっと唸る。
(そんなに危険な存在なの……?)
エルフ自体が人里から離れて生活しているため、エマはエルフはもとよりダークエルフも見たことがない。それがどれだけ危険な存在かは想像もできなかった。
「だがまあ、私も鬼ではない」
妖精王はちらりとエマの隣のユーインに視線を向ける。
「そこの……バンシーの加護を持った男は、実に中途半端だな。だがまあ、我らを見る資格がないわけでもない。その男がいれば、同胞を元に戻すのに多少なりとも役立つだろう」
オーベロンは、自身の親指にはまっていた指輪を抜き取るとエマに渡す。
「それをその男の指にはめてやるといい。妖精の存在を感じ取れるようになるはずだ」
「いいんですか?」
エマは驚いた。まさか妖精王が自身の持ち物を人に下げ渡すとは思わなかったからだ。
「構わぬよ。その指輪より、同胞の方が大事だからな」
オーベロンは、ダークエルフになった仲間のことをよほど気にかけているようだ。
エマは頷き、ユーインの左手を取った。
「どうしたの?」
「ちょっと待ってね」
ユーインにはオーベロンの指輪は見えないらしい。不思議そうな顔をして、エマを見下ろす。
エマはユーインの親指にオーベロンの指輪をはめた。
オーベロンの指の方が細くしなやかだったため、もしかしたらサイズが合わないかと思ったが、ユーインの指にはめようとすると、不思議と指輪の方が彼の指のサイズに大きさを調整した。さすが妖精の指輪というところだろうか。
「……え?」
「ユーイン、見える? アーサーに、ポリー。そして妖精王よ」
指輪がぴたりとはまった瞬間、ユーインは大きく目を見開いた。
「……犬が飛んでる」
「妖精だバカ!」
アーサーがすかさずかみつくと、ユーインはぱちぱちと目をしばたたいた。
「あ、ああ、ごめん。緑色の犬なんてはじめてみたから、驚いて……」
「だから妖精だっつってんだろかみつくぞ!」
「ごめん、アーサー。わかっているよ、君は妖精だ。クー・シーという妖精なんだよね」
会話が成立しているところを見ると、声も問題なく聞こえているようである。
エマはぎゃんぎゃん騒いでいるアーサーと、それを必死でなだめているユーインに笑って、オーベロンに向き直った。
「ありがとうございます、妖精王」
オーベロンが笑う。
「その指輪があれば、そなたにも妖精を見ることができるだろう。では人間の娘、頼んだぞ。同胞は、山を下りた先の村の周辺にいるはずだ。気配がする」
(つまりダークエルフは人のそばまで下りているってこと? 大変じゃない!)
アーサーによると、ダークエルフは普通のボギーとは比べ物にならないほどの力を持っているという。そんな存在が人に害を及ぼしたりしたら、それこそ命まで取られてしまうかもしれない。
「ユーイン、何があったのかは歩きながら話すわ。急がないと!」
エマはユーインの手を掴むと、慌ててエルフの里を飛び出した。
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