第2話 転生

吾輩が目を覚ますと、そこには知らない天井が拡がっていた。体を起こそうとしてもびくともしない。混乱してキョロキョロと周囲を見回していると、美しい赤い瞳の女が覗き込んできた。


「あらぁアスティル、起きたの?」


砂糖を溶かしたような甘い声でそう言うと、女は吾輩を優しい手つきで抱き上げる。アスティル誰だそれは?吾輩は名を捨てた魔王だぞ。


「あぅあ〜(離せ人間!吾輩は魔王だぞ)」

「うんうん、今日はいつもよりも元気ねぇ」


吾輩は話そうとしたが、変な高い声しか出すことができなかった。女はそんな吾輩の様子を見てにっこりと笑った。馬鹿にしているのだろうか。奥から、メイド服を着た女がさらに現れて吾輩をみると同じく笑みを浮かべる。


「ごきげんよう、奥様。お嬢様お元気ですね。本当に可愛らしい」

「ええ、とっても」


お嬢様だと?吾輩は部屋を見回すと大きな鏡があることに気がついた。そこには1人の赤ん坊が女に抱えられている姿が見えた。思わず自分の顔をペタペタと触る。すると、鏡の中の赤ん坊も同じ動きをした。


「うぁああ〜!!(なんだとぉぉッ!!)」

「あらあら、ご機嫌斜めなの?」


吾輩は思わず大きな声で叫んで暴れた。まさかこの吾輩が人間の赤子に転生するとは!しかも女子だ!


「ほぅらよしよし、アスティル。母はここにいますよ」


女はそう言うと吾輩をゆっくりあやす。不思議とこの女の腕の中は吾輩を安心した心地にさせるのだった。母か...吾輩の母上はもう300年以上前にこの世を去ってしまったからな。懐かしい温もりに吾輩は目を閉じる。


その微睡みも束の間、突然開いた扉の音で吾輩は目を覚ました。危ない、この女に博されるところだった。ツカツカと装飾のついた軍服姿の男が入ってくる。メイドはお辞儀をすると、いそいそと彼と入れ替わって部屋から退出した。


「ネオラはいるか?」

「はい、ここに」


吾輩を抱いている女は軽く腰をおってお辞儀をする。吾輩はまじまじと男の顔を見ていると目が合ってしまった。


「まだここに居たのか」

「だってアスティルがとっても可愛いんですもの」


女が嬉しそうに吾輩の頬を撫でる。その様子を見ていた男は大きなため息をついた。


「はあ...騎士になれぬ女子なぞ、このアルバーティン家に不要だ」

「な、なんてことを言うんですか!」


女は悲しい声で男に叫ぶ。吾輩を抱く腕は怒りからか、悲しみからか微かに震えていた。どうやらこの男は女に対して良い意識を持っているようではなかった。


「まあせいぜい、お前のように美しく育って出世の道具になれば良いのだがな」

「なっ」

「半時間後、迎えの馬車が来る。身なりを整えておくんだな」


そう冷たく言い放つと男はさっさと部屋を出て行ってしまった。

女は力無くベッドに腰掛ける。吾輩はおずおずとその顔を見上げると、女の美しい赤い瞳には涙の膜が張っていた。


「ごめんね、アスティル...。例えあの人が祝福してくれなくても、私があの人の分まで...もっと沢山祝福して、沢山愛情を注いであげるからね」


女...いや、母上は吾輩の頭に優しくキスをすると頬ずりをした。顔に温かい水が落ちてくるのを感じる。愛する妻を悲しませるなんて酷い男だ。どうやら彼奴あやつが吾輩の父親なのだろうが、信じたくない。


吾輩は今世ではただ平穏な暮らしを送りたかった。しかし、どうやらそう一筋縄ではいかないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る