8_風音さん

 昨晩は柴犬サイズの虎に変化した美澪が琥太郎のベッドに入ってきて、結局朝まで一緒に寝た。虎バージョンの美澪はモフモフで気持ちよく、朝起きると虎バージョンの美澪をいつのまにか抱き枕にしてしまっていた。抱き枕にされた美澪もそれが嬉しかったようで、元のネコ耳少女姿に戻ってもご機嫌で毛づくろいならぬ髪の毛のセットをしていた。


 昨日でお盆休みも終わり、琥太郎は勤めている広告代理店”恵味企画(めぐみきかく)”に出社しなくてはならない。出社前、押し入れの住人である流伽は押し入れに籠ったままだったが、一応押し入れの扉ごしに声をかけてみる。


「会社に行くね。いってきまーす!」

「おっ、おはよう。いってらっしゃい…」


と返事が返ってきた。少しぎこちない感じではあったが、とりあえず琥太郎と敵対する気は無いようだ。

 美澪はというと、琥太郎が働いているところを見たいとの事で、会社までついてくるという。まわりから見えないのをいい事に、会社内にも入ってくるようだ。オフィス内にはクライアントの新商品情報等、社外秘の資料も多くある。そのため応接室以外は部外者立ち入り禁止になっているのだが、しかたないので妖は対象外という事にしておこうと思う。

 北新宿にある会社までは、雨が降らない限りはロードバイクタイプの自転車で通勤している。会社の最寄り駅は新宿駅か西新宿駅になるのだが、徒歩+電車となると30分以上かかってしまう。それが自転車であれば10分ちょっとで行けるので、圧倒的に自転車通勤が楽なのである。

 ロードバイクで疾走する琥太郎の横を、美澪は走ってついてくる。早く走る事を「飛ぶように走る」と表現する事があるが、美澪の場合、まさしく飛びながら走っている感じだ。山手通りや青梅街道の大きな交差点も、美澪であれば軽くジャンプして余裕で飛び越えてしまう。琥太郎のロードバイクについてくる事など美澪にとっては運動にすらなっていないように見える。

 美澪は子供の頃から、他の妖怪達と比べても段違いに身軽で早く走れていたが、成長して更に凄くなったようだ。


 会社の入っている雑居ビルの敷地にロードバイクを停めてオフィスに入ると、後ろから美澪もひょこひょことついてきた。琥太郎が席に着いても、美澪はオフィス内を興味深そうに見て回っている。周りから美澪は見えていないとはいえ、目の前で美澪がオフィス内を歩き回っているのはどうにも落ち着かない。


「琥太郎先輩、おはようございます。」

「あっ、風音(かざね)さんおはよう。」


向かいの席の日下部風音(くさかべ かざね)さんが琥太郎に朝の挨拶をしてきた。彼女は今年入った新入社員で、琥太郎の1年後輩だ。

 身長は155cmくらい。体は全体的に細身ですらっとしている。丸顔で、ショートカットから少し伸ばした長めボブの髪型がよく似合っている。

 京都出身の彼女の実家は陰陽師の系列で、お祓いや祈祷などを行っているらしい。彼女の兄も数年前に正式に陰陽師になったと話していた。彼女自身も陰陽道の修行を行っていた事があるらしい。しかし彼女曰く才能が無いとの事で、残念ながら陰陽師にはなれそうにないと話していた。その時の様子が本当に残念そうで、本当は家業であるお祓いの仕事につきたかったのが見てとれた。少しおっとりしていて、いつもニコニコ顔の彼女とは気が合うようで、たわいもない話を含めて、社内では彼女と話す事が一番多い。


「琥太郎先輩、お盆休みはどこか行ってました?」

「お墓参りで実家に1泊だけしてきたよ。あとは東京でのんびり過ごしてた。風音さんはどこか行った?」

「実家のお父さん達は、九州の方でお祓いの仕事が入ったとかで、お父さんとお兄ちゃんがお盆前から九州に行っちゃったんです。お母さんもお盆は親戚のおばちゃんのところに用事があるって言ってたから、私は実家には帰りませんでした。それで独りで山梨のキャンプ場で過ごしてました。」


彼女はキャンプ好きで、週末は頻繁にソロでキャンプ場に行っているらしい。最近はキャンプブームで女性のソロキャンパーも多いと聞く。普段はおっとりした感じの風音さんだが、なんだかたくましい側面もあるようだ。

 しかし、なんだか風音さんの様子が少しおかしい。いつもはニコニコしている風音さんだが、先ほどから今朝はなんだか難しい顔をしている。


「「……お盆休みをはさんで何か仕事でトラブルでも抱えちゃったのかなぁ。」」


何か手伝える事でもないか、後で聞いてみる事にしよう。

 ノートパソコンを開き、自分のデスクで仕事の準備をしていると、美澪が琥太郎の元に戻ってきた。すると今度は琥太郎が開いたノートパソコンの画面や、琥太郎のデスクの前に積んである書類の束などを興味深そうに見始めた。気にしないようにしながら暫く社内会議用の資料作成を行っていたが、やはり目の前で美澪にチョロチョロされていたのでは全く集中できない。


「「……だめだ、やっぱり落ち着かない!」」


 美澪に退社まで外で待っていてくれるように頼むため、美澪がついてくる事を想定して琥太郎はトイレに立った。廊下に出ると案の定美澪も琥太郎についてきた。


「ちょっと美澪、美澪がいると落ち着かないから、やっぱり仕事が終わるまで外に行っててくれないかなぁ。」


琥太郎が美澪の方は見ずに、小声で美澪にささやく。


「え~、やだ。琥太郎と一緒にいる!」


美澪が琥太郎の背中にピョコンとジャンブしてしがみつく。18年ぶりに琥太郎と話せるようになった美澪は片時も琥太郎から離れたくないようだ。

美澪に背中にしがみつかれたまま、頼みを受け入れててくれない美澪をどうしようかと思案していると、突然背後から風音さんの声がした。


「ちょっとあなた、琥太郎先輩から離れなさい!」

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