scene 6. 運命のピース

「うん、やっぱりこれでなくちゃね」

 ブラウンブレッドにスキッピーのピーナツバターと、ミセス・ミラーのブラックベリージャムを塗ったサンドウィッチPB&Jを手に、ふたりは公園のベンチに並んで坐っていた。


 あのあと、女性は程無く店に戻ってくると、無事に落とし物の財布を渡してきたと息を切らしながら報告した。ストアの店主も感謝し、ふたりが順番にジャムの代金を支払うと、サービスだと全粒粉のパンブラウンブレッドをつけてくれた。

 そしてロザリーと名乗ったその女性は、いいことを思いついたと云ってジョニーを公園に誘ったというわけだ。


「もうひとつ食べる?」

「う、うう、ううん……も、ももももう、い、いい」

 ジョニーは恥ずかしくて下を向いた。なんだかいつもよりも吃りが酷くなっている。きっとロザリーがこんなに綺麗で可愛くて、素敵な女性だからだ。

 こんな優しい女性であっても、自分がまともに話せないでいればきっとそのうち、苛つき、呆れ、溜息をついて離れていく。これまで、ずっとそうだった。それが堪らなく怖い。怖いからなお、喋れない。

 だがロザリーは、なにも云わずただ黙って、空を見上げながらサンドウィッチを食べていた。視線を感じたのか、ふとこっちを見て目が合うと、にっこりと微笑む。その笑顔は自分が浮かべるのと同じように、美味しいね、と云っているように感じられた。

 その瞬間、なんだかとても幸せな気分になれた。この女性ひととなら、言葉なんてなくても通じあえるのではという気がした。ついさっきまで怖れていた過去の亡霊も、どこかへ吹き飛んだみたいだった。

「いいお天気でよかった。空気は冷たいけど、なんだか気持ちいいわね」

 一月の公園はゆっくり過ごすには気温が低すぎたが、ロザリーの云うように陽が降りそそぎ、寒くて堪えられないというようなことはなかった。人影も疎らでジョニーにとっては落ち着けたが、さすがに指先がじんと冷えてきた。

 サンドウィッチを食べ終え、指先に息を吹きかけながら、そういえば飲み物を買わなかったなと気づく。こうして外で食べるなど、想像もしなかったからだが――

 ジョニーはさっきのストアの向かいにカフェがあったなと思い、ゆっくりと口を開いた。

「あ、温かいコーヒー……飲みに行かない? お、お礼に奢るよ」

 ――つい今しがた、いつもより酷くなっていると思ったばかりなのに。

 誰かにこんなふうにスムーズに話せたのは、もう何年かぶりだった。学生時代、仲のよかった友達と過ごした、あの頃以来だ。ジョニーは信じられないと興奮気味に笑みを浮かべ、ロザリーを見つめた。

「コーヒーを奢ってくれるの? 嬉しい、ありがとう」

 ロザリーは、柔らかく綻ばせた顔をこちらに向けた。冷たい空気に触れて薔薇色に染まった頬が、とてもチャーミングだとジョニーは思った。



 カフェで一緒にコーヒーを飲んだあと。ジョニーは送ると云ってロザリーと歩きながら、自分についていろいろな話をした。

 子供の頃から吃音の所為で苛められたり、いろんなことがうまくいかなかったこと。いちばんの友達が助言をくれたおかげで今、普通に働けているということ。しかしその友達はもうどこにもいないのだということ――そして、こうして軽い症状しか出ずに話せているのが、その友達と話していた頃以来だということ。

 ジョニーは、ロザリーはひょっとしたら看護婦で、吃音症について詳しいから途惑ったり厭な顔をしたりしないのかと思ったが、そうではなかった。ロザリーは看護婦ではなくバーベキュー&チリ・レストランのウェイトレスで、吃音についてなど初めて知ったと云った。そして、こう付け加えた――口にしないだけで、問題のひとつくらい、誰もがみんな抱えてるものよね。

 ロザリーは自宅に向かって歩いているのかと思いきや、またさっきとは違う公園に立ち寄った。落ち着ける場所にあるベンチに腰を下ろし、ロザリーは自分のことを話し始めた。

「私は、男の人が苦手なんじゃないんだけれど、その……夜のことができないの。あ、別になにか厭な経験をして、怖くてできなくなったとかじゃないのよ。たぶん、そう生まれついてるの。もともとそういうことに興味がないっていうか。どんなに好きになった人でも、したいと思えないの。

 でも、男の人はやっぱり、そんなの無理じゃない? これを云うと大抵、みんな困った顔をして離れていくの。じゃなきゃ、そんなの歓びを知らないからだとか云って強引に……おかげで、片手でバットを振るのがうまくなったわ。でも、そんなことがあっても誰も私の心配なんてしてくれない。母親でさえいつまで処女でいる気なの、結婚するつもりはないの? って私を責めた。理解してくれる人なんてひとりもいない。……でも、こんな女、他にいないもの。しょうがないわよね」

 ジョニーはその話を聞き、運命を感じた。

「お、俺も……その、で、できないんだ。今まで一度も、け、経験がない。お、俺、言葉がこんなだから、もう誰ともつ、つきあったりできないって――」

 ロザリーはジョニーが吃りながらする話を、厭な顔ひとつせず黙って聞いてくれた。そしてジョニーの言葉を繰り返し、首を振るだけでいいような質問をまじえてちゃんと理解しようと努めてくれた。

 これまで誰にも語ることなどなかった自分の半生について、ジョニーは堰が切れたように夢中で語った。そして語り終えたそのときには、ジョニーにとってロザリーはもう、かけがえのない存在になっていた。

 ロザリーは別に気の毒そうな顔をするでもなく、くすくすと笑いながら恥ずかしそうに両手を頬に当てた。

「なんだか変な感じだわ。初めて会った人とこんな話をするなんて」

 私たち、似た者同士ね。ロザリーはそう云ってから、小首を傾げてこう付け足した。

「あ……でも、できないのと、したいと思わないのとでは違うかも。……ねえジョニー。あなたは夜、ベッドで愛を確かめあうことのできない女でも、愛情を感じられる?」

 ジョニーは、自分にできる方法でせいいっぱい愛するよ、と微笑んだ。

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