霊峰を目指して 3
それは、数時間前。一緒に朝食を食べた後で、ユーインにアリス山へ向かうと告げた後のことである。
「アリス山か。少し距離があるけど……大きな町に行かないと、長旅をお願いできる馬車がないと思うよ」
「なんですって?」
「え、だから馬車だよ。これだけ距離があると、普通の辻馬車だと難しいと思うから、長期契約できる馬車を……」
「……あなたがお金を持っていなかった理由が、わかった気がするわ」
なるほど、ユーインは本当にお坊ちゃんだ。
(まさか、移動に馬車を使っていたなんてびっくりだわ)
少し町中を走ってもらうだけでもそこそこお金が取られる辻馬車を、旅の移動に使っていたのならば、路銀が底をついてもおかしくない。この様子だと、馬車を使って、いい宿に泊まって、貴族の物見遊山感覚で旅をしてきたのだろう。
(いえ、家紋があるし、本当に貴族なんでしょうけど。……はあ)
それから、荷馬車を使うと言って驚いて言葉をなくしたユーインに、旅をする上で必要なものはお金の節約だと言うことを滾々と諭したのだが、理解してくれたのかどうかは怪しいところだ。
エマが呼び止めた荷馬車をぼけっと眺めていたユーインを荷台に押し込んで出発した後も、がたがたと激しく揺れる荷馬車に目を白黒させていた。
積み上げてきたかぼちゃが落ちてきて「うわっ」と声を上げたときには吹き出してしまったものだ。
アーサーなんかはかぼちゃの上で笑い転げていたし、ポリーも、落ちてきたかぼちゃを抱えて困った顔をしているユーインにあきれ顔をしていた。
「時にエマ、アリス山に行くって言っていたけど、そこに一体何があるんだ?」
朝はばたばたしていてゆっくり説明していなかったのだが、馬車酔いが治ったユーインは今更ながらに行き先に疑問を持ったようだ。
「アリス山に行くって言ったけど、まさか山の中に入るつもりじゃないんだろう? アリス山って言えば、悪霊がついているって噂の山だからね。山に入った人間を喰らうって言われていて、実際に行方不明になった人も大勢いるんだ。だからあの山には滅多に人が近づかないんだよ」
「おやまあ、アリス山は妖精女王様お気に入りの霊峰だよ。悪霊なんてとんでもないねえ」
ポリーがエマの方に座ってユーインに向かって言うが、もちろんユーインには聞こえていない。
「悪霊なんていないわよ」
「いや、いるよ。本当に行方不明者が大勢いるんだ」
「そんなの、妖精たちが悪戯してるか、ただ迷っただけだろ?」
アーサーがかぼちゃの上から飛び降りて、「馬鹿だな」と小馬鹿にした笑みを浮かべた。
もし本当に行方不明者が多いのなら、アーサーの言うとおり、悪戯好きのピクシーやゴブリン、はたまたボギーなんかが山に入った人を惑わせて遊んでいる可能性が高い。
しかし、妖精が見え、そしてアーサーとポリーという頼もしい妖精がそばについているエマには、妖精の悪戯は通用しない。たとえ相手がボギーであっても、エマにはボギーをシーリー・コートに戻す力があるのだ。そう簡単に、妖精に惑わされたりはしないのである。
(もちろん妖精が見えるなんて言えないけど……どうしたものかしらね)
このままだと、アリス山の近くまでたどり着いても、山に入るのを反対されかねない。
「ええっとね、アリス山の山頂のカルデラ湖にね、幻の薬草があるって噂を、聞いたようななかったような……とにかくそんな感じなのよ!」
「エマは嘘をつくには向かねーなぁ。嘘つくなら堂々とつけよ、そんなしどろもどろじゃ信じるはず――」
「そうなのか!」
「うぉ! マジかこいつ信じやがった‼」
アーサーが驚いて目を丸くしたが、エマも同じく驚いた。アーサーではないが、あんなに苦し紛れな言い訳を信じてくれるとは思っていなかったからだ。
「え、ええ。噂なんだけど、でも、もしかしたらパナセアの手掛かりになるかもしれないでしょ」
「確かにな……。いやでも、そうであっても、女の子がそんな危険な場所に行くのはちょっと。それに、パナセアは俺の探し物であって、エマの探し物じゃないし……」
「だ、大丈夫よ、だってユーインも一緒だもの!」
もうここまでくれば強引に行くしかない。
ユーインは難しい顔をして腕を組んだが、しばらくして、大きく頷いた。
「わかった! 俺の探し物のためにエマがそこまでしてくれるなんて驚いたけど嬉しいよ。エマのことは俺が絶対に守るから、任せておいてくれ」
真剣な顔でユーインが言うものだから、不覚にもエマの心臓がドキリと高鳴ってしまった。
しかし、その感動も、アーサーの次の一言で台無しになる。
「エマを守るっつーけどよー、俺には逆に、妖精の悪戯にまんまとはめられて、こいつが山の中で迷子になる未来が見えるけどな」
(アーサーってば)
だがまあ、これでアリス山に入るのを反対されはしないだろう。
エマは小さく笑って「頼りにしているわ」とユーインに告げた。
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