気候の神様

「お〜、おかえりー。そんなに青ざめて、一体どうしたの?」


 家に帰ると、気候の神様がふよふよ浮いて、待っていた。


「って、まだいたのかよ! やっぱり幻覚じゃなかったのか。

……ちょっと散歩に出たんだけど、悪寒がして、帰ってきたんだ」


 弓波が早くも気候の神様に突っ込んだ。


「うん、いたよ〜。一回この家からはいなくなったんだけど、暇で暇でしょうがなくてさ。またここにきたんだ。それにしても、寒気がしたなんて、災難だったね」


 気候の神様は楽観的な調子でそう言った。


「多分、九割くらいはあんたのせいな気がするんだけど……?」


 弓波が微笑んでいる気候の神様を睨みながら呟いた。


「……戻ってくる意味はあるのか?」


 水越が、警戒心を露わにして気候の神様にそう言った。


「そんなに怖い顔しないでよ。この家、居心地いいんだよね〜。君たちも

なんだか楽しそうな雰囲気を醸し出してるし」


 気候の神様は、弓波と水越二人を指差しながらそう言った。


「えっ、楽しい? まぁ俺は、毎日水越と一緒にいて楽しいよ。

あんたにそんな風に思われてたなんて、なんだか嬉しいな〜」


 弓波は、気候の神様に言われたことが嬉しかったのか、何やらニコニコしている。


「一体なんだ、あんたは? この家が居心地がいいとか言って……。もしかして、この家に住むつもりじゃないだろうな」


 ニコニコしている弓波とは対照的に、水越は警戒心を解かず、気候の神様に尋ねた。

 もし気候の神様がここに住むなんてことになったら、三人で住むことになってしまう。それは水越にとってはなるべく避けたい事態だった。

 そもそもこの家は二人で住むことが前提の家なので、二人以上––––つまり三人となると、何より狭い。そして、神様の寝床も用意しなければいけない。水越と弓波の寝室はあるが、神様の寝室になる空き部屋はない。


 水越がそんなことを思案していると、気候の神様がおもむろに口を開いた。


「そうだなぁ……僕としては、この家に住めるんだったら住みたいなぁ。なにより、

快適だしね」


 その返事を聞いた水越は、苦虫を噛み潰したような顔になった。困ったなぁ、神様が眠れるような寝床もないし、食費だって考えないといけない。それに、家賃もどうなるんだ? あ、でも待てよ。神様だから、そもそも食事や家賃は要らないのか。人間じゃないし。


 水越は頭を抱え、考えを巡らせていた。頭を抱えている水越を見て、気候の神様は何を考えているのか察したらしく、すぐに口を開いた。


「あ、僕は神様だから食費とか家賃とか、光熱費とか、そんなのは考えなくていいよ。そもそも僕、神様だから食事を摂る必要もないし」


 それを聞いた水越はホッと安堵のため息を吐いた。


「でも、寝る場所はどうするんだ? 空き部屋なくね? ソファでいいんだったら

リビングにあるけど」


 弓波が、まさに水越の一番聞きたいことを聞いた。


「ソファで寝れるの? 最高じゃん!」


 ソファ、という単語を聞いた気候の神様はサンタさんにもらったプレゼントを開けるときの子供のようにはしゃいだ。


「すごい、ソファっていう単語だけでこんなにはしゃぐ人がいるんだ……。そもそも人じゃないけど」


 弓波が、はしゃいでいる気候の神様を珍しげに眺めた。


「うんうん、僕は普段神の国にいるんだけど、そこではこんなフカフカしたものはないからね」


 気候の神様は、ソファを触りながら言った。


「えっ、神の国? それって、どんなところなんだ?」


 弓波が気候の神様に興味を持ったように、身を乗り出した。


「つまらないところだよ。神様はそれぞれ与えられた役職通りに仕事をしないといけないって決まっていてね。たとえば僕は”気候の神様”だから、人間界の気候を操ることができるんだ」


 気候の神様は、そう説明口調で言った。


「へぇ。やっぱり神様の国にも仕事があるんだな〜。大変だな、俺も仕事してるから気持ち分かるぜ!」


 弓波はうんうんと頷き、気候の神様に同意を示した。


「仕事サボってたら怒られるしさ〜。本当に嫌だよ」


 気候の神様は、やれやれといった顔をしてそう愚痴をこぼした。


「仕事サボってって……今のお前の状態は大丈夫なのか?」


 水越が、怪訝な表情で気候の神様に尋ねた。いま気候の神様は、、どう考えてもソファに寝っ転がってダラリとリラックスしている。これでは、仕事をサボっていると

誤解されても仕方がないだろう。


「うーん。今日は別にお休みだから平気だよ。たまには神様も羽根を伸ばして休まなきゃね!」


 そう気候の神様は伸びをして言った。もう完全に自分の家でリラックスしている感じである。


「神の国だと、ソファもお菓子もあんまりなくてさ。娯楽が少ないんだ。だから人間の世界は、僕にとっては最高な場所だよ!」


 気候の神様は寝転がりながら言った。


「へぇ、神の国っていうから、天国みたいな感じで毎日楽しくて、娯楽とかもたくさんあるのかと思ったけど、なんかイメージと違うな。じゃあ、あんたにとってはこの

人間の世界が極楽ってわけなのか」


 弓波が、いかにも期待外れだと言った調子で言った。弓波にとっては、神の国は極楽で、仕事なんかしなくてもいい場所だと思っていたのだろう。


「そうそう。神の国は、仕事ややることが多くてさ。もう大変なの!」


 気候の神様は、いつの間にかソファから離れ、また空中にふよふよと浮いていた。


「そういえば、さっき雷とかを鳴らしたり、こうやって涼しくしたりしてくれたけどさ、それって上司? 的な人に怒られたりしないの?」


 弓波が、ふと疑問を口に出した。

気候の神様は、目をぱちくりと瞬きしてから、アハハと笑いながら言った。


「大丈夫大丈夫! まぁ、うちの上司は仕事の時は厳しいけど、それ以外は基本的におおらかな神様だからね〜。一回雷を起こしたり、急に気温を下げたりするなんて、どうってことないよ」

「それなら心配ないか……?」


 弓波はそう言ってから、自分がふと気候の神様に親しげに話していたことに気がついた。

 気候の神様は、こちらに敵意や悪意は一切なさそうだし、一緒に住んでみてもいいかもな、とまで思い出した。


「まさかお前、一緒に住もうとか言い出すつもりじゃないよな?」


 水越が、まるで弓波の頭の中を覗いたかのように、そう弓波に尋ねた。


「えっ? そんなこと……まぁ少しは思ってるけど、そもそもこいつの同意もとれてないうちからそんな提案しないって!」


 弓波がそう気候の神様を指差しながら、慌てて言った。

本当か? と水越はまたも怪訝な表情をした。


「うーん、冗談のつもりで言ったんだけど、本気にしちゃった感じ? 大丈夫だって。そもそも、上司と交渉しないといけないし」


 気候の神様は、そう茶化すように言った。


「なるほどな。やっぱり、人間社会と同じで、上司と交渉とかしないといけないのか」


 弓波は、いかにも興味深いといった様子で頷いた。


「待ってくれ」


 水越が声をあげた。


「そもそも、急に気温を下げたりする奴がいるなんて、俺たち人間にとっては大迷惑なんだよ。人間の身体は繊細だし、お前たち神様が指一本でチョイと気温を下げるだけでも、人間は簡単に体調を崩す。そんな恐ろしいことができる奴を、易々と野放しにしておけるのか……?」


 水越は、なおも猜疑心に駆られているといった表情だ。気候の神様に突っかかっている。気候の神様はポカンとした表情をしている。


「ま、まーまー。そんなに怒ったように言わなくてもいいだろ? 悪寒も、家に戻ったら治まったし」


 水越を弓波が宥める。


「確かに、ちょっとやりすぎたね。人間が僕を呼んでくれて、勝手に舞いあがっちゃったかも……。ごめんなさい」


 気候の神様はそう謝罪をした。


「……分かってくれたのなら、いいんだ。俺もちょっと言いすぎてしまったな、すまなかった」


 水越も、自分の言動を反省し、謝罪した。


「……考えてみれば、僕の気まぐれで人間にストレスを与えてしまってたのなら、悪かったな……。僕、自分のことばっかりで、他人のこと考えてなかったかも」


 気候の神様は随分としおらしくなってしまった。


「ちょっとちょっと、そんなに反省しなくてもいいから! むしろ、俺は全然気にしてないし!」


 暗く思い雰囲気を打ち破ったのは弓波だった。


「確かに、すぐに気温を変えられると、勘弁してくれよって思うけどさ。これからは、そんなイタズラはなるべく減らせばいいんじゃないか?」


 弓波はそう提案した。


「君の言う通りだ。イタズラはなるべく減らすことにするよ」


 気候の神様は、ぐっと強い意志を持った瞳で、そう返した。


「はぁ……。じゃあもう行くね」


 気候の神様はそう言うと、窓枠に手をかけた。


「えっ、もう行っちゃうのかよ⁉︎ 仲良くなれると思ったのに⁉︎」


 弓波は慌てて引き留めようとしたが、気候の神様は引かなかった。


「ごめん、僕はもう反省したんだ。この家にも、もう来ないよ」


 気候の神様は、そう言ってすぅっと消えてしまった。


「弓波。もうあいつは行ってしまったんだ。もうここは大人しく、

諦めた方がいいだろう」


 水越は弓波の腕に手をかけ、そう言い聞かせた。


「そっか。あいつはもう……消えちゃったんだな」


 弓波は空を見上げながらぼんやりとそう呟いた。


 二人で、しばし空を見上げていた。



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