第7話
「臨時休暇、ですか?」
雷菜さんと出会ってからしばらく経ったある日、朝一番に上司の
『台風の影響で工場の方がやられてな。取引先からも今日の会議は延期にしてくれって要望があったし、面倒だから全員休暇にしてやったぞ』
「おぉ!ありがとうございます!」
『まぁ後日の業務が忙しくはなるだろうがな。その振替えだと思ってくれ。くれぐれも外に出て怪我なんかするなよ』
「はい!坂口さんもお疲れ様です!!」
外は台風、それでも出社しなければならないのが基本だが、今回は本当に運が良かったらしい。
「おはようございます…」
「おはよう
「それは…嬉しくも残念ですね。行ってらっしゃいのチューはお預けですか」
「あっ…確かに…」
初めて雷菜さんを置いて出社した先日から、家を出る前と帰ってきてからは雷菜さんが頬にキスをするのが日課になっていた。
今でも照れ臭く感じるが、慣れてくると存外心地よい物だ。それが無いのは確かに残念かもしれない。
「けど今日は休みだもんね!思いっきり惰眠を貪ってやる!」
「それは良いですね。あ、朝ご飯お願いします」
「まっかせといて!」
休みということでいつも以上に気合を入れて朝食を用意する。いつもはパンと卵焼きだけだが、今日はコーヒーとサラダも用意した。
「「いただきます」」
2人分の声が響き、雷菜さんと一緒に朝食を食べる。余裕を持ってゆっくり食べれるおかげで、いつも以上に心地よい朝となった。
まぁ外は凄まじい雷雨なんですけどね。
「む、この卵焼き…」
「お口に合わなかったかな?」
「前より甘くなってますね。私好みで良いですよ」
「そりゃ良かった。その調子でサラダも食べてくれると嬉しいかな」
「嫌です」
「即答かい!」
数日ほど一緒に暮らして、いくつか分かったことがある。雷菜さんは甘い物が好きで野菜が苦手。睡眠は浅く短くでちょっと心配になる時がある。
それから自分の要求は絶対に通すってことだ。
「ご馳走様でした。サラダも半分は食べたので残りは疾風さんが食べてください」
「はいはい…」
残されたサラダを雑に食べ尽くし、朝食を終える。
食事が終わり、後片付けまで終わったが、特に予定が無い僕は何となくテレビを見始めた。
リビングのソファに座り、適当にチャンネルを回す。どこもかしこも台風の情報ばかりで、退屈な番組ばかりだ。
「隣、失礼します」
僕の横に雷菜さんが座ってくる。2人分は難なく座れるはずのソファなのに、彼女は僕にぴっとりとくっ付いてきた。
「…なんか近くない?」
「彼氏彼女の関係ならこの距離は適切なはずです」
「そうかな?…そうかも…」
「そうです。それに、テレビなんかよりもっと見るべきものがあるんじゃないですか?」
視線を横に向けると、目の前には雷菜さんの顔があった。僕たちの間はわずか数十センチ。少し踏み込めば唇を重ねることだってできる距離だ。
「………良いんですか?」
「何が?」
「このままだと…しちゃいますよ?キス…」
「…そんなの…いつも外出の時にはしてるし…今更じゃないかな?」
「挨拶と愛情は違います。いつもは前者。今は後者です。貴方の気持ちはどっちですか?」
「…………………」
答えられなかった。
答えたくなかった。
僕を慰める事で居場所を得た彼女。
彼女を養う事で安心感を得た僕。
歪でも心地の良い関係に溺れた僕に、今更踏み出す勇気は無かった。
「…僕は雷菜さんの希望を叶えるよ」
元カノに捨てられたあの夜。
無愛想で我儘でも、僕を必要としてくれる人が、僕には必要だった。だから雷菜さんを受け入れた。
彼女が何者であろうとどうでもいい。全ては僕の心を慰めるためなのだから。
「──そうですか」
雷菜さんは呟いた後、僕から離れた。彼女はそのまま立ち上がり、リビングから自室へと移動した。
ソファの上には僕だけが座っている。さっきまで隣にいた雷菜さんの熱が、急速に冷えていく。
「どうなるんだろうな、僕達は…」
呟いた言葉は窓を叩く雷雨の音に掻き消された。
自分のエゴだと理解しながらも目を逸らす。僕の浅ましさを咎める人は傍には居なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます