第8話

 台風が過ぎ去った翌日の朝、オフィスにて1人パソコンを操作していた坂口さかぐちのスマホが鳴った。


「はい、坂口です」

『やぁ坂口君。私だ』

「…お久しぶりです、会長」


 電話の主は坂口や疾風はやて達が勤めている『沢北部品製作所』の会長にして、その親会社である『パーツナリティ』の社長──荒澤あらさわ 総司そうじだ。


について、キミの報告を聞きたくてね。最近の様子はどうかな?』

「特に変化は見られません。通常通りに出社して働いていますよ」

『そうか…では私が対面しても問題無いかな?』

「問題ありません。そちらに向かわせる口実仕事も準備が完了しています。あとはタイミングを指示していただければ」

『上出来だ。では決行は2週間後としよう。本人にも準備する期間は必要だろうからね。旅費は全額こちらで負担しよう』

「承知しました」

『…済まないね、キミにも面倒なことを押し付けてしまって』

「構いませんよ。その分の給料は貰っていますから」


 電話を終え、坂口がスマホから顔を離す。目の前のパソコンには出張に向けた資料がまとめられていた。


「さてと…後はお前次第だぞ、矢崎やさき




 ∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵─∵




 台風が過ぎ去った翌日、出社した僕を待っていたの突然の出張の連絡だった。


「本社の方で行う営業報告会があってな。今回は会長から直々にお前を指名してるんだ。頼めるか?」

「構いませんけど…なんで僕?」

「理由としては俺からの推薦半分、前に視察に来てた時のお前の様子が半分らしい。日頃の働きが評価されてるってことだ。素直に喜んどけ」


 確かに評価されるのは嬉しい。ただ出張となると話は別だ。しかも渡された資料には1週間程の宿泊が予定されている。

 今は雷菜さんと暮らしている以上、彼女を置いて遠出はしたくない。また空腹で倒れてたら可哀想だ。


「あぁそれから、今回の出張は急に決まったからな。同行者を1名までなら認めるそうだ。ちょうどいい機会だし、ついでに彼女と旅行でもしたらどうだ?」

「えっ!?なんで課長が雷菜さんのことを…」

「この前モールで買い物してるのを偶然見掛けたんだよ。中々可愛いじゃないか」

「はははっ…それはどうも…」


 実際、雷菜さんは顔だけなら超がつくほど可愛い。のだが残念すぎる性格のせいで、イマイチ可愛いと評価し切れない。

 そう思っていたはずなのに、何故か僕の胸がチクリと傷んだ。


「とにかく、例の彼女と相談してからでも構わん。近日中に決めてくれ」

「わ、わかりました…」


 僕はその日の仕事を早足で終わらせ、何とか定時で帰った。帰り道の途中では、ずっと雷菜さんについて考えていた。

 何かが引っかかったんだ。

 正確には課長の台詞に対する、僕の気持ちに違和感があった。

 違和感の正体は分からない。雷菜さんを可愛いと言われたことなのか、それとも自分でも可愛いと思っていることなのか…

 結局、巡る思考は堂々巡り。答えは出ない内に僕は自宅に帰ってきた。


「ただいま」

「お帰りなさい、疾風さん」


 扉を開けると雷菜さんが出迎えてくれる。

 以前買ったシャツとスカートを着用しており、黒を基調とした構成が、彼女の魅力をより際立たせている。


「例のヤツ行きますよ」

「はいはい…」


 雷菜さんに言われて顔を差し出すと、頬に優しく唇が当てられる。日課となっている『お帰りなさいのキス』だ。

 我ながら何ともバカっぽいやり取りだが、存外帰ってきた実感は湧くものだ。


「…何かあったんですか?」

「へ?何が?」

「いつもより元気が無いので。お仕事中に嫌な事でもあったのかと」

「いやいや無いよ!全然!」


 珍しく雷菜さんが心配そうな顔をしている。彼女は意外にも周りをよく見ている。見た上で我儘を言っているのだからタチが悪いのだが。


「隠しても意味は無いか…実は出張の話が来ててさ。だいたい1週間くらい、泊まりがけで行くことになったんだ」

「1週間…泊まりがけ…ダメです」

「なんで!?」

「1週間も疾風さんが居ないなんて…寂しっ…誰が私のご飯を作るんですか」

「惜しい!言いかけた方を言ってくれた方が嬉しかったよ!」


 本音は隠せなかったか…まぁ予想通りの反応だな!

 雷菜さんをとって僕は都合のいい寄生相手。出張なんて以ての外だろうな。


「そこでなんだけどさ…雷菜さんも一緒に行かない?会社から許可は貰ってるからさ」

「良いんですか?私が一緒に行っても何もできませんよ?」

「それでもいいよ。また空腹で倒れられるよりはね」

「むぅ…」


 口を膨らませて不服感を露わにする雷菜さん。実際来てもらった方が安心する。出張中も相手を振ることになるが、まぁ我慢できる範囲だろう。


「…分かりました。そこまで言うなら一緒に行きましょう。旅行中の私のお世話、お願いしますね」

「任せといて!いつも以上に甘やかすから!」

「おぉ、それは楽しみですね」


 それから僕たちは旅行に向けて準備を始めた。

 仕事だけじゃなく観光についても予定を立てた。なんだかんだ言っても、雷菜さんと一緒に居るのは楽しいし、どうせなら楽しい旅行にしてやろう!



 この時の僕は知らなかったんだ。

 まさかこの出張が…僕達の分岐点になってるなんて

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