第7話(1)夜中の幻

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「……」


「こんにちは」


 マンションのエントランスから出てきた幻に向かって、真っ赤な高級外車に乗った甘美が車の窓を開けて声をかける。


「………」


「時間的にはこんばんは、かしら?」


「…………」


「業界的にはおはようと言った方が良かったかしら?」


「……………」


「なんとか言って下さらない?」


 甘美が苦笑しながら尋ねる。


「……今日はバンドの練習日ではなかったかと思うのだけど?」


「ああ、それはうっかりしていましたわ」


 甘美が自らの額をぺちっと叩く。


「わざとらしい……」


「あらら……」


 甘美が再び苦笑する。


「確かに貴女は抜けているところが多々あるけれども……」


「た、多々⁉」


「スケジュールをミスするなんていうことはない……こと音楽活動に関してはね」


「ほう……」


「当たっているでしょう?」


「まあ、それはそうかもしれませんけど……出会って数日しか経っていないのに、よくお分かりになりますわね」


「この間の山口から広島への2時間弱のドライブで大体分かったわ」


「へえ……」


「貴女が音楽活動にとても真摯だってことがね」


「何を以って、そういう判断を下されたのですか?」


「あの連休期間中、ずっと機材車を運転していたのでしょう?」


「まあ、そうですが……」


「中国地方を一人で……もちろん休憩などを挟んでいるとはいえ、すごいことだと思うわ」


「そんな大したことでは……他の方々がペーパードライバーだったから致し方なくですわ」


「それでも情熱が無ければ出来ない」


「情熱……」


 甘美が顎に手を当てる。


「そう、パッションよ……」


 幻が笑みを浮かべる。


「自分で言うのもなんなのですが、そんな気分的なことだけではね……」


「もちろん、それ以外の部分もあるわ……」


「それ以外?」


「貴女が『思い付きましたわ!』と言って、鼻歌まじりで披露したメロディー……あれは前々から考えていたものでしょう?」


「! 何故、そうお思いに?」


「あのクオリティーのメロディーを即興で思い付いたというのなら、よほどの天才だわ」


 幻が再び笑みを浮かべる。


「ふむ……」


「事前にそれなりに準備していたものとはいえ、メロディーラインの出来はとても気に入ったわ……音楽的な才能もしっかりあると思った」


「それは……照れますわね」


 甘美が後頭部を抑える。


「まあ、それで……何の用? 人のマンションの前でわざわざ待ち伏せするなんて……」


「いやあ、たまたまですわ」


「そんなわけないでしょう」


「ははっ……」


 甘美が苦笑いを浮かべる。


「住所まではまだ伝えていなかったと思うのだけど?」


「そこは、我が家の情報網を駆使しました」


「怖っ……」


 幻が顔をしかめる。


「大分失礼だということは重々承知しているつもりです。それでもバンドのことなどを色々と話し合えればと思いまして……」


 甘美が助手席のドアを開ける。幻が尋ねる。


「……乗れってこと?」


「良ければ、お仕事先までお送りしますわ」


「……お言葉に甘えるわ」


 幻が車に乗り込む。甘美が車を発進させる。


「……夜のお仕事なのですわね」


「……大した学歴も資格もない女がそれなりのお金を稼ぐなら、そうなるでしょう。ドラムの練習をするなら、防音設備が整った高級マンションに住まなきゃならないしね……」


「ああ……」


「活動リズム的にもちょうど良いのよ。基本は夜型人間だしね」


「なるほど……」


 甘美が頷く。幻が問う。


「……ひょっとして、どんな仕事かまでは知らないの?」


「まあ、そこまで詮索するのはさすがにどうかと思いまして……」


「知りたい?」


「ええっと、まあ……そうですわね……」


「玉と棒を扱う仕事よ……」


「ええっ⁉」


「他にもいくつか掛け持ちしているけど、メインはそれね」


「そ、そうですか……」


 甘美が動揺し、車がややよろめく。幻が慌てる。


「ちょっと、安全運転で頼むわよ」


「は、はい……」


「……着いたわ……寄っていく?」


「えっ⁉」


 幻の言葉に甘美が驚く。


「どうぞ遠慮しないで。駐車場はそこの角を曲がったところだから」


「は、はあ……」


 幻が先に降りる。甘美は戸惑いながらも、好奇心には抗えず、駐車場に車を停めて、幻のところに向かった。そこから少し歩いて、幻が建物を指し示す。


「ここよ。アタシの職場……」


「! ビ、ビリヤードバー……?」


「そう、ここで初心者の方から上級者の方までレッスンしたり、腕に覚えのある人とは対戦したりしているの。ごくたまにだけど……まあ、それはともかく……結構稼いでいるのよ?」


「球と棒を扱う仕事……」


「なんだと思ったの?」


「な、なんでもないです!」


 顔を赤らめる甘美に対し、幻が悪戯っぽく笑う。


「ふふっ、せっかくだから遊んでいく? 手取り足取り教えてあげるわ……」


「む……」


 幻と甘美が店に入る。それからしばらくして……。


「……な、なかなかやるじゃないの……」


 幻が甘美の腕前に舌を巻く。甘美が慣れた手つきでキューを構えて呟く。


「実家の地下に、備え付けのビリヤード台がありましたから……」


「! さ、さすがは超お嬢様……これは長い夜になりそうね……」


 幻が妖艶な笑みを浮かべる。

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