第8話 黒鳥と赤いチューリップ
そうして私はエルネスト殿下の提案に乗り、部屋に籠もることにした。ミュゼット嬢とは違い、未だ毒の影響で臥せっているという設定で。
すると、思わぬ人物が見舞いにやってきた。いや、当然といえば当然なのだが……。
「デルフィーヌ嬢……」
部屋に入ってくるなり、心配そうな声で私の名前を呼ぶファビアン様。まさか彼が来るとは思わず、罪悪感に苛まれる。
いや、ファビアン様だって、ミュゼット嬢の言葉を信じた側の人間だ。そんな感情を抱く必要はない。それでも王妃候補らしく、ベッドから起き上がって挨拶をした。
「見苦しい姿で恐縮なのですが……」
「無理して起き上がることはないよ、デルフィーヌ嬢。ここは公的なところじゃないんだから」
「ありがとうございます」
「それよりも、体調はどうなんだい?」
本当はもう、万全だった。毒による後遺症もない、と医者からの診断も受けている。
けれど心配したエルネスト殿下が、念のためにと今も密かに治癒師をつけてくださっているのだ。
ミュゼット嬢が私の暗殺を諦めるとは思えない。その判断が故に。
目の前にいるファビアン様は、どこまでご存知なのだろうか。一瞬、そんな疑問が脳裏を過った。
「問題はありません。皆が心配するので、念のために休んでいるだけですわ」
私は嘘と本当を混ぜた。その方が信憑性も増す。
「うん。そうだね。デルフィーヌ嬢は昔から周りに迷惑をかけないように、無理をするところがあるから」
「それはファビアン様もですわ。ちゃんとお休みになられているのか、心配です」
「ありがとう。でも、今はデルフィーヌ嬢が……」
まるで心配した、と謂わんばかりの口調だった。だから私も、つい愛想のない態度を取ってしまう。
「ミュゼット嬢も寝込んでいると聞きました。そちらにはもう、行かれたんですか?」
「何故? デルフィーヌ嬢の方が大変じゃないか」
「でもファビアン様は……」
「あの場を収めるには仕方がなかったんだよ。母上もいらっしゃったから」
ファビアン様の言い分は理解できる。二人の王妃候補の間で、どのように収めるのか、それもまた、王の素質を見られていたのだろう。
「お蔭で私は、自作自演という汚名を受けました。ファビアン様もそうお思いなんですか? 私が自ら毒を飲み、ミュゼット嬢を陥れようとした、と」
「思わない……が、調べてみないことには」
「ファビアン様の方でもお調べに?」
すでにエルネスト殿下が動いているけれど、飽く迄これは正式な捜査ではない。逆にファビアン様が動いてくださるのなら……。
「当然じゃないか。王宮で起きた事件なんだから」
「……そうですね。平等に捜査してくださるのなら」
何を期待していたのかしら。すでにミュゼット嬢の意見を聞き入れた時点で、私の味方ではない。ううん。その前から味方ではなかった。
平等に扱ってくれると本当にいうのなら、他にやり方はあったはずだ。
その場を収めるのならば尚更、権力を振るい、指揮を執って、ミュゼット嬢の侍女であるオルガを拘束できたのではないだろうか。
そうすれば、あの給仕が殺されずに済んだというのに……。
私は出て行ってとも言えず、顔を背けた。
「何か分かったら、もう一度ここに来るよ。だからそれまでは養生……いや、用心してくれ」
「っ! それはどういう……」
振り返った時にはもう、ファビアン様は私に背を向けていた。
やっぱり、と思っていたら数時間後に私の好きな花、赤いチューリップが部屋に届けられた。ファビアン様のメッセージカード付きで。
けれどそれは、一日では終わらなかった。次の日も、次の日も。
見舞いなのか、詫びなのか、気がつくと、部屋の中は赤いチューリップで埋め尽くされていた。
***
エルネスト殿下は、これも予測していたのだろうか。あの日、私に助言したのは、たった一言だった。
『しばらく寝込んでいてほしい』
それだけのことだったのに、気がつくと、ミュゼット嬢の立場は悪くなっていた。
やはり、毎日送られてくる、赤いチューリップが要因だろうか。チューリップ自体の花言葉は「思いやり」などがあるが、赤いチューリップは……。
「愛の告白、真実の愛、私を信じて」
いくら私の好きな花でも、ファビアン様が知らずに送っているとは思えない。花言葉の意味も込めて贈るのが紳士の嗜みだからだ。
故に、その噂が広まるのは、あっという間の出来事だった。部屋に籠る私の耳にも届くほどに。
それ以外にも、時々やってくるエルネスト殿下とノエから、私は王宮内の情報を得ていた。
本来ならば実家であるグラヴェル公爵家の力を借りて、情報を集め、身の潔白を明かしたかった。けれどそれはできない。王妃候補の平等性を図るために、禁止されているのだ。
公爵令嬢の私と侯爵令嬢のミュゼット嬢。たとえ同じ爵位でも、経済状況など同じ家は存在しないという理由で。
逆に王宮内で得た力は使っても良いことになっている。それが、私にとってエルネスト殿下の存在だった。
今日も私のお見舞いと称してやってきたエルネスト殿下の手には、赤いチューリップが握られている。
「もう飽きたと思うが、兄上から」
「ありがとうございます」
「それからデルフィーヌ嬢に朗報だ。このチューリップだけではなく、押し花の効果もあってか、評判が良くなってきている」
ファビアン様からいただいたものを、方々へお裾分けするわけにもいかず。苦肉の策で編み出したのが、押し花だった。
さらにこれを、刺繍したハンカチに包んで、エルネスト殿下を始めとする見舞い客、主にお父様とお母様に託している、というわけである。
それが誰の手に渡っているのかは分からない。が、ファビアン様や王太后様の手にまで渡っているとのことだ。
「ただ籠っているだけなのに、悪い気がします」
「いや、それはミュゼット嬢も同じ条件なのだから、気にする必要はない。調査を終えない限り、二人とも謹慎処分が下されているんだからな」
「そうでした」
ファビアン様の調査が進むにつれて、私も寝込んでいる、という表立った言い分から謹慎へと変わった。と、同時にミュゼット嬢もまた。
「あれから、何か進展はありましたか?」
「こちらの調査を兄上に報告したのは、覚えているか? 念のために裏付け調査が行われ、今はその検証をしている」
「握り潰される、なんてことはありませんよね」
「疑り深いのは悪いことではないが、ノエたちが監視に当たっているから、問題はないだろう」
私はその言葉に安堵した。
「では、私の無実もいずれ証明されますのね」
「あぁ。それは間違いないだろう。ミュゼット嬢の罪も」
そう信じていたのに、ある出来事がこの事件をあやふやにさせるとは、思ってもみないことだった。
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