第16話 新しい王

 馬車内の空気は重く、気を抜くと下を向いてしまいそうになる。隣に座るフェリックスが、そっとマチルダの手を握ってくれた。

 向かい側には俯いた老婆が座っている。二人乗りの車内はかなり窮屈で、きた時と比べて進みも遅い。


 あの後、マチルダは老婆と共に下山した。しかしその道中、会話は一言もなかった。


 仕方ないわ。脅して、ここへ連れてきたようなものだもの。


 薬の代わりに、安全を保障する。

 エルフたちにとって悪い話だとは思わない。けれど、対等な立場で話さなかったことも事実だ。


「今までの魔王と同じじゃ。力で、我らを思うように動かそうとする」


 ぼそり、と老婆が呟いた。違う、と断言できないことが悔しい。

 フェリックスはきっと、今までの魔王とは違う。弱いものを守ろうとしているし、誰もが生きやすい社会を目指している。


 でも、わたくしが今日とった行動は……。


 自分の希望を通すために、ルークの力を使った。


 けれど、どうすればよかったの?

 わたくしにだって、他の選択肢はなかったわ。


「すまない」


 フェリックスの謝罪に、老婆が顔を上げた。


「フェリックス様が謝ることじゃありませんわ。あれはわたくしがやったことですもの」

「でも、僕のためにやってくれたことだよね」

「それは……」

「それにね、マチルダ。責任をとるのは、王の務めだから」


 フェリックスは穏やかに微笑み、再び老婆へ頭を下げた。老婆は目を見開いてフェリックスを見つめている。


「君の言う通りだ。力で君たちを従えようとしたことを改めて詫びたい」

「……本気で、儂に謝っておるのか」


 老婆の眼差しが、少しずつ柔らかくなっていく。そしてゆっくりと、長い息を吐き出した。胸の奥にたまっていたものを、そっと捨てるように。


「今の魔王は変わり者だと、聞いてはおったが」

「昔日のような魔王は、この世のどこにもいない」


 そう語るフェリックスの表情には、いろいろな感情が込められている気がした。


「僕は、昔のような魔王になる気はない。いや、なれないんだ。だから本当は、力で言うことをきかせたかったわけじゃない。マチルダも同じ気持ちだと思う」


 ちら、とフェリックスがマチルダを見つめる。マチルダは頷いて、フェリックスを見つめ返した。


「でも、他に方法が思いつかなかったんだ。だから……」


 フェリックスは老婆に向かって、真っ直ぐ手を差し出す。


「共に考えてほしい。これから、どうしていけばいいのかを」

「……共に?」

「そう。一方的に考えを押しつける気はないし、その力もない。だからこそ、共に考えていきたいんだ」


 ああ、やっぱり、フェリックス様はすごいわ。

 こうして、真摯な気持ちを伝えることができるんだもの。


「長年生きてきたが、お主のような王は初めてじゃ」


 そう呟いて、老婆はフェリックスの手を握った。


「我らを保護するというのは、嘘ではないんじゃろう?」

「ああ。約束する。だから、力を貸してほしい」

「……ああ」


 老婆は揺れる車内で器用に立ち上がり、深々と頭を下げた。


「儂の名はフィオナ。エルフの長じゃ」


 顔を上げた老婆はそう名乗った。小柄なのに、やけに大きく見える。


「先代の父も、先々代の祖父も、魔物に襲われて死んだ。子も孫も、何人も殺されたんじゃ。……平和な世など、絵空事と思っておった。お主はそれを、本気で実現しようとしておるんじゃな?」

「ああ、必ず」

「……そうか」


 フィオナは窓の外に視線を向けた。

 そしてそのまま、ぽつりと呟く。


「共に夢を見るのも、悪くないかもしれんのう」




「これで、夜には熱が下がっておるはずじゃ」


 ベッドに横たわるノアを見て、フィオナがそう断言した。

 先程ノアは、彼女が調合した薬を飲んだのだ。


「よかったな、ノア。これで助かるぞ」

「ルーク様……」

「無理しなくていい。ゆっくり休め」


 頷いて、ノアはすぐに意識を手放した。たぶん、しばらくは目を覚まさないだろう。


「僕たちも、そろそろ休もうか」


 フェリックスの言葉に、その場にいたノア以外の全員が頷いた。ノアが倒れてから、ほとんどのものが一睡もしていないのだ。

 マチルダの体力は、とっくに限界を迎えている。


「これからのことは、また明日話そう」




「……今、何時かしら?」


 窓の外は明るい。おそらく、昼過ぎだろう。


「ええっと、確か、夜中にノアさんが倒れて、山を登ったのが早朝で、ここへ戻ってきたのは昼過ぎだから……」

「姉御、やっと起きたんですか!」


 急に聞こえてきたハンナの声に、マチルダは慌てて体を起こした。

 目が合うと、ハンナが半泣きで抱き着いてくる。


「二日も目を覚まさないなんて、あたし、心配したんですから!」

「えっ? 二日?」

「そうですよ!」


 わたくし、そんなに長い間眠っていたの?

 確かに、かなり疲れがとれた気はするわ。


「あーっ!」

「姉御っ? 急にどうしたんですか?」

「あれから、いろいろどうなったのかしら!」


 確かフェリックスは、これからのことは明日話そう、と言っていた。マチルダが丸二日眠っていたのだとすれば、彼の言っていた明日はもう終わっている。


「安心してください。姉御抜きで話はできないって、みんな分かってますから」

「ハンナ……」

「ですから落ち着いて、とりあえず水を」


 ハンナが差し出したコップには、冷たい水がたっぷりと入っている。

 ありがとう、と告げてから、マチルダは一気に水を飲み干した。


「魔王様も、姉御のことを心配していましたよ」

「それなら、すぐにフェリックス様のところへ行くわ」


 マチルダがベッドを下りようとした時、フェリックスが部屋に入ってきた。


「その必要はないよ。僕がきたから」

「フェリックス様!」

「おはよう、マチルダ。君の声が聞こえたから、急いできたんだ」

「姉御、声大きかったですもんね」


 ハンナはそう言って笑うと、すぐに部屋を出ていった。

 きっと、気を遣って二人きりにしてくれたのだろう。


「マチルダ、身体はどう?」

「なんともありませんわ」

「よかった。なかなか目を覚まさないから、心配したんだ」


 フェリックスが微笑んで、マチルダの頬を撫でた、その瞬間。


 マチルダの腹が、空腹を思い出して叫んだ。


 わ、わたくしったら、なんてタイミングで……!


 起きた瞬間に腹を鳴らすなんて、食い意地が張っているようで恥ずかしい。

 しかし意識すればするほど、どんどん腹が減ってしまう。


「話をしようかと思ったんだけど……先に食事にする?」

「……ええ、できれば」


 今ならわたくし、焼いただけの肉でさえ、とびきり美味しく感じそうだわ。

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