妖精女王の住む山 2

「エマ、エマ、起きな、大変だよ!」


 朝日の上る前、エマはポリーに肩を揺さぶられて目を覚ました。

 眠い目をこすりながら、起き上がるエマを、ポリーが「早く早く」と急かす。


「いったいどうしたの?」

「大変なんだよ! ユーインがピクシーに連れていかれたんだ」

「なんですって⁉」。


 一瞬で眠気が吹き飛んだ

 空を見上げればまだ暗いが少しだけ明るくなりかけているので、あと一時間もすれば空が白みはじめてくることだろう。

 焚火の方を見ると、火は消えていなかったが、側に座っているはずのユーインの姿がどこにも見当たらなかった。


「ポリー、どういうこと?」

「ついさっきのことだよ。急にユーインが立ち上がってふらふらとあっちの方に向かって歩き出したんだよ。最初はおトイレかと思ったんだけどね、右に左にふらふらしているし、なんだか様子がおかしかったからついて行ったら、ピクシーがユーインを呼んでいるのが見えたんだよ」

「大変じゃない!」


 きっとピクシーに惑わされているのだ。

 エマは急いで立ち上がった。


「アーサーがユーインを追いかけているよ。こっちだよ! 急ごう!」


 小走りにポリーについて行けば、山の中に、ぽつん、ぽつんと白く光る石が転がっているのが見えた。ポリーによると、これはアーサーが落としていった目印らしい。

 光る石を頼りに進んでいくと、ゆらゆらと左右に揺れながら歩いているユーインの後姿を見つけた。


「ユーイン‼」


 エマは叫んで、走り出した。

 ユーインの前方にはピクシーたちが手招いていて、エマはピクシーたちの足元にあるものに気づくと悲鳴を上げそうになった。


(フェアリーリング‼)


 人を妖精界に誘う、妖精界への扉だ。

 草の中に濃緑色のリングが現れるのが一番有名なフェアリーリングだが、妖精界につながるフェアリーリングは、実のところ何で作られていたっていい。

 重要なのは、妖精が意志を持ってリングを作ること。

そうすれば妖精界につながる扉になる。

 ピクシーたちの足元にあるのは、赤いキノコで作られたリングだった。

 もしユーインがそのリングの中に足を踏み入れれば、たちまち妖精界に飛ばされることだろう。

 アーサーが、ユーインの襟を口でくわえて、一生懸命後ろに引っ張っているのが見える。

 エマは必死になってユーインに駆け寄ると、手を伸ばして彼の腕をつかんだ。


「ピクシーたち! 彼を連れていったらダメよ! 彼は大切な恋人のために薬を探す旅をしているの! あなたたちが連れて行っていい人ではないわ!」

「邪魔をしないで」

「この人間はわたしたちのもの」

「いい匂い」

「かわいい」

「わたしたちの大切なお友達」

(やっぱりユーインは妖精に気に入られる体質なんだわ!)


 どうして今まで無事でいられたのか、本当にわからない。それほどまでに彼は妖精を惹きつける存在なのだ。純粋な人だとは思っていたが、よほど心の綺麗な人なのだろう。


「エマ、これを渡しておやり」


 ポリーがエマの作ったコサージュを差し出した。こうなることを見越して持ってきてくれたのだろう。


「ピクシーたち。この人はあなたたちに上げられないけど、代わりにこれを上げるわ。コサージュよ。キラキラしているでしょう? 綺麗なものが大好きなあなたたちは気に入ると思うわ。お願いだから、これで我慢してちょうだい」


 エマの編んだレース編みは、妖精たちにも人気なのだ。妖精は妖精が見える人間が作ったものを好む傾向にある。不満顔をしていたピクシーたちも、コサージュを見てころっと機嫌を直した。


「本当。綺麗ね」

「いいわ」

「もらってあげる」

「ふふ、窓辺に飾りましょう」

「きらきらきらきら、とっても綺麗」

「ふふふふふ」


 ピクシーたちはコサージュを受け取ると、歌うように囁きながらフェアリーリングを通って姿を消した。

 エマがホッとした瞬間、ぐらりとユーインの体が傾く。ピクシーたちの術が解けたのだろう。

 その場に倒れそうになったユーインを慌てて支えようとするも、エマ一人ではさすがに支えきれずに、その場に一緒になって倒れこんでしまった。

 アーサーがピクシーたちの作ったフェアリーリングを後ろ脚で蹴散らしている。フェアリーリングさえ崩せば、妖精界への扉は消えるからだ。


(まったくピクシーたちにも困ったものね。……さて、と)


 さすがにいつまでもユーインに覆いかぶさられている状況はまずい。

 ユーインはぐっすり眠っていて起こすのが忍びないが、このまま夜が明けるまで待っているわけにもいかないのだ。何よりはずかしい。

 エマは何とかユーインの下から這いずって出ると、彼の肩を揺さぶった。


「ユーイン、ユーイン、こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまうわ。起きてちょうだい」


 可哀想だが、エマにはユーインを背負って運ぶだけの力がない。

 しばらく呼びかけていると、ユーインはぼんやりと目を開けて、それからきょとんとした。


「え?」

「おはよう、ユーイン。ええっと、もうじき夜も明けるし、こんなところで寝ていたら風邪を引いちゃうから、あっちに戻りましょ?」


 ユーインはきょろきょろと周囲を見渡して、状況が飲み込めないのか何度も首をひねる。


「……え?」


 ユーインは不思議そうだが、さすがにピクシーに惑わされたとは教えられないので、エマは「寝ぼけちゃったみたいね」と言って誤魔化した。


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