第6話 黒鳥を包むフルーティーな香り

 広大な王宮には、幾つもの庭園がある。

 ミュゼット嬢が選んだ庭園は、主に外部の者を招くのに使う場所だった。だから私も、度々来たことがある。


 美しく咲き誇る、花の数々。どんな方を招いても、必ず好きな花は見つかるのではないか、と噂されているほどだった。

 そんな馴染みのある庭園だからこそ分かるのだ。その違和感に。


「もしかして、あの一角に見える赤い薔薇ですか? その、仰っていた……」

「そう、香りが強い、といってもさすがに近づかなければ、分からないだろうけど」

「分かったら大変ですよ。香水だって、強すぎるのは却って顰蹙ひんしゅくを買いますもの」


 それこそ公害レベルで、と笑ってみせると、エルネスト殿下はバツが悪そうに頬をかいていた。


「ともかく、庭師が来る前にその薔薇を見たいですわ」


 私は急かすようにエルネスト殿下の腕を引いた。


「庭師が来る前?」

「えぇ。説明を聞きながら見るのも悪くないんですが、第一印象を邪魔されてしまいますでしょう?」

「……つまり、先入観なく見たい、ということか?」

「はい。エルネスト殿下と同じですわ。ファビアン様の弟君、という情報だけでお会いしたからでしょうか。今もこうして、肩肘を張らずにおつき合いできているんですもの」


 あら、でもこれって、不敬になるのかしら。


 急に不安になって顔を窺うと、驚いた表情をされた。


「それはなんというか、複雑な気分だな」

「複雑? やはり失礼なことを!?」

「いや、違うんだ、デルフィーヌ嬢。その、因みに兄上は?」

「ファビアン様ですか? そうですね」


 ダルモリー王国の第一王子ともなると、わざわざ集めなくても、勝手に情報はやってくる。

 さらに、グラヴェル公爵家に生まれた令嬢だからか、年齢も近いこともあって、幼い頃から顔を合わせる機会が何かと多かった。


 二つ年上のファビアン様。けれど、一番年の近い王子は、エルネスト殿下だった。何せ、私と同い年。話し易いと感じるのも仕方がなかった。


「とても優秀で、将来が楽しみだと皆様は仰られていましたが、実際お会いして感じたのは、同じだと思いました。私と」

「兄上が?」

「無理をなさっているのが分かるんです。好きなことも嫌なことも、周りの期待に応えることが前提で動いていらっしゃる。良く言えば器用。悪く言えば……」


 己を持たない操り人形……。

 そんなことを言えば、本当に不敬罪で捕まってしまうだろう。いや、兄の悪口を言われたら、エルネスト殿下でも気分を害される。何せ、ファビアン様と同腹なのだから。


「ともあれ、そういう方ですから、ミュゼット嬢のように、自由奔放な方が傍にいるのは心地よいのではないでしょうか」

「アレを自由奔放……といえるところがデルフィーヌ嬢の凄いところだな」

「私にはあのように振る舞うことはできませんから」


 支える側の私が、頑張っているファビアン様に甘えるなんて……無理に決まっているわ。


 歩きながら話をしていたからだろう。考え込んでいると、そっと目の前に赤い薔薇を差し出された。

 葡萄のような、それでいて甘酸っぱい香りが鼻を掠める。

 甘ったるい香りが多い薔薇の中で、こんなにもスッキリした香りだなんて。


 思わず顔を近づけたところで、あることに気がついた。


「エルネスト殿下、これはその、新種の薔薇ですよね」

「あぁ。なかなかいい香りだろ?」

「えぇ。ですが、切ってしまっていいんですか? 勝手に」


 そう、差し出された薔薇は、完全に独立していた。枝の先も、ついているはずの棘さえもないのだ。

 しかも香りが残っている、ということは、前もって用意していたわけでもない。ついさっき、切ったとしか思えなかった。


「問題ない。庭師には許可を得ている」

「そうなのですか。……いえいえ、いつ、お切りに? 全く気がつきませんでしたわ」

「……まぁ、これでも元王子だからな、御目付役やら護衛やら、色々いるんだ。その連中が気を利かせて……デルフィーヌ嬢には迷惑だったろうか」

「いいえ。そういうことでしたら、喜んで」


 その赤い薔薇を受け取りながら微笑んだ。


 善意には善意でお返ししたい。エルネスト殿下の為にやった行為なら、尚更だった。


 そうしている間に、庭師が到着した。


「ジグリーナ?」

「はい。それがこの薔薇の名前です。作った者の名前をもじって名付けられたとお聞きしました」

「ジグ、ジグ……いえ、ジルベールかしら」

「そんなところでしょうな。何でも、甘いダマスクとは違った香りを作りたくて出来た薔薇らしく。見た目はクリムソン・グローリーと変わりません」


 クリムソン・グローリーとは、この庭園に咲く深紅の薔薇のこと。ダマスク系の香りを強く放つため、近くを通るとすぐにでも分かるのだ。

 だから生花を身につけている者もいる。香水の代わりにと。


「デルフィーヌ様も身につけられますか?」

「よろしいの?」

「はい。その方がこのジグリーナも喜びます」

「ありがとう。素敵な香りに包まれて幸せだわ」


 そういうと、エルネスト殿下は私からジグリーナを取りに、髪に挿してくれた。黒髪には赤い薔薇がよく映えると思う。何せ、私の目の色と同じだからだ。


 けれどまさか、これが原因で毒に気づけなかったとは思わなかった。僅かな毒の匂いさえ分からないほど、私の体はフルーティーな香りに包まれていたからだ。



――――――――――――――――――


ジグリーナという薔薇は、現存するバイオリーナという薔薇をモデルにしています。

バイオリーナはピンクの薔薇をしているため、作中で使うことができませんでした。

しかし、葡萄のような甘酸っぱい香りをしている、素敵な薔薇です。

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