第14話 取引
「わたくしが、エルフから薬をもらってきますわ」
内心の焦りや動揺を悟られないように背筋をぴんと飛ばす。
どうにかして、この窮地を切り抜けなくてはいけない。
「マチルダ、そんなに危ないことを君に任せられない。エルフとはいえ、人間の君よりは強いんだよ」
「ええ、だからこそ、ですわ」
大きく深呼吸して考えを整理する。
とっさに言ってしまったことだが、落ち着いて考えるとこれが一番いいようにも思えてきた。
「エルフは、強い魔物を恐れているんでしょう? 人間であるわたくしが行けば、警戒せず、話を聞いてくれるかもしれませんわ」
「でも、聞いてくれないかもしれない」
「ええ。ただの人間なら、きっとそう。けれど……」
どくん、どくんと心臓がうるさい。ふう、とゆっくり息を吐き出して呼吸を整えた。
「わたくしは、魔王様の花嫁よ。そんなわたくしが魔王城の使者として赴けば、話くらいは聞いてくれるはずだわ」
魔王の支配が行き届いていないとはいえ、効力がゼロではないはず。
それに魔王城にはルークという強力な魔物だっているのだ。
「薬をくれなければ襲うと言えば、絶対に話を無視できないはず」
武力をかさにきて相手を脅すなんて、してはいけないことだ。それをフェリックスが望まないことも知っている。
しかし、有効な手段であることは疑う余地もない。
「ルーク様がいきなりきたら、きっとエルフたちは混乱しますわ。落ち着いて話なんてできないでしょう」
ルークの前まで歩き、真正面から深紅の瞳を見つめる。
怖いけれど、目は逸らさない。これは懇願でなく、交渉なのだから。
「もちろん、ルーク様なら薬を奪うくらい造作もないかもしれませんわ。でも、その薬が本物だという確信は、どう得られるのでしょう?」
ルークが目を見開いた。
よし、いい調子だわ……!
「襲われて、エルフたちは効果のない薬を差し出すかもしれません。もしくは、薬を調合してくれないかもしれない。彼らが脅しに屈せず、死ぬことを選べば、どうすることもできないでしょう?」
「……マチルダの言う通りだ」
ルークが額をおさえて俯く。再び目が合った時、彼の瞳は不安で揺れていた。
「わたくしが、エルフたちと交渉しますわ。薬をくれるように。そして、代わりに一つ、こちらからも何かを差し上げる必要があるはず」
「財宝でもなんでも、惜しいものなんてない」
あまりにも早いルークの答えに、マチルダは驚いてしまった。
ルーク様、ここまでノアさんのことを……。
「では、ルーク様も協力していただけますか?」
「協力?」
「ええ。エルフたちの保護に。わたくしたちに薬をくれる代わりに、彼らの安全を保障するのはどうでしょう? 今後、他の魔物に襲われぬように。そして、それができるのは力を持つものだけですわ」
ルークだけでなく、フェリックスがごくりと唾を飲み込んだのが分かった。
そして数瞬の後、ルークは大声で笑い出した。
「なるほどな。これを機に、魔王に協力させようというわけか!」
「ええ。ノアさんの薬を手に入れること。これが、ルーク様へ提供できるメリットですわ」
ルークの瞳を睨むように見つめる。足が震えそうになるのを、気力でなんとか防いだ。
今回は薬に限定されるが、薬に限らず、協力し合うことは大切だ。
魔力の強さと、病気を治療する技術。全く違うものを差し出し合うことで、お互いが利益を得られる。
多様なものが共に暮らし、多様な利益を大勢が享受できる。
それこそが、社会を築く大きなメリットではないだろうか。
「気に入った」
ルークはそう言うと、扉を離れ、ノアが座るベッドに腰を下ろした。
「もし無事に薬を持ち帰ったら、俺はフェリックスに手を貸そう」
「ルーク様……!」
「だが、失敗した時は、誰を殺してでも、必ず薬は手に入れる」
早く行け、とルークはあごをしゃくった。もちろん、マチルダもそのつもりだ。
「ハンナ、エルフのいる場所を教えてくれるかしら?」
「はい、姉御! ただいま……」
「待ってくれ」
ハンナと共に部屋を出ていこうとしたマチルダの腕をフェリックスが掴んだ。
「僕が、山のふもとまで案内しよう」
「フェリックス様……」
「話は馬車の中でする」
「……分かりましたわ」
フェリックス様のこんな表情、初めて見た……。
張り詰めた表情は硬くて、怖い。腕を握る力も強く、痛みに顔をしかめてしまいそうになる。
そのままフェリックスに連れられて、マチルダはルークの屋敷を後にした。
二人乗りの馬車に乗り込み、向かい合って腰を下ろす。合図をするよりも先に、馬に乗ったモーリスが馬車を動かし始めた。
がたっ、がたっ、と激しく馬車が揺れるが、その分、スピードも出ている。
「マチルダ、ごめんね」
「……え?」
「僕が弱いから、君にこんなことをさせるはめになった」
ぎゅ、と強く拳を握り締め、フェリックスは深々と頭を下げた。
フェリックス様が謝る必要なんて、ないのに……。
「顔を上げてくださいませ、フェリックス様」
「マチルダ……」
「きっと大丈夫ですわ。それにわたくし、フェリックス様の格好いいお姿に感動しましたもの」
「格好いい? どこか?」
「エルフたちを守ろうとしましたわ」
ルークに屈せず、最後まで扉の前を動かなかった。
命を懸けてでも、フェリックスはエルフを……魔界の民を守ろうとした。
「フェリックス様は、王として立派でしたもの。それに、弱いからこそ、弱い立場のものを守ろうと思われるのでしょう?」
もしフェリックスが生まれながらの強者なら、きっと弱いものになんて目を向けなかったはずだ。
そんなフェリックスなら、支えたいとは思わなかっただろう。
いや、そもそも、出逢ってすらいなかったはずだ。
「わたくしは、弱いフェリックス様だからこそ、好きになったんですわ」
「マチルダ……」
鏡を見なくても、顔が赤くなっていくのが分かる。誰かに気持ちを伝えたのは生まれて初めてだ。
そして、その相手がフェリックスでよかったと心の底から思う。
「僕も、マチルダが好きだよ」
フェリックスの手が伸びてきて、そっとマチルダの頬を包み込んだ。ひんやりとした感触に目を細める。
「好きだから、君を信じる」
フェリックスはそっとマチルダの額に口づけた。
「ええ、信じてください。必ず、その信頼に応えますわ」
馬車が急に止まった。
いよいよ、目的地に到着したのだ。
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