エマの過去 2
エマは血の気が引く思いだった。
「エマ……。今、君の周りがキラキラと光っていたよ。まるで君の周りにだけ星屑が落ちてきたみたいだった。それに……俺の空耳でなければ、君は今、誰かと話をしていなかったかな」
ユーインのこの言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になって、逃げ場もないのに「逃げなければ」という思いに駆られてしまった。
きっとユーインも、エマのことを気持ちの悪い女の子だと思っただろう。
使用人や親戚がそう言ったように、頭のおかしい子だと。
変わった子だと有名だったエマには、人間の友達がいなかった。
エマのことを手放しで愛してくれた人間は両親だけ。
あとはみんなエマのことを気味の悪い子だと言い、遠巻きにした。
両親の手前、使用人はエマに親切だったが、彼らが陰口をたたいていたことをエマは知っている。
だからエマは、正直、人と深くかかわることが怖い。
嫌われるのが怖い。
気味悪がられるのが怖い。
だから慎重に、おかしな子だと思われないように気を付けて生きてきた。
それなのに――
(見られた……)
妖精はエマにとって大切なお友達だ。
特にエマが小さいころから一緒にいてくれるアーサーやポリー、そして今はいない彼は、エマのかけがえのない家族でもある。
ゆえにエマは妖精が見えることを嫌だと思ったことはない。
ただ、それを知られるのが怖いのだ。
「エマ!」
湖の中であてもなく逃げようとしたエマは、あっけないほど簡単にユーインにつかまってしまった。
背後から抱きしめられて、閉じ込められる。
強張った肩をなだめるように、優しく引き寄せられて、ユーインが耳にささやいた。
「待ってくれ。行かないで」
それは、拒絶の言葉ではなかった。
エマが恐れる、突き放した声でもない。
恐る恐る振り返ると、ユーインの綺麗な青い瞳がまっすぐにこちらを見下ろしていた。
そこには拒絶も侮蔑も嫌悪も――どんな負の感情もない。
強張っていた体から力が抜けて、そのせいか軽くよろめいてしまったエマを、ユーインがしっかりと抱きしめる。
しばらく湖の中にいたから体はすっかり冷えていて、服越しに伝わるユーインの体温がとても熱く感じられた。
どうしてだろう、その熱が、心地いい。
聞こえてくる少し早い鼓動は、自分のものだろうか、それとも彼のものだろうか。
「……ごめん、言いたくないならいいんだ。俺の目の錯覚かもしれないし」
まるで逃がすまいとでもいうようにエマをきつく抱きしめるユーインが、後悔をにじませた声で言った。
「ただ、俺の目には君がとてもきらきらと輝いて見えて、まるで……そう、まるでその光をまとって、そのままどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかと……エマは人ではなくてもしかしたら妖精で、妖精の世界に帰ってしまうんじゃないかって、そんな風に思ってしまったんだ。君がいなくなってしまうんじゃないかって……」
「……わたしは人間よ」
どうしてそんな勘違いをしたのだろうかと、少しだけおかしくなる。そして笑えることに、自分自身が驚いた。
ユーインはエマの秘密を知っても拒絶しない。確証はないけれど、漠然とそう思う。
この人なら信じられるのではないか、と。
おかしなものだ。ユーインと出会ってまだ二週間ほどしかたっていないと言うのに。
「妖精の世界になんて行かないわ」
「うん。……それならいいんだ」
「どこにも行かない」
「うん……」
ユーインがそっとエマの髪を撫でる。
その手がとても優しくて、エマがうっとりと目を閉じかけたときだった。
「おい! いつまでくっついてやがるんだ! エマから離れろよ‼」
「これ、アーサー! およし! せっかくいい雰囲気だったのに!」
「…………」
エマはユーインの腕の中でボッと赤くなった。
そして、自分の今の状況にあわあわしはじめる。
(な、な、な、なんでわたしユーインに抱きしめられてるの!)
いや、わかっていたことだが、安心して身を預けていたなんてどうかしていた。恥ずかしすぎる。
エマが急に赤くなっておろおろしはじめたことに触発されてか、ユーインまで赤くなった。
「い、いつまでもここにいたら風邪を引くね! ほら、火のそばに戻ろう」
「そ、そうね! 風邪を引いたら大変だもの!」
何故か言い訳じみた受け答えになってしまった。
ユーインが手を引いてくれて、ゆっくりとエマは岸へ向かって歩き出す。
見あげれば、ユーインの耳まで赤くなっていて、エマはますます恥ずかしくなった。
この沈黙もむずむずして気まずすぎる。
「も、もう……わたしが、誰と話していたのかって聞かないの?」
「君は人間だ。人間で、俺の前から消えたりしない。それだけわかれば充分だよ。……もし君が、俺の見えていない何かが見えるのだとしても、いなくならないのならそれでいい」
その答えに、ユーインは薄々、人には見えない何かと会話をしていたのだと気づいていることを悟った。
(やっぱり、話したほうがいいのかしら……)
いつものエマなら、こんな判断はしなかっただろう。
人からの拒絶を恐れて、必死に誤魔化そうとしたに違いない。
でもユーインは、やっぱりほかの人と違って信じてくれるような気がして――話してみたいと、思ってしまった。
もしかしたらエマは、誰にも言えない、言っても信じてはもらえないこの秘密を、誰かに打ち明けたくて仕方がなかったのかもしれない。
「……わたしの話は、とっても奇妙で荒唐無稽なものだと思うわ。頭のおかしい女だと思うかも。……それでも聞きたい?」
だけどまだちょっと怖くて、最後の判断をユーインに委ねてしまった。
ユーインは肩越しに振り返って、まだ赤い顔で、ふわりと笑う。
「君が話してくれるなら、聞きたい」
エマは逡巡して、そして答えた。
「……わたしは、妖精が見えるの」
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