水越のために

「じゃあ次は、にんじんをみじん切りにするんだ」


 兄は、弓波にそう言った。


「げ……にんじんも、みじん切りにするのかよ」


 弓波はげんなりした顔をして言った。


「大丈夫だ。今玉ねぎを切った通りにやれば、にんじんだってみじん切りにできるさ」


 兄は、弓波にそう言った。


「じゃあ、まずはにんじんを四から五センチの長さに切るんだ。そしたら切り口を下にして、一から二ミリ程度の薄切りにする。まずはこれをやってみるんだ」


 兄はそう言ってにんじんを取り、四から五センチの長さに切った。そして、切った口を下にし、トントンと薄切りにした。


「さぁ、お前もやってみろ」


 兄はそう弓波に促した。


「分かった。じゃ、えーと……四から五センチの長さに切って……」


 弓波は慎重ににんじんを切り進めていった。大体、兄と同じような長さに切れたはずだ。


「よし、切れた!」

「上出来だ。じゃあ次は、薄切りにするんだ」


 にんじんを薄切りにするのは、弓波にとって至難の業だ。

でも、一か八かやるしかない。


「指を、そっとにんじんの端に置いたら、切りやすくなるぞ」


 兄はそっとアドバイスをした。


「分かった、やってみる!」


 弓波はそう言って、兄の言った通りに指をにんじんの端に置き、慎重に切っていった。


「そうそう、その調子だ」


 兄はそう言って、弓波を応援した。兄のおかげか、弓波はにんじんをなんとか薄切りにすることができた。


「よし、できたぞ!」


 弓波は、にんじんを薄切りにすることができ、歓喜の声をあげた。


「じゃ、次は薄切りにしたにんじんを、千切りに刻むぞ」


 兄は薄切りにしたにんじんを、横向きに置き、千切りにした。


「はい。俺が今やった通りにやってみろ」


 兄はそう弓波に促した。弓波も、続けてトントンと千切りに切っていった。

兄と比べ、少々不恰好ではあるがなんとか千切りの形にすることができた。


「できた!」

「お疲れ。じゃあ、あとはこれをみじん切りにするだけだ。ここまでできたんだし、

カンタンだよ」


 兄はそう弓波を励ましながらも、手本を見せた。兄のみじん切りは、きれいに均一にできている。

俺とは比べ物にならないほど上手だな、と弓波は思い、俄然やる気が湧いてきた。


「俺も兄貴に負けてられないからな、頑張るよ」


 そう言うと、弓波は兄から包丁を受け取り、トントンとにんじんをみじん切りにしていった。しかも、ものすごい早さで。


「おぉ、すごい早さじゃないか! しかも、上手にみじん切りにできてるじゃないか!」


 兄も、弓波の技を褒めた。


「まぁ、こういうのも、やればできるし?」


 弓波は、どうだと言わんばかりにそう言ったが、よほど緊張していたのだろう。

額には汗が滲んでいた。


「ここまでよく頑張ったな。じゃあ、玉ねぎとにんじんがみじん切りにできたら、次はフライパンを用意して、フライパンに油を敷くんだ。それはできるだろう?」


 兄は、弓波にそう言った。


「あぁ、任せろ! それはできるよ」


 そう言うと、弓波は戸棚からフライパンを取り出し、コンロに置いた。

そして、換気扇をまわし、コンロに火をつけ、油をしいた。


「おぉ。それはできるんだな」


 兄が弓波にそう言った。

すると弓波は少しムッとしながら、兄に言い返した。


「失礼だな。これくらいはできるって」

「悪い悪い。いつまでも弓波を弟扱いしちゃいけないよな」


 兄はそう弓波に謝った。


「じゃあ、油が温まってきたら、そこに玉ねぎを入れるんだ。飴色になるまで、

じっくりと炒めるんだぞ」


 兄はそう弓波に教えた。


「え、飴色ってどれくらい?」


 弓波は兄に聞いた。飴色と言われても、どれくらいの色なのか弓波には見当も

つかなかった。


「飴色と言ったら、大体褐色くらいだな」


 兄はそう言って、スマホの画像を見せた。

スマホには、が表示されていた。


「お〜、画像で見ると分かりやすいな!」


 弓波はそう明るい笑顔を見せた。


「お、フライパンが温まってきたな。じゃあ弓波、玉ねぎをフライパンに

入れてくれ」


 兄はそう弓波に言った。了解、と言わんばかりに弓波は玉ねぎをフライパンに入れた。途端に、フライパンに入れられた玉ねぎがジュージューと美味しそうな音を立てた。


「じゃあ、これをヘラでかき混ぜるんだ。ある程度炒まってきたら、そのまま飴色になるまで置いておけばいい」


 兄はいつの間に用意したのか、木製のヘラを弓波に手渡した。


「あっ、兄貴! それいつのまに用意したんだよ。俺たちの家の食器がどこにあるのかとか、把握してるのかよ」


 弓波はそう兄に問い詰めた。


「だって、すぐそこにあるだろ」


 兄は弓波の後ろにある、スプーンやフォークが立てかけてあるスタンドを見て言った。


「あっ、たしかにそうかー!」


 弓波はたははと笑いながら、ヘラで玉ねぎを炒めた。


「全体を均一に炒まるようにするんだぞ」


 兄はそう注意しながら言った。



     *



 ––––やがて、玉ねぎが透明な色から、飴色になった。


「よし、大体炒まったな。じゃあ、次はひき肉とにんじんを炒めるんだ」


 兄は弓波にそう言って、ひき肉とにんじんを弓波に手渡した。


「分かった。ひき肉も、大体茶色くなるまで炒めるんだろ?」


 弓波はそう言いつつ、ひき肉とにんじんをフライパンに入れ、炒めた。


「そうそう。なんだ、できるじゃないか」


 兄は弓波に驚きつつ、そう褒めたので、弓波はすっかり調子に乗ってしまった。


「やっぱ俺、ちゃんとやればできんじゃん!」

「こうやってすぐ調子に乗るのが、お前の悪い癖だが……。まぁいい。肉とにんじんが炒まったら、ホールトマト缶を一缶、それとコンソメを一粒。それと、塩胡椒を加えるんだ」


 兄はそう弓波に指示を出した。やはり、指示がテキパキしていて分かりやすい。会社でも、リーダーを努めているんだろうなぁと、弓波は兄を見ながらそう思った。


 ––––しばらくして、肉とにんじん、玉ねぎが炒まったので、弓波はホールトマト缶をフライパンに一缶入れ、コンソメを一粒溶かし、塩胡椒を適量加えた。


「じゃああとはこのまま二十分くらいこのままにしておけば、ソースは完成する。

次は麺を茹でよう。当日は先輩とお前の分も作るから、二人前だよな」


 兄はそう弓波に確認する。


「そうだよ。二人前作るから、大体百六十グラムくらいでいいかな」


 弓波はそう呟き、計りで麺を計った。


「その前に、鍋に水を入れて沸騰させよう」


 兄はそう言って弓波を制止する。


「それはできるよ。麺を計るのと、水を沸騰させるのは任せといて」


 弓波はまたも兄に噛みつき、一人で鍋に水を入れ、それをコンロの火にかけた。

そして極めつけに、兄にドヤ顔をしてみせた。


「なんだ今のドヤ顔は」

「これくらいなら、兄貴に教えてもらわないまでもできるって示したかったんだ」


 弓波はコンロの火を見つめながら言った。


「じゃあ、鍋が沸騰するまで、しばらくは暇になるな」

「なんか最近の近況でも話す?」


 弓波兄弟はそう言い合った。


「じゃあ、まずは俺から。最近調子はどうなんだ?」


 まずは兄の方から口火を切った。


「うん、最近の調子はまぁまぁ順調だよ。会社もそこそこ頑張ってるしさ」

「そうか。弓波が会社を頑張ってるって聞けて安心だ」

「兄貴の方はどうなの?」

「俺はまぁ、会社の新しいプロジェクトに取り組んでてさ。そこの方針をどう取りまとめるか、苦戦してるよ」


 兄の話を聞くに、どうやら会社の企画課のリーダーになったらしい。そこでリーダーになった兄は、次の新しいプロジェクトをどうやって進めていくか、同じ課の者たちで話し合おうとしたらしい。

 しかし、意見の方向性が食い違い、中々話がまとまらなくて、困っているそうだ。


「ふーん、なんかめっちゃ大変そうだな」


 弓波は、自分が思っているよりも大変そうな状況に、相槌を打つことしかできなかった。


「まぁ、こうして今お前と一緒に料理を作っているだけでも、息抜きになるからな。

正直、呼んでくれて助かったよ」


 兄はそう弓波に向かって微笑んだ。


「それなら、俺も兄貴を呼んだかいがあったよ!」


 弓波も嬉しくなり、兄にそう言った。


「お、そろそろ沸騰しそうだ」


 兄が鍋の方を見たので、弓波も慌てて鍋を見た。小さな気泡が沢山水の表面にできていた。


「そろそろ沸騰しそうだぞと思ったら、塩を小さじ一杯分入れるんだ」


 おしゃべりもそこそこにという感じで、兄はそう弓波に指示した。


「了解!」


 弓波はそう言うと、塩が入れてある棚から、塩を小さじ一杯分掬い、鍋に入れた。

鍋に入れられた塩は、塊となって鍋の底の方に沈んだ。


「塩を溶かしたら、麺を入れるんだ」


 兄はそう弓波に促し、弓波は言われるままに麺を鍋に入れた。


「そのまま袋表記の時間通りに茹でるんだ。時々、麺を箸でかき混ぜれば、麺がくっつかなくてすむぞ。袋表記の時間通りに、タイマーをセットしておけよ」


 兄の指示は的確だった。麺がくっつかないようにアドバイスまでしてくれるなんて、懐が深いなぁと弓波は思った。


「そんなアドバイスまでしてくれるなんて、つくづく俺は兄貴の弟に生まれて良かったって思うよ」

「……急に変な事を言うなよな。まぁ、別に嫌じゃないが」


 兄は急に、何を言っているんだコイツは、とでも言うかのように引きつった顔を浮かべた。



     *



 ––––やがてタイマーが鳴った。麺が茹だった合図だ。


 弓波は、鍋からザルに麺を移し替えた。


「そしたら、麺のお湯を切って、ソースが煮てあるフライパンに入れるんだ。

あとは、ソースと麺を混ぜ合わせたら完成するぞ」


 兄はそう弓波に言った。

弓波は言われた通り鍋のお湯を切り、ソースがにてあるフライパンに入れ、ソースと麺を混ぜ合わせた。


「よくやったな、弓波! 完成したぞ!」


 兄はそう弓波を褒め称えた。


「やったー! あとはこれを皿に盛るだけだよね」


 弓波はそう言って、兄と協力してパスタを二人分の皿に盛った。



     *



「「いただきます!」」


 弓波と兄は二人同時にそう食前の挨拶をした。


「えっ、美味い! これ、ほんとにこれ俺が作ったの⁉︎」


 弓波はパスタを一口食べるなり、そう驚いて言った。


「うん、美味い。なんだ、ちゃんとやればできるじゃないか」


 兄もパスタを一口食べてそう言った。


「へへっ、兄貴にそう言ってもらえて嬉しい!」

「後で、このミートソースパスタのレシピを紙に書いておくから、しっかり

見ておくんだぞ。メッセージにも書いて送っておくから、しっかり見るんだぞ」


 兄はそう口酸っぱく言い、食べるのを中断して紙にレシピを書いていった。


「先にパスタを食わないと、冷めるって!」


 弓波がそう止めるのも構わず、兄は紙にレシピを書いていった。


「おい! 紙に書くのあとでいいから!」

「ちょっと待ってくれ、もうすぐ書き終わるから––––」


 再び兄と弓波の攻防(?)は続いた。



     *



「じゃ、今日はありがとうな、わざわざここまで来てくれて」

「いや、お前のためなら料理を作ることもわけ無いさ。また来るよ」


 弓波と兄はそう言い合って、別れた。

結局あの後、弓波の兄はレシピを全部紙にメモしてから、パスタにありついた。



    *



「冷めても美味いなんてな。これは革命だ!」


 兄はそう言ったが、弓波は口をとんがらせている。


「せっかくだし、冷める前に食べてもらいたかったよ……」

「悪かったよ」


 兄は弓波の不機嫌な表情を見て、謝った。



    *


 弓波は、兄が帰ってからソファでくつろいでいた。


「ふー……今日は疲れたけど、なんとかパスタが作れて良かった……」


 そう呟きながらスマホをいじっていると、ふとメッセージアプリから通知が来た。


 水越からのメッセージだろうかと思いながら、メッセージアプリを開いた。


『このメッセージをよく読んでおくんだぞ。お前のためにレシピを書いておいたからな』


 げっ、と弓波は呻きそうになった。


 メッセージアプリの通知は、水越からのメッセージではなく、弓波の兄からの、

ミートソースパスタのレシピが書いてある長文のレシピだった。















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