霊峰を目指して 4
町まで荷馬車に乗せてくれた男に、「奥さんのプレゼントにでもしてちょうだい」とお礼にレース編みのコサージュを手渡して、エマはまずユーインのための着替えを買いに行くことにした。
ユーインは昨日洗って乾かした服を着ているが、ずっと同じものを着続けることはできない。
ユーインは遠慮したが、「じゃあこの先ずーっと旅の間同じ格好をするつもり? 洗いもせず? ……臭うわよ」と脅せば、あっさり降参した。汗やほこりの臭いをぷんぷんさせた人との旅はエマも嫌だが、何よりユーイン本人が嫌だろう。
旅服はすぐに汚れるし、いくら昨日の稼ぎがいいからと言って無駄遣いもできないので、服はすべて中古服屋で購入する。
中古服と言っても、店に並んでいる服はどれも綺麗に洗濯されていて、中には新品とほとんど大差ないものまである。まあ、そういうものは中古でも高いのだが。
「こんな店があるんだね」
ユーインを中古服屋に連れていくと、物珍しそうにきょろきょろと店内を見渡しはじめた。
(まあ、貴族が来ることはないでしょうからね。中古服屋どころか、服を買いに店に入ったことすらなさそうな気がするわ)
貴族の服はほとんどが一点物の特注品だ。仕立て屋を家に呼んで、自分の好みに合わせて仕立ててもらう。もちろん、貴族と言えどその財政状況はヒエラルキーなどによって全然違うので、貧乏貴族は既製品を購入したりもするが、エマの見立てではユーインはかなり高位の貴族出身だと思われた。
「中古は嫌かもしれないけど、旅をしていたらすぐに汚れるから我慢してね」
「あ、いや、ごめん! 嫌とかじゃなくて……こんな店があるなら、もっと早くに知っていたら、着替えも安く調達できただろうなって思っただけで……」
「ふふ、大丈夫、慌てなくたって別に怒ってやしないわよ」
ユーインの顔を見ていたら、中古服屋を嫌悪したり侮蔑したりしているわけではないことくらいわかる。純粋に驚いた顔をしていたから。
「ここではサイズは測ってくれないから、自分に合いそうな服を選んで、向こうの個室で試着し見て決めるのよ。ええっと、あっちに並んでいるのは高いやつだから、このあたりから、そうね、三着ほど選んでくれるかしら? そのあとで下着を売っている店に行きましょ。さすがに下着は新しいものがいいでしょうから」
「でも、いいのか?」
「だからいいのよ。それとも汗臭い格好で旅を――」
「わかった、さすがにそれは勘弁だ! ここは素直に甘えておくよ」
「あのあたりにはカバンもあるから、着替えを入れるのにちょうどいいカバンを選んでくれるかしら? さすがに着替えを手に持って歩けないでしょ」
「ああ、ありがとう」
ユーインはさっそく、物珍しそうな顔をしながら服を選びに行った。
もしかしたら貴族らしい派手なものを選ぶのかと思ったが、動きやすさ重視で選んでいるので忠告は無用だろう。
「なあなあエマ、このマフラー買ってくれよー。もう数か月もしたら冬になるじゃんか。なぁ?」
「やめときなアーサー、あんたにはマフラーが大きすぎて、マフラーに着られた犬になっちまうよ」
「誰が犬だ! 俺は誇り高きクー・シー族だぞ!」
(まったく仕方がないわね)
中古服屋の角には、着られなくなったセーターなどを解いて毛糸にしたものも少量だが売られている。
エマはその中から、アーサーが手に持っていたマフラーの色に似た紺色の毛糸を探して購入することにした。これでアーサーにあわせて編んでやればいいだろう。
「なあなあエマ。模様も入れてくれよ。こっちの黄色い毛糸でさ、星みたいなのがいいな」
エマが自分のために毛糸を購入していると悟ったアーサーが素早く飛んできて、気に入ったらしい黄色の毛糸を前足で叩いた。
「はいはい」
エマは周囲に聞こえないくらいの小さな声で返事をして、黄色の毛糸もとると、ユーインが試着している間に店主に渡しておく。
「あっちの人の服と一緒にこれも買うのでお願いします」
「はいよ! なんだい、彼氏かい? いい男だが、あんまり貢ぐと女が廃るよ。女は貢がせてなんぼだからね‼」
店主のおばさんが豪快に笑いながらそんなことを言うものだから、エマはぱっと顔を赤く染める。
「ち、違いますよ。そんなんじゃないですから!」
「おやおや、赤くなって可愛いねえ。はいはい、そういうことにしておいてやろうかね」
(だから、違うのに……!)
だが、店主が勘違いするのも仕方がないかもしれない。男と女の二人旅なんて、勘違いしてくださいと言わんばかりだろう。
エマは赤くなった頬を押さえて、深呼吸を一度する。赤い顔を見られたらユーインが不思議に思うだろうからだ。
(まったく、ユーインには帰りを待っている不治の病にかかった恋人がいるのよ! それに、ユーインは男の人が好きなんだから、わたしのことなんて何とも思ってやしないわ!)
恋もまだな十六歳のエマには、冗談でも刺激が強すぎた。
「エマ」
「はい!」
心を落ち着けようと必死になっていたところにユーインに話しかけられて、エマは飛び上がらんばかりに驚いた。
振り向けば、ユーインが上下三着の服を手に立っている。
「これにしようと思うんだが」
「わかったわ。カバンはどれにするの?」
「それが、悩んでいて……」
ユーインの選んだ服を店主に渡して、エマは彼が悩んでいると言うカバンを見せてもらった。
「こっちの方がたくさん入りそうなんだけど、こっちの方が色が落ち着いていて軽いんだ。どっちがいいと思う?」
「そうねえ……。実際に詰めてみて、どのくらい入るか見たらどうかしら? 軽い方のカバンでも充分にものが入るのなら、そっちでもいいんじゃない?」
ユーインは色が落ち着いていて軽いという茶色のカバンが気に入っているように見えたからそう言えば、なるほどなと大きく頷いて、さっそく、先ほど店主に渡した服を詰めはじめる。
結局、ユーインが気に入っていた茶色いカバンでも充分に荷物が入ることが判明したので、服と一緒にそれを合わせて購入した。
そのあとで下着屋に行き、さすがに男ものの下着を取り扱っている店にエマは入る勇気がなかったので、ユーインにお金だけ渡して店の前で待つ。
待っている間はすることもないので、エマは秋の高い空をぼーっと見上げた。
こうして空を流れていく雲を見つめていると、ついこの前夏が終わったような気がしたのに、秋の気配は足早に通り過ぎていくような気がした。
のんびりしているとあっという間に冬が来る。
冬が来れば、さすがに行く当てもなく旅を続けるのも厳しくなってくるので、秋が終わる前に冬の間をすごす仮の住処を探すことになるだろう。
エマの探している大切な友人は、今どこにいるのだろうか。
行く先々で妖精に訊いているのに、まだ手掛かりすらつかめていない。
(早く……早く会いたいのに……)
会って、言わなければいけないことがあるのだ。
(ねえ……いったいどこにいるの、ロイ……)
エマは妖精の羽のように薄く雲が静かに東の空に通り過ぎていくのを、息を吐いて見送った。
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