第3話 事件前、ひと時の幸せを味わう黒鳥

 今日のお茶会の朝は、いつもと変わらない日だった。

 朝から慌ただしい音が聞こえるのは、王宮ならではの日常。毎日、何かしらの行事が控えているからだった。


 王妃候補に選出されてからというものの、私の住まいは王宮へと移動を余儀なくされた。国王であるファビアン様の公務を手伝ったり、補佐をしたり。

 王妃に相応しい振る舞いをするには、王宮に通っている暇がなかったのだ。


 ミュゼット嬢と二人で分散しているからさほどではないが、これを一人でやるなんて、果たしてできるだろうか。

 そんな不安を抱くほど、王妃という役割は大変なものだった。


「それになりたいがために、私を貶めるなんてね」


 黒鳥。


 無駄な努力という意味もある言葉。ミュゼット嬢はただ単に、自らを白鳥と比喩ひゆするために揶揄やゆしたわけではないだろう。

 そう、私に「さっさと退場しろ」と暗に言っているのだ。


「できるわけがないでしょう。そんなことをしたら、お父様に怒られてしまうわ」


 家にだって入れさせてもらえなくなってしまう。


 今まで、何不自由なく育ってきた私が家を追い出されたら……考えただけでもゾッとした。

 だから嫌でも何でも、この王宮にしがみつくしか選択肢はないのだ。


 私は机の上にある、一枚の手紙を取る。


「ミュゼット嬢主催のお茶会かぁ……」


 思わず溜め息を吐いた。


「行きたくないな」

「デルフィーヌ様……」


 グラヴェル公爵家から連れてきたメイドのパルメが、心配そうな声で私の名前を呼んだ。

 気をつけていたのに、心の声が口から出てしまったらしい。


「大丈夫よ、パルメ。ちゃんと出席するから」

「そういう意味ではありません。行きたくないのであれば、根回し致します。ですから――……」

「ダメよ。そしたら、エルネスト殿下に迷惑がかかるもの」


 今回のお茶会も、エスコート役を買って出てくれた。

 本来、お茶会にエスコート役は必要ないのだけれど、主催がミュゼット嬢だからだろうか。気を遣ってくださったのだ。


 もしかすると、ファビアン様を連れて来て、自分の優位を誇張するばかりか、あることないことをいうに決まっている。

 そうして私を悪役に仕立てるのだ。黒鳥というあだ名をつけた時のように。


「舞踏会のエスコート役だってしてくださっているのに、お茶会までなんて。無下にしたら罰が当たるわ」

「そうですね。特に最近のファビアン様は、ミュゼット嬢ばかりエスコートなさいますから。エルネスト様の配慮に感謝しなくてはなりませんね」

「えぇ。王妃候補である私をエスコートできる人物は限られているから、とても助かるわ」


 何しろ、相手がいない場合、公爵であるお父様か、男兄弟。あとは従兄弟などを宛がうのが定番だ。


 けれど、それは王妃候補である前に、一令嬢として屈辱以外の何ものでもない。

 社交界に出たばかりの令嬢ならいざ知らず、グラヴェル公爵令嬢がそんな恥ずかしい真似……!


 だから、王弟であるエルネスト殿下は、最高のパートナーだった。ファビアン様の代わりというには忍びないほどに。


「今日のお召し物は如何いたしますか?」

「そうね。緑色の布地に黄色い刺繍がされていたドレスがあったでしょう。舞踏会ではないから、それにするわ」

「いいですね。宝石も散りばめられていて、高級感が垣間見えますから、ミュゼット嬢がどんなドレスを着てきても、絶対に見劣りなんてしません!」


 待っていろよ。打倒! ミュゼット嬢!

 ドレスルームに向かうパルメの後ろ姿が、そう言っているように見えた。


 まるでパルメの方が、お茶会に出るみたいね。うん、頑張ろう。応援してくれる、パルメの為にも。



 ***



 支度を終えた頃、見計らったかのように、扉がノックされた。

 姿を見せたのは案の定、エルネスト殿下だった。


「今日も抜かりはないようだね」


 フッと微笑む表情は、やはり兄弟なのか、ファビアン様によく似ていた。


「ありがとうございます。エルネスト殿下も素敵ですわ。白いお召し物をされていると王子様のように見えます」

「まぁ、元王子だからな」

「いいえ。そういう意味で言ったのではありません。私にとってエルネスト殿下は王子様ですから」


 公の場でも、非公式の場でも、こうして気遣ってくださる。それだけで十分な理由ではないだろうか。


 そう思ったんだけど、何故かエルネスト殿下に苦笑いされた。


「っ! プライベートでも、兄上以外の男性にそういうのは……けれど、謝辞しゃじとして受け取っておくよ、デルフィーヌ嬢」


 エルネスト殿下は私に手を差し伸べる。まだ行く時間ではないけれど、お茶会の会場である王宮の庭園を散策するのもいいかもしれない。

 私は何の疑問も抱かずに、その手を取った。


 すると、勢いよく手を引かれ、椅子から引き離された。

 向かう先は、勿論エルネスト殿下のところ。「あっ」と思った瞬間にはもう、エルネスト殿下の胸元に手をついていた。


 お戯れをと言うべきところなんだろうが、拒絶の言葉を口にすることができなかった。


 脳裏に浮かぶ、壁の花となった自分の姿。

 舞踏会に一人で行く虚しさ。

 煌びやかに映るファビアン様とミュゼット嬢。

 それをいつも支えてくださっているのが、エルネスト殿下なのに……!


「も、申し訳ありません」

「何が?」


 惚けたように首を傾げ、さらに私の腰に手を回される。思わず跳ねる私の心臓。

 王族とあって、エルネスト殿下のお顔は整っており、私の相手をしなければ、すぐにでも結婚されるのではないかというほど、人気の御方。


 舞踏会に出席する度にダンスをしていたけれど、ここは私の部屋。気持ちの持ちようが違う。


 なるべく聞こえないように、少しでも距離を取りたくて、私は身を引くように俯いた。


「デルフィーヌ嬢。もうすぐ大きな舞踏会があるのは知っているか? 隣国ヘイジニアの王子と王女のための」

「え? あ、はい」


 ファビアン様からは出席の旨を言われただけで、エスコートの話は出なかった。すでに、私ではなくミュゼット嬢を選ばれていたのだろう。


「少し時間があるからその練習でも、と思ったんだが、ダメだったかな」

「そんなことはありません。が、先に言ってくだされば良かったのに」


 変に勘違いしてしまいますわ、とまでは何故か言えなかった。


「たまたま時間ができたから、思いついただけなんだ。デルフィーヌ嬢はダンスが好きだろう」

「えぇ。好きな音楽を聞きながら、体を動かしても怒られませんから」

「これからストレスを溜めに行くんだ。少しでも楽しいことをして時間を潰した方が、いいと思わないか?」

「ふふふっ。全く、その通りですわね」


 気がつくとパルメが竪琴を持ち出して、弾き始めた。グラヴェル公爵家からパルメを連れてきた、最大の理由が竪琴だった。

 パルメの奏でる、美しい音色が大好きで、迷わず彼女を選んだ。


 竪琴が奏でる軽やかな曲に合わせながら、エルネスト殿下と踊るダンス。その日、一番幸せな時間だった。



――――――――――――――――――


黒鳥についての補足。

ここでいう黒鳥はブラックスワンのことで、ミュゼットがデルフィーヌを揶揄するためにつけたあだ名です。


黒鳥が発見されるまで、黒い白鳥はいないものとされていたらしく、探すこと=「無駄な努力」という意味から、そういうことわざができたそうです。

けれど、発見されてからは、「常識を疑うこと」「物事を一変させること」の象徴になった、とか。


作品の舞台である中世ヨーロッパでは、まだ黒鳥が発見されていない時代のことなので、「無駄な努力」のままとなっています。

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