ホットケーキ(その一)
「なぁなぁ、ホットケーキ作ろうぜ!」
「は?」
麗かに晴れた土曜日の午後。弓波が、急にそんなことを言い出した。急に弓波が突拍子もないことを言うのは、もう慣れている。しかし、ホットケーキが作りたいと言い出すとは思いもよらなかった。
「またどうしてホットケーキなんか、作ろうと思ったんだ?」
水越は、本を読む手を止め、そう弓波に問いかける。
「なんか、たまたま動画投稿サイトに流れてきたんだよな。それを観て、
あー美味そうだなって思って」
弓波は今すぐ食べたいといった様子で、水越に向かってそう熱弁する。
「なるほど、理由はそれか。でも、外に食べに行くのじゃダメなのか?
ほら、原宿に美味そうなパンケーキ屋があるだろ」
水越はそう提案した。原宿には人気のパンケーキ屋がいくつかあり、
テレビで紹介された店もある。
「いや、俺はパンケーキじゃなくてホットケーキがいいの!
それに、外で食べるんじゃなく自分で作りたいんだよ!」
弓波は、そう牙を剥かんばかりに反論する。おっと、今日の弓波は
いつにもまして強情だな。水越は急に威勢よく言った弓波に少々驚きつつ、
そう確信する。
「はいはい、わかったよ。でも、お前、一応聞くけどパンケーキとホットケーキの違い分かって言ってるのか?」
水越は読んでいた本を完全に閉じ、弓波に確認する。まぁ、俺も正直明確な違いは分かっていないんだが。と、水越はふと思った。
「あぁ、パンケーキの方がお店で食べるイメージがあるな! それで、ホットケーキは家で自分で焼いて食べるイメージ!」
弓波はそう得意げに言う。水越は、弓波の答えに納得する。確かに、水越も先ほど
パンケーキ屋と、言ってしまった。パンケーキ屋と言ったからには、水越の中にも
パンケーキは店で食べるものというイメージがあるのだろう。
「そうか、確かにパンケーキは店で食べるイメージがあるな。それに対し、ホットケーキは家で自分で作るイメージだ。でも、本当にパンケーキとホットケーキの違いはそれだけだろうか」
「は? 急に何言ってんの」
水越が、腕を組み、急に真面目にそう考え込む。そんな水越を、弓波がきょとんとした顔で見つめる。
「パンケーキとホットケーキの違いは、厚さだと思うんだが。厚いのがホットケーキ。逆にホットケーキよりは薄いものがパンケーキだと思う」
「へー、ホットケーキより薄いものがパンケーキなのか。勉強になるぜ〜」
「おい、俺の話を真面目に聞いていないな?」
水越は、弓波にホットケーキとパンケーキの違いの弁舌を振るったが、弓波は
上の空だ。まるで聞いていないかのように適当に相槌を打っている。
水越はそんな弓波に眉をひそめながら不機嫌そうに尋ねる。
「いやいや、ちゃんと聞いてたって!」
弓波はそう慌てて言う。
「と、ともかくさ、ホットケーキ作ろうぜ!」
あ、また話を逸らしたな。と水越は冷めざめと思った。
「あぁ、まぁいいさ。で、材料はあるのか?」
水越は怖い顔をしながら弓波にそう問い詰める。いくらホットケーキを作ろうと
思っても、材料がないのでは話にならない。
「材料? あるぞ! 卵に、牛乳! あとはホットケーキミックスだろ?」
弓波は、そう自信満々に胸を張ったが、こいつの言うことはどうも信用ならないな
と水越は、怪訝そうに弓波を見つめる。
水越はテーブルをコンコンと叩き、ある提案をした。
「本当に材料があるのか、ちゃんと証明して見せろ。俺の前でな」
「げっ、なるほどね。そういう確認制ですか〜……。分かりましたよ、
ちゃんと材料並べて確認しますって」
弓波は、いつもより水越が威圧的だと察しながら、そそくさと冷蔵庫から材料をとりだした。
まずはパックに包まれた卵。それから昨日スーパーで買ってきた牛乳。そして、
冷蔵庫の奥にあったホットケーキミックス。
「ほらほら、ちゃんとあったでしょ?」
弓波はこれらを意気揚々とテーブルに並べ、水越にドヤ顔をしながら言う。
「あ……ほんとだ。すまないな、疑ったりして」
ちゃんとホットケーキミックスの材料があることを確認した水越は、さっきの
威圧感はどこへやら、主に叱られた飼い犬のように
「……それにしても、弓波が材料をちゃんと揃えているなんて……稀有なことも
あるもんだな」
水越は驚きのあまりそう言わざるをえなかった。
「失礼な! 俺だって、何も後先考えずにホットケーキ作ろうなんて言うわけないし!」
弓波はそう頬を膨らませながら言う。
それは悪かったな、と思いながら水越は何気なくホットケーキミックスを手に取る。
「ホットケーキミックスって、確か裏面に作り方が書いてあるんだよな……
えーと、どれどれ……」
水越は、ホットケーキの作り方を確認するために、裏面を確認した。
「いやぁ、ホットケーキミックスちゃんとあって良かった〜。早速つくろ––––」
「ちょっと待て! 全くお前ってやつは! 裏面を確認してみろ!」
弓波が、意気揚々とそう呟いたとき、水越の叫びが聞こえ、目の前にホットケーキミックスをずいと突きつけられた。
え、なんで水越はこんなに憤慨してるんだ? 弓波はそう思い、水越が突きつけた
ホットケーキミックスの裏面を恐る恐る確認する。
ここで弓波は、はっと息を呑む。賞味期限の欄に、今日の日付より前の日付が書かれていた。
途端に、弓波は青ざめる。
「あっ……と、しょ、賞味期限が切れてたのか……。い、いやーアブナカッタナー。
知らずに作ってたらお腹壊しちゃうところだったし。それに気づいたのナイス!」
弓波は必死に水越の機嫌をとろうとしたが、水越は既に般若の形相をしていた。
「お前なぁ……知らなかったで済まされないんだぞ。この時期だし、食中毒にでも
なったらどうするつもりだったんだ?」
般若の形相で烈火の如く怒るかと思わず身構えた弓波だったが、意外にも水越はため息をつき、小さい子供に諭すように、弓波にそう言った。
「わ、悪かったって……。それに、気づかないで作っちゃうよりも、気づいたんだから良かっただろ……?」
てっきり水越が怒鳴り散らすのかと思っていた弓波は、意外に冷静な水越の様子に
拍子抜けしつつ、しっかりと頭を下げ、謝った。
そんな弓波の姿を見て、水越はため息をつきながら言う。
「はぁ……。分かったよ、弓波。ちゃんと俺がホットケーキミックスを買ってくるさ」
「え……! いいのか⁉︎」
弓波は、目をキラキラさせながら水越を見る。
「あぁ、俺が買いに行った方が確実だからな」
「うっ……失礼な……と、思ったけど今の俺の現状を考えたら、ぐうの音もでない……」
水越は歯に衣着せぬ物言いでそう言い、それがどうやら弓波にグサグサと刺さったようだ。
「じゃあ、買ってくるからさ。お前は良い子にそこで待っていろよ」
水越は玄関で靴を履き、弓波にそう釘を刺す。
「俺は犬かよ! 分かってるよ、待ってますって。じゃあ、水越がホットケーキ
ミックスを買ってくる間に、俺は作り方をレシピサイトで確認しておくな!」
弓波は、さっきの謝った時のしおれた態度とは一変し、元気にそう言った。
全く調子が良いな……と思いながら、「じゃあ、行ってくる」とだけ言い残し、
水越は玄関のドアをパタリと閉めた。
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