エルフの里 1

 アリス山のカルデラ湖で妖精女王ティターニアと会ってから一か月。


 やっと、と言っていいのか、もう、と言っていいのか――、エマたちはムーンストーンの指し示す終着点を見つけることができた。

 長かったような短かったようなわからないユーインとの旅も、もうじき終わるだろう。


 ムーンストーンの光は、夜、月光にかざしている間しか出ないので難儀したが、どうやらこの光は、アンヴィル国とブラクテン国の国境付近の山を指していたようだ。

 あの山のどこかに、エルフの暮らす里があるはずである。


 エマたちは山に一番近い村で一晩過ごし、準備を整えて山へ向かった。

 アリス山と比べると、それほど高い山ではない。

 なだらかな丘ほどの高さの山が、いくつも重なり合うようにして横に広がっていた。


 この一か月で、アンヴィル国はすっかり寒くなった。

 目の前に広がる山の葉は赤や黄色に色づいてとても綺麗だが、晩秋のこの時期は朝晩がとても冷え込むので、しっかり防寒対策をして向かわなくてはならない。

 幸いにして、行く先々でエマの作ったレース編みを売りさばいてきたので、お金はまったく問題なかった。

 というより、ユーインのおかげで、いつも以上に高く売れたのだ。

 お金持ちが住むような大きな町では、いつもの倍の値段をつけても買ってくれた人もいた。

 宿の軒先を借りて店を広げていると、ユーインの顔見たさにお金持ちのご婦人方が集まってくるのである。


(……商売に顔が必要だなんて知らなかったわ)


 ユーインに店番をさせておけば恐ろしく売れ行きがいいのだ。そして値を吊り上げていてもよく売れる。アーサーが試しに高値を付けておけと言ったのでそうしたが、あれは正解だった。

 おかげで、エマの懐は今とっても暖かいのだ。

 綿入りの温かく分厚いコートを着込んで、エマとユーインは山に入って少ししたところで火を焚き、夜を待つことにした。ここからは夜、ムーンストーンの光が指す方向を確かめながら進むのである。


「アーサー、キノコを採りに行こう」


 ユーインが彼には見えないアーサーに向かって呼びかけた。

 エマが妖精を見えると教えてから一か月。

 ユーインは彼なりにアーサーとポリーとの付き合い方を見出したようだ。

 ユーインが呼びかけると、アーサーが器用に地面に文字をかく。


「仕方ねーな」


 その文字を見て、エマは笑った。

 憎まれ口をたたきながらも、アーサーなりにユーインと付き合おうとしているのである。

 アーサーはエマの荷物の中からハンカチを一枚口にくわえると、そのままふわりと山奥に向かって飛んで行った。ハンカチでユーインを先導しているのだ。


「エマ、行ってくるね」

「ええ。毒キノコと間違えないでね」

「大丈夫、アーサーがいるからね!」


 ユーインがひらひらと手を振って、アーサーを――というより彼のくわえたハンカチを追いかけていく。


「本当、面白い男だねえ。子供ならまだしも、大人になって妖精を信じるなんて」

「本当ね」


 見えない人間は、真っ向から妖精の存在を否定する。

 気味が悪いからだ。

 注意してよく見れば、見えなくとも妖精の気配や、彼らが何かをした後を見ることはできると言うのに、そのようなものは全部見ないふりをする。

 そのくせ、何か不都合が怒ると、妖精を怒らせた、精霊を怒らせたと言っては、神殿に駆け込む。

 妖精を鬼やゴーストと同一視して、神父に祈祷してほしいと頼むのだ。


 妖精の中には確かに悪さをする妖精もいるし、ボギーに変質した妖精のように危険なものもいるけれど、妖精と鬼やゴーストは似て非なるものなのに、人々はそれをわからない。

 妖精が見えなくなったからこそ、人々は妖精と共存することを忘れ去ってしまったのだろう。


「ユーインは不思議だわ」


 ユーインは妖精に好かれる体質だ。

 幼いころにはっきりではなくとも妖精の姿を見ていたようだし、バンシーの加護も持っている。

 しかし、だからと言って、エマのように妖精と話ができるわけでも、はっきりとその姿を見ることができるわけでもないのだ。その状態で、エマの話を、よく信じてくれたと思う。


(でもだからこそ、アーサーが心を許したんだわ)


 エマの言葉を信じ、見えないアーサーやポリーを感じ取ろうとするユーインは、彼らにとっても特別たりえるのだろう。見えないものを信じられる彼の純粋さに、口では文句を言いつつも、アーサーすらなんだかんだなついているように見える。


「エルフの秘薬が手に入ったらどうするんだい?」

「もちろんお別れよ。彼には彼の使命があるもの」

「寂しくなるよ」

「……そうね」


 寂しくなる。その通りだ。

この一か月半、ユーインはエマの内面に入り込みすぎた。彼のそばは居心地がよくて、温かくて、安心できた。隣から彼がいなくなると思うだけでとても寂しい。

 優しいユーインは、側にいてほしいと言えば、一緒に旅を続けてくれるかもしれない。

 でもダメだ。

 ユーインは公爵家の子息なのだ。

 薬を届け、王太子が快癒したとしても、自由が許される身分ではない。

 エマの我儘でユーインを困らせてはいけないのだ。

 そして何より、これ以上ユーインのそばにいると、本当に離れられなくなりそうで、エマは少し怖かった。

 このまま依存してしまいそうな気がするから。


 ――エマは、誰かに甘えて寄り掛かってはいけない。


 ロイを傷つけたエマにはそんな甘えは許されないのだと、自分を戒めておかなくては、エマの中の寂しがりな自分がユーインに縋り付いてしまいそうだ。


「アーサーが一緒だし今日はキノコが食べられるかしらね。鍋も調達してきたし、夕食はキノコ汁でも作ろうかしら」

「そうだねえ。三日前に雷が鳴ったから、キノコはたくさん採れるだろうよ」

「雷とキノコに関係があるの?」

「もちろんさね。妖精の間じゃ有名だよ」

「へえ……」


 本当にポリーは物知りだ。

 火に鍋をかけて湯を沸かしながら待っていると、ハンカチをくわえたアーサーと、キノコをたくさん腕に抱えたユーインが戻ってきた。ポリーの予言通り、たくさん採れたようだ。


「アーサーはすごいね。つぎつぎにキノコを見つけるんだよ」

「ふんっ、当たり前だろ!」

「威張るんじゃないよ。どうせ山の中の妖精にキノコが生えている場所を教えてもらったんだろう?」

「うっせーぞポリーばばあ!」

「誰がばばあだって⁉」


 アーサーがくわえていたハンカチをぶんぶん振り回して怒りだしたので、ユーインが目を丸くしたあとで、不安そうな顔をしてエマを見る。


「えっと、何か怒らせたかな?」

「違うのよ。ポリーとちょっと言い争っているだけ。放っておいていいわ。それより、本当にたくさん採れたのね。キノコ汁にしようと思っていたんだけど、大きいのは焼いて食べましょうか」


 エマが塩と胡椒を取り出しながら言うと、ユーインがそれはいいねと笑う。

 キノコを焼くのはユーインに任せることにして、エマはキノコ汁の準備に取りかかった。

 近くの村で川魚の干物をいくつか仕入れていたので、それで出汁を取って、ざっと洗った後で食べやすいサイズに割いたキノコを入れ、塩で味を調える。魚の出汁がよく出ていて、なかなかの出来栄えだ。


「エマは伯爵令嬢だったのに、料理が上手だよね」

「そんなことはないわ。最初は本当に失敗ばっかりで、ポリーに教わりながら少しずつ覚えたの。今でも簡単なものしかできないのよ」


 料理どころか、最初はお茶すらろくに入れられなかった。

 本当に何もできなくて、情けなくて、泣きそうになった日も数えきれないほどにある。

 歩きなれていないので、少し歩けば足はマメだらけになるし、何度もくじけそうになった。

 アーサーもポリーも、時間が経てばロイの方から寂しくなって現れるから、どこか住みやすい場所を見つけて定住すればいいと言ってくれたけれど、やっぱりそれは違うと思うから――、ロイに会わなくてはと、謝らなくてはと、その思いだけで旅を続けてきたのだ。

 おかげで少しは旅に慣れてきたし、簡単な料理もできるようになった。

最初は一時間歩くのすらつらかったのに、今では長時間歩くことだってできる。


「そういうユーインだって、会った頃と比べたらかなり旅に慣れてきた気がするわ」

「ああ、確かにね。旅と言ったら馬車を使って当たり前に宿をとるものだと思っていたけど、君のおかげで荷馬車にも野宿にも慣れたよ。食べられるキノコも覚えたし、木に登って木の実もとれるようになった。あとは料理を覚えたら完璧だと思わない?」


 それは果たして公爵子息としては歓迎されるべきスキルなのかどうかはわからないけれど、本人が満足そうなので深く突っ込まないことにする。

 さきほどキノコを小枝に刺していく手つきを見ていたが、ユーインは器用そうなので、料理くらいあっという間に覚えそうだ。

 焼いたキノコと、キノコ汁、それから村で仕入れたパンと燻製肉で早い夕食を取る。


「今更だけど、アーサーとポリーってどのくらいの大きさなの?」

「アーサーはこのくらい、ポリーはこのくらいよ」


 エマが両手を使ってアーサーとポリーの大きさを教えると、ユーインはアーサーたちに準備した夕食を見て納得したように頷いた。


「だからあんなに少ないのか」

「というより、妖精は別に食べなくても生きていけるみたいなのよ。ただ、食べることが好きなだけ。だからアーサーなんかは気が乗ればすっごくたくさん食べるの。あの小さな体のどこにそんなに入るのかしらって思うくらい」

「俺は本当は大きいって言ってるだろ!」

「ええ、そうだったわね。……ああ、今、アーサーが本当の姿は大きいんだって文句を言ったのよ」

「本当の姿?」

「二人とも変身が得意だから、普段は変身している仮の姿なの。本当の姿はわたしも見たことがないのよ」

「妖精って面白いね」

「そうね。とっても面白いわ」


 ユーインも、妖精の姿が見えればよかったのにとエマは思う。だが、そんなこと、ユーインが一番思っているだろうから口にはしない。

 アーサーやポリーの姿を探そうと視線を動かすユーインは、彼らの姿を直接見て話したいのだろうとわかるから。

 夕食を終えて後片付けをした後で、エマたちは空に月が輝くその時を待つことにした。

 アーサーは食後のデザートだと言わんばかりにアーモンドをかじっている。


 木々の合間から見える空は藍色に染まり、やがて、空にユーインと同じ髪色の綺麗な月が姿を現した。



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